出会い4
点滴も終わり、しばらく休んですっかり吐き気もおさまり。
支払いを終え(スマホ決済できた。今の病院すごいと思った。とはいえ保険証を持ってもう一度来なければならないが)、僕は受付のソファに座ってため息をついた。時間は午後四時前。もうすぐ四限が終わる時間帯だ。
決済で使ったばかりのスマホを手の中でなんとなく弄ぶ。右手に、左手に、右手に。そして。
メッセージアプリをひらけば、新たに登録された「あまね」という名前が目に飛び込んでくる。
あの夢の中で、僕は彼女の名前を呼んでいなかった。だから、いくら声や雰囲気が似ていたとしても、松嶋さんがあの彼女だとは限らない。だいたい、夢で見た人間がそのまま現実に登場するなんて、あり得るか? もしあり得ると即答できるとしたら、それはいくらなんでも普段からフィクションの接種のし過ぎではないだろうか。しかし。
ふわりと眼裏をよぎる、麦わら帽子のシルエットが、そんな僕の常識を静かに揺さぶる。
――駄目だ。彼女にこれ以上関わったら駄目だ。
そんな強固な意志が、僕の心を支配しようとする。
――彼女を幸せにしたいなら。
「いや待て、幸せにしたい……ってなんだよ、そんなの、それこそお父さんか彼氏とかが思うことだろ……」
目の前の、可愛いうさぎのイラストのアイコンを見つめる。
「……」
帰ったら。
――彼女を幸せにしたいから。
――彼女を幸せにしたいなら。
「……ああ、もう! わかったよ!」
脳内で勝手にリフレインされるそのフレーズに、僕は苛立ちながら独りごちた。
帰ったら。
このIDをブロックして、削除する。
幸い、彼女は文学部だ。文学部と、僕の通う教育学部は、キャンパスが違う。
敷地の広さと学生数の多さだけが自慢のこの大学で、さらに違うキャンパスに通い、学年も違えば好きなことの方向性からして共通の知り合いもいない可能性の方が高い。なら、そう簡単に、学内で鉢合わせすることもないだろう。――だなんて。
とんでもなく図々しい考えをしている自分に、半ば呆れる。彼女を幸せにしたいから、連絡先を消す? 意味不明すぎる。そもそも、松嶋さんと僕に今なんの結びつきがあるというんだ。僕は飛んできた麦わら帽子を掴んで勝手にパニックを起こして逃げ出した挙句、熱射病で倒れて彼女に迷惑をかけた、ただの通りすがりの人間だ。彼女の人生に、深く関わる人間じゃない。いわばモブだ。
そんなモブが、お詫びをしたいという礼儀正しい校友の先輩の気持ちを勝手に踏みにじる真似をして、何様のつもりだ。第一、彼女にはお付き合いしている相手がいるかもしれないし、付き合っていなくても好きな相手がいるかもしれない。そしてその相手は、今日たまたま出会っただけの僕じゃない。絶対に。なのに。
――それでいい。
――それでいいんだ。
なぜ、こんなにも惹かれて、なぜ、こんなにもその気持ちにブレーキがかかるのか。一目惚れってこういうものなのか。分からない。分からないけれど。
は? 分からない? そんなはずはないだろう。今だって、自分の全身が叫んでいる。ああそうだよ、一目惚れだよ。帽子の向こうに見えた、まっすぐな眼差しに、どうしようもなく僕は、恋に落ちた。だから。
「ああもう、情けないな僕は」
帰るまで。
家に帰って、今日が終わるまで。
この新たに連絡先に加わったアイコンを見つめていたい。
帰ったら。必ず消すから。
だから。
――と、悶々としながら病院を一歩出ると。
「よかった、間に合った」
帰ったはずの彼女が、息を切らしてそこに立っていた。僕のゲ……吐瀉物を受け止めた時と同じ台詞を、同じ笑顔で繰り返して。