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4 仮面舞踏会編

 ある舞踏会にて。パワーランド公爵家の次男であるニイルは、一人の女性を伴って参加していた。

 この会は上流貴族のみに参加が許されていたが、一方で少々密やかな催しでもあった。参加者には全員仮面の着用が義務付けられており、ここで誰が何をしていたとしても不問とされるのが暗黙の了解だったのである。

 そこにニイル・パワーランドが連れてきていたのは、婚約者であるレティーシャ・ケンオルブルではなかった。伯爵テルヴァン家の令嬢、ヴェリエッタであったのだ。

「舞踏会にまで連れてきてもらえないなんて、貴方の婚約者ってばほんと惨めな女ね」

 華やかな喧騒の中、大きく胸の開いたドレスを着たヴェリエッタは声に優越感を滲ませて言った。

「ま、あの野暮女にここは不釣り合いでしょうけど。もちろん、貴方ともね」

「そうだとも。あの女を引き連れていては、僕自身の価値まで下がってしまう。その点、君の美しさは実に素晴らしいね。隣に立つだけで、自分がこの上なく幸福者だと周りに思い知らせてやれるよ」

「だけど私はあなたの婚約者ではないわ。イケナイことではなくて?」

「ここではお咎めなしだよ。それに、夫の浮気を容認する妻は、懐の深いものだと相場は決まってる。むしろ評判が上がるぐらいだ。彼女には感謝してほしいね」

「それはそのとおりだわ」

 二人は仮面越しに目配せし、笑いあった。だがその笑い声を遮るほどのどよめきが、少し遠くのフロアから起こる。ヴェリエッタは、目を輝かせてそちらを見た。

「何かしら。楽しそうね」

「行ってみてみるかい?」

「ええ。もし貴方のお友達があの歓声を起こしていたなら、私を紹介するのを忘れないでよ」

「当然さ。これから長い付き合いになるだろうからね」

 かくして二人は連れ立って、人々の注目を一身に受ける渦の中心へと向かったのである。しかしそこで見たのは、驚くべき光景だった。

 仮面の参加者の輪に囲まれていたのは、栗色の髪をなびかせ可憐なステップで舞う女性であった。スパンコールを散りばめた真紅のドレスを身に纏っており、一つ一つの所作のたびに夜空の星がまたたくよう。優美ながらもタイトなデザインは引き締まった体のラインをくっきりと強調し、そこも人々の目を惹きつける理由になっている。けれど、何より彼女を引き立てていたのは、パートナーである黒髪の青年だった。スマートな体躯の彼は、ぴったりと彼女に寄り添い、常に愛情深く見つめている。よく観察すると、小さなミスをしがちな彼女を先回りしてフォローし、誰にもわからぬよう元の音楽の流れの中へと戻してやっていた。

