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1 幼少期編

 スペリアール家は没落した。夫婦で共謀し、王の資産を着服していたのである。国家反逆罪と横領の罪に問われたスペリアール夫婦は、ほんの10歳であるメアリーを残して国外追放された。

 だがメアリーは、他のこどもより幸運な道をたどることができただろう。身寄りを失った少女の境遇を不憫に思ったケンオルブル公爵が、彼女をメイドとして雇い入れたのである

 メアリーは受け入れた。しかし、両親に似て野心の強い彼女は、あらゆる手段を使って元の地位を取り戻すことを誓っていた。

 問題は、その手段の内容だったのだが……。

「メアリー、この子が私の娘のレティーシャだ」

 公爵の足の後ろに、栗毛の愛らしい女の子が隠れている。彼女こそ、公爵家の一人娘であるレティーシャ・ケンオルブルだった。

「ほら、挨拶を――」

 だが、小さな影はサッと父の足からいなくなった。足音は遠ざかり、やがてバタンとドアの閉まる音がする。呆気にとられるメアリーに、ナイジェル・ケンオルブルは頭を横に振った。

「……すまなかったね。レティはもう7歳になるんだけど、酷く臆病な子なんだ。いずれは王立学園に通うというのに、まだ友達の一人もいない」

 ナイジェルは屈んで、メアリーと視線を合わせた。慈愛のこもった青く優しい目が、メアリーの勝ち気な顔を見据えた。

「だから、君にお願いがあるんだ。あの子の初めての友達になってやってほしい」

「ともだち……」

「そう。仲良くなることができたら、ご褒美だってあげていいよ」

 最後の一言は、大人であるナイジェルの茶目っ気だったかもしれない。だが、幼いメアリーにそんなことなどわかるはずなかった。

(ご褒美――! これよ! この方法よ!)

 メアリーの顔は輝いていた。

(あの子の友達になってやれば、私はご褒美に元の地位を取り戻せるに違いないわ! こんなメイドの服なんて着なくていいし、誰の命令も聞かなくていいの!)

「ええ、わかりました……!」

 メアリーは、自信満々に胸を張って言い放った。

「その大役、このメアリーに任せてください!」

 そしてこの日から、メアリーによる『成り上がり計画~レティーシャお嬢様懐柔編~』が幕を開けたのである。




 だが、レティーシャは一筋縄ではいかない相手だった。

 散歩に誘っても――。

「わわわわわわたくしとおさんぽですか!? いやですわ! おようふくがよごれてしまいますし、たいようはまぶしいですわ!」

 お茶に誘っても――。

「おとうさまやおかあさまじゃないかたと、おのみものを!? わ、わたくし、まだじょうずにのめませんので!」

 お部屋を訪ねても――。

「ひょええええええええええええ!!?」

 この有様であった。

「メアリー、あんたまだレティーシャお嬢様と仲良くなるつもりなのかい? 無駄無駄! ありゃお屋敷の屋根が吹き飛んだって、お部屋から出てこないよ!」

 ふてくされるメアリーを見て大いに笑ったのは、料理番のアンジである。真っ黒な髪をきゅっと上に引っ詰めた、大柄な女性だ。

「よくやるわねぇ。メイドの仕事だって楽じゃないだろう? かといって手を抜いている様子もないし。あたしゃー、あんたなんかあっという間に音を上げて逃げ出すんじゃないかって思ってたよ」

「逃げ出すわけないわ! ご褒美があるんだもの!」

「ご褒美ねぇ。旦那様にどんなお菓子をチラつかされたのさ」

 ――お菓子よりも、もっと誇り高いものだ。芋の皮むきをしながら、メアリーはふふんと鼻を鳴らした。

「そうだ。あんたがどうしてもお嬢様と仲良くなりたいってんなら、こんな話を教えてあげよう」

 アンジが声を潜めて言う。メアリーはものすごい勢いで顔を上げたので、危うく指先をナイフで切り落とすところだった。

「実はね、夜な夜なお菓子が減ってるんだ。ネズミのしわざじゃないよ。ネズミは、わざわざ包み紙ごとお菓子を持っていったりしないからね。で、ここが肝心なんだけど……最近のレティーシャお嬢様は、普段全然お夕食を召し上がらないんだ」

「それって……」

「そう。恐らくだけど、お嬢様がやってきて食べてるんじゃないかね」

 驚いたメアリーだったが、同時に不可解でもあった。どうしてあんな豪勢なディナーが出るにも関わらず、そっちでお腹を満たさないのだろう?

