1話
サー国に攘夷令、つまり外国人を国内に入れてはならないというお触れが出てから10日余りが経った。気候に恵まれず資源に乏しい国が必死で農作物を作っているのに、外国から安い農作物が大量に入ってきては我が国の農業が、ひいては経済が破綻する、という理由だったが、それだったら他国から農業の支援を受ければ良いし、他の産業も支援を受けて発展させれば良い、つまりこじつけである。その意味のわからないお触れに各国は抗議の意を示したが、それもやがて中央集権体制の国の戯言だろうという形に落ち着いた。サー国と各国との国境検問所では旅人と兵士の言い争いが多発し、時には暴力沙汰にもなったそうだが10日も経てばそれも収まる。もっとも、俺のいる検問所は都からの距離はそれほどではないものの、近くにオアシスもなくおまけに怪物多発地帯とかなり過酷な地域にあるため、俺がここの担当についてから、お触れがでる以前も以後も、ここを通る人など一人もいなかったのだが。
そんな日のことである。この検問所に俺が見る初めての来訪者がやってきた。一人は赤い服装の少女らしき人物、もう一人は青い服装の人物だった。やってきた方向からして恐らくカリハ国の者だろう。彼らには申し訳無いが俺はここに来て初めての仕事、つまり入国拒否を行うことになった。
「待て、お前たちはサー国の市民では無いだろう。知っての通り、我が国は現在外国人の入国を禁止している。直ちに引き返せ。」
「なんですって…! 私、そんなこと出国前に聞いていませんでしたよ。」
世間知らずな奴だ。カリハ国の一番国境に近い街からここまででも、さすがに10日あれば着く。お触れがでて数日ならまだしも、今このタイミングでここについたというなら、出国前に十分確認できたはずだ。それともこの危険地帯で10日以上も時間をかけてしてきたのか。それは世間知らずではなく、命知らずというものだ。
「私が最後に人のいるところに立ち寄ったのは11日前です。お触れのことなど知る由もありません。」
どうやら本当に命知らずなようだ。
「じゃあせめて、食料支援だけでも…」
「それもできない。なんせお触れが出た理由が、国内農業の保護だからな。支援が出来る余裕が無いのだと。」
これを言うのはさすがに俺も心が痛んだ。彼らの顔色が青ざめていくのが顔を覆う布越しにも伝わって来るようだ。彼らはここまで節約を重ねて来たようだがそれでも一番近い街までもつかどうか。しかし決まりは決まりだ。どれだけ心が痛んでも、俺には軍や国の決定したことがらを破る勇気は無かった。
と、そこで今まで黙っていた青い服装のやつが口を開く。
「少し待ってくれ、私がカサブランカ―彼女のことだ―に見せて貰ったサー国の資料に出ていた国民は誰も黒い肌で髪も黒だったぞ。あなたは白い肌に白い髪だ。本当にサー国民なのか? 」
…嫌なことを思い出した。こいつらは本当に世間知らずのようだ。
「稀に生まれるんだよ。俺みたいな白いやつが。遺伝の関係とかなんとか言われてるがな。疑うんなら…ほら、サー国軍の隊員証だ。」
「ラサさん、彼の言っていることは真実です。だからその…あまり話しに出さないほうが良いかと…」
少女の口ぶりが気に入らない。白い肌の人はこの国にはほとんど存在せず、それ故に俺は蔑まれる存在で、だから俺はこんなふうに遠慮がちに眉を潜められるのを何度も経験している。もちろん悪気があるわけではないだろうが。しかし隣のやつの反応は俺が今まで見たことのないものだった。
「そうだったのか…! それは申し訳無いことをした。外見を理由に国籍を疑うなどアイデンティティを傷つける許されないことだ。心から謝罪する。」
変だ…俺の事情を知った者は皆、馬鹿にするか、この少女のように距離をとるか、それかこいつと同じことを言葉では言っていても明らかに心がこもっていない――極めて事務的で、謝罪をすることが一般道徳だから仕方なくしているという態度で――謝罪をするような者ばかりだった。それがこいつはどうだ。口元の布を外し、針金でも入っているかのように伸びた背筋を丁寧に折り曲げている。誠意のこもった謝罪だった。こいつの謝罪に何かを感じたのだろう、少女もまた口元の布を外し、私もすみませんでした、と謝ってきた。
こんなんじゃ調子が狂う。こいつらがもっと失礼なやつらだったらさっさと追い返すことも可能だったろう。しかし―不本意ながらというか、恥ずかしながらというか―情がわいてしまった。さすがに入国させることはできないが、近くの街まで行けるような手助けをすべきだと思った。
「…食料と、それから外套をやる。それなら近くの街までなんとかもつだろうし、その服だけより夜も過ごしやすいだろう。」
「良いん…ですか…」
「これは国としてではなく、俺の個人的な贈り物だ。俺のことを馬鹿にしたり、嫌な目で見たりしないお前らを、そのまま送り返すなんて無情だからな。なに、次の補給までの食料は残しておくから、飢えはしないさ。」
半分本当で、半分強がり。これでも軍人な俺は、人より食べる量が多く、死にはしないだろうがしばらくは我慢が必要そうだった。でも彼らが野垂れ死ぬほうが、俺は嫌だ。
「ありがとうございます! 」
「私も礼を言おう。無礼を働いたというのに、こうまでしてもらってありがとう。改めて申し上げよう。私はラサ。こちらはカサブランカだ。あなたの名前を教えてほしい。」
「ダッカ…だ。」
「ダッカさん、ありがとう。この恩は、いつか必ず返すと誓おう。」
こいつは、こいつらは本当に世間知らずだ。この危険な砂漠を旅する以上、また会うことができる保証など無いというのに。俺は十分、お前から恩を貰ったというのに。しかし、俺は心が暖まるのを感じた。久しぶり、あるいは初めての感覚。
「ダッカで良い…まあ、その、なんだ…達者でな。」
「そうか。ではダッカ、お元気で。」
「いつか国境が自由に行き来できるようになったら、またここを訪れますね。」
そういって彼らは歩きだし、まもなく地平線に隠れていった。同時に辺りは夕闇に包まれていく。まるでカサブランカの笑顔が太陽で、ラサの誠意と優しさが青空のように。俺は彼らの安全を祈りながら、その日の仕事を終えることにした。
以前と比べいささかすっきりした検問所の食料庫が、俺の心のようだった。