 二人のダンスは、指先まで洗練されていた。見るものの視線を釘付けにし、一瞬たりとて他に目が移るのを許さなかった。

「素敵……」

 ヴェリエッタが呟く。本来なら、すぐさまニイルも同意していただろう。けれど今の彼には、そうできない理由があった。

 彼はひと目で見抜いていたのだ。今ここで称賛を浴びている彼女こそ、これまで自分たちが心底馬鹿にし見下していた婚約者、レティーシャ・ケンオルブルなのだと。

「ねえ、ニイル。あの方とはお知り合いなの? ぜひ私もお友達になりたいわ」

「え? あ、ああ……」

「ほら、もう音楽が終わるわ。他の誰かに捕まる前に、声をかけにいきましょう」

 ニイルが止める前に、ヴェリエッタは人を押しのけ向かい始めていた。ちょうど音楽が終わる。拍手喝采のなか、人の輪の中心にいる二人は手を取り合って互いを見つめていた。

「ねえ、そこの二人!」

 ヴェリエッタの不躾な声に、その場にいた全員が振り返った。だがヴェリエッタは気にも留めず、二人の前に立つ。

「ごきげんよう。さきほどの踊り、とても素晴らしかったわ」

「ありがとうございます」

 答えたのは女性のほうである。その声で、ニイルはいよいよ彼女が自分の婚約者であると確信した。

 すると気になるのは、彼女と踊っていた男の正体である。ニイルは、自らの行いを棚に上げてじりじりと焼け付くような苛立ちを覚えていた。

「よかったら、貴女の名前を教えていただけないかしら」

「いえ、こういう場ですので……」

「むしろこういう場だからこそ、今後に繋がるきっかけになると思いますの。私の名前はヴェリエッタ・テルヴァン。父は伯爵ですのよ」

「そうなのですね。名乗っていただけたのなら、わたくしも名乗らねばならないでしょう。わたくしは――」

「レティーシャ」

 呑気なヴェリエッタを脇にどけ、ニイルが前に出た。その動きに警戒したのか、レティーシャを守るようにパートナーの男が立ちふさがる。

「貴様、レティーシャ・ケンオルブルだろう。婚約者というものがありながら、よくもぬけぬけとこのような場に現れたものだな」

「えっ!? レティーシャって……!」

「……それは貴方も同じではありませんこと? ニイル・パワーランド様」

 思いの外強く言い返され、ニイルは少し怯んだ。自分の知っているレティーシャは、臆病でまともに目も合わせないような弱い女だったからである。目の前にいる女性は、まるで別人のように思えた。

 しかし、自分の正体を看破されては引くわけにはいかない。ニイルは彼女を脅すため、声を張り上げた。

「貴様は不貞を働いた! ニイル・パワーランドという立派な婚約者がありながら、こんな不埒な場で別の男に色目を使っているとはどういうことだ!?」

「ニイル様、それはまったくの誤解でございます」

「だったらこの男は誰だ!? 場合によっては、直接貴様の父であるナイジェル・ケンオルブル公爵に話を……!」

「ええ、構いません。なぜなら“彼女”はそのような人ではありませんもの」

 ニイルは自らの耳を疑った。だが、レティーシャの言葉は事実であった。彼女のパートナーの男は頷き、仮面を外す。仮面の下にあった素顔は、目の覚めるような美形だったが――。

「貴様……女だったのか!?」

「はい。お初お目にかかります。私、レティーシャ・ケンオルブルのメイドのメアリーと申します」

「馬鹿な……!」

 愕然とするニイルに、レティーシャは言葉を続ける。

「今一度、事情を説明いたしましょう。わたくし、知見を広げるためにも結婚前に仮面舞踏会を見ておきたかったのです。ですが、お父様を通じてパワーランド様にご連絡差し上げたところ、ニイル様はちょうど同日ご用事があるとのこと。そこで恥を忍んで、メイドのメアリーに男性役をお願いしたのです」

「……!」

「ところでニイル様。お隣にいらっしゃる女性とはどのようなご関係なのですか? よろしければぜひ、ご紹介いただきたいのですが」

 ニイルは、目の前にいる婚約者と隣りにいる愛人とを見比べた。舞踏会前まではあれほど輝いて見えたヴェリエッタだというのに、高貴で匂い立つように麗しいレティーシャを前にしては、今の彼女は酷く下品で若いだけの女でしかなかった。

「……し、知らない。さきほど、そこで出会っただけの女だ」

「はぁっ!? ニイル様――!」

「馴れ馴れしく名前を呼ぶな! 僕の公爵という地位だけに目がくらんだ卑しい女め!」

「何よそれ……! 声をかけてきたのは、貴方からじゃないの!」

「うるさい! これ以上喋るな! ……レティーシャ、そういう事情とは知らなかった。かくいう僕も、今日はここに視察にきていたんだ。寂しい思いをさせてすまなかったね」

 ニイルは、レティーシャの細い手首を掴もうと手を伸ばした。だがその手は、素早く払いのけられる。

「失礼。ですがお許しを。今宵、彼女のパートナーは私にてございます」

 ニイルの見上げたメアリーは、再び仮面をつけていた。だがその仮面越しに、いっそう冷ややかな視線が向けられているのをニイルは感じた。

「いくら婚約者とはいえど、舞踏会で自らのパートナー以外の女性に手を出すことは相成りません。……どうかお引取りを」

「貴様……後悔しても知らないぞ!」

「後悔? それは、あなたの今までの勝手振る舞いを白日のもとに晒された日にも、起こりうるものでしょうか?」

 ニイルは思わずヴェリエッタを見た。怒りと悲しみで涙に濡れる彼女は、今にも全てを暴露しかねん様相である。一方、メアリーは柔らかな仕草でレティーシャの腰に手を回した。