「それはあたしにだってわからない」尋ねてみたけれど、アンジも不思議そうな顔をするだけである。

「でも、変な行動を取るこどもってのは、何か悩みを抱えていることが多いもんさ。だからあんたがお嬢様の友達になりたいってんなら、まずその悩みを聞き出してやればいい」

「けれどレティーシャお嬢様は、お父様とお母様にもお話ししてないんでしょ? 私に話してくれるかしら?」

「同年代のこどもだからこそ話せることもある。アンタならきっとできるさ」

「そういうもんかしら」

「そうとも」

 アンジに断言され、その気になってきたメアリーである。アンジもアンジで公爵令嬢であるレティーシャに注意しあぐねていた面があったのだが、幼いメアリーにそんな思惑などわかるはずなかった。

「わかったわ! 私、レティーシャお嬢様と話してみる!」

「よく言った! そんじゃ、今晩からぜひとも頼むよ!」

 快く請け負ったメアリーに、アンジは手を打って喜んだ。

「毛布を出してやるからここに泊まりな。旦那様にはうまくごまかしておくからさ」

「ありがとう、アンジ!」

「なんの。しっかり仲良くなるんだよ」

 激励を受けたメアリーの小さな胸には、真っ赤な野望が燃えていた。




 そしてその晩。とっぷりと夜が更けた頃、木の床を静かにこする音がメアリーの耳に届いた。

「もにゃにゃにゃ!!」

「きゃあーーーーっ!!!!」

 しかしメアリーは半分眠っていたので、突如奇声を上げてレティーシャの前に現れる妖怪になってしまった。

「ひいいぃっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 そんなこととは知らず、レティーシャは自分の顔を両腕で覆ってへたりこんでいる。その間にメアリーは、防寒用の毛布からのそのそ這い出てきた。

「うふふ……ようやく姿を見せたわね、レティーシャお嬢様」

「その声はメアリーちゃん!? なんでここに……!」

「アンタを待ってたからに決まってるでしょ」

「わたくしを……?」レティーシャはポカンとする。だがすぐに思い当たったらしく、オロオロとし始めた。

「ま、まさか、わたくしがこっそりおかしをたべていたのをしっていたのですか!? どどどどうしましょう、おかあさまにおこられる……!」

「うん? ちょっと……」

「ああああメアリーちゃん! どうかいわないでくださいまし! わたくし、もういたしませんから! あしたからがまんしますから!」

 大粒の涙を目に浮かべるレティーシャは、今にもメアリーにすがりつかんばかりである。大志を抱くメアリーとはいえ、三つも年下の少女にそうされては流石にたじろいでしまう。

「ま……待ちなさいよ! 全然状況がわかんないわ!」

「ふぇっ!?」

「まずひとつめ! アンタが夜のお菓子泥棒ってのはほんとなの!?」

「ひいぃぃぃっ! そうです! ごめんなさい!」

「じゃ、ふたつめ! なんでそんなことしたの!? おなかすいてたの!?」

「すいてました! ごめんなさい!」

「みっつめ! お夕食だけじゃ足りなかったの!?」

「はい! たりませんでした!」

「よっつめ! なんで!? 嫌いな食べものいっぱい出てたの!?」

「いえ! のどを、とおらなく……って……!」

 レティーシャの言葉の最後のほうは、掠れたようになっていた。そんな彼女に、メアリーは怒涛の追及をやめる。月明かりの差す薄闇の中でうつむくレティーシャは、震える手でネグリジェを握りしめていた。

「……たべられ、ないんです。ないしょのことなのですが。ぜんぜん、おゆうしょくがたべられなくて……」

 か細い声が、うつむいた栗毛の隙間から落ちる。

「たくさん