「……では、我々はこれで」

「待て! レティーシャ……僕は……!」

 悲痛なニイルの声に、レティーシャは振り返った。一抹の希望に刹那表情を明るくしたニイルに、レティーシャは言い放つ。

「お幸せに、ニイル様」

 凄まじい敗北感と絶望に顔を歪ませるニイルを残し、公爵令嬢と男装の麗人は仲睦まじくダンスの輪の中に戻っていったのである。




 こうして、ニイルをぎゃふんと言わせることに成功したメアリーとレティーシャである。しかし、こうなるまでの過程は並々ならぬものであったと追記しておく必要があるだろう。

「がんばりなさい、レティ! 有酸素運動は脂肪を燃やすのよ!」

「あああああっ! つらい! つらいですわぁっ!」

「弱音は吐いてよしっ! やめなければよしっ! 特に脂肪を燃やしたい部分は、しっかり頭で意識するのよ!」

「ひゃああああああっ!」

 二人がまず行ったのは、肉体づくりだった。有酸素運動と筋トレ、バランスの取れた食事を徹底し、短期間でも無理なく美しいプロポーションを手に入れたのである。

 とはいえ、運動習慣のない者は最初は筋肉痛との戦いとなるだろう。ここで無理をしてはいけない。だがやめてもいけない。運動量を抑えつつ、自分の体と相談しながら少しずつ負荷を増やしていくのがベストだ。

「メアリーちゃん、お菓子は……お菓子は食べていいの……?」

「もちろん、いいわよ! ただし、あらかじめ量を決めておくことね! ダイエット中はどうしても食べすぎてしまうから、一日全体の食事メニューに組み込めたらいいわね!」

 だが、二人が苦労したのはダイエットだけではない。ダンスもそうである。特にレティーシャが舞踏会でのパートナーとして熱望したのがメアリーだったので、メアリーは猛特訓を強いられることになった。

「っていうか、なんで私なの? ダンスも上手くないし、他の人のほうがよかったと思うんだけど……」

「いいえ、メアリーちゃんがいいのです! 他の方なんて考えられません!」

「でも……」

「そもそも、婚約者のいる結婚前の公爵令嬢が、男性をパートナーにして仮面舞踏会に参加してよいのですか?」

「うっ……!」

「あと、わたくしの着るドレスも、背中が開いた大胆なデザインでして。髪で隠れるとは思いますが、ダンスの際にはパートナーの方の手が触れることも――」

「で、私にも着られるような男性衣装はあるの?」

「お母様に頼んで誂えていただきますわ!」

 そうして、あの舞踏会での復讐劇に繋がったのである。狙いどおりそれなりの騒ぎになったために、貴族達の噂はケンオルブル家とパワーランド家の婚姻話でもちきりだった。しかも表向き、仮面舞踏会での騒動は“ないもの”なのである。この秘匿性により、ますますパワーランド家次男の醜態だけが面白おかしく語られることになった。

 これなら遅かれ早かれ、醜聞を避けたいパワーランド家から婚約の話はなかったことになるだろう。なんなら時期を見て、ナイジェル・ケンオルブルに話を持ちかけてもいい。そうメアリーとレティーシャが考えていた矢先のことである。

「……なおもレティーシャ様との婚姻を続けたいだなんて、とんだ面の皮の厚さですね」

 月夜。メアリーは、人気のない街外れの空き地で一人の男と対峙していた。

「その上、勝手に挙式の日取りまで決めてしまっているとは。ご自身のしたことに罪悪感はないのですか? ――ニイル・パワーランド様」

 対するニイルは、メアリーに向かって不気味に笑った。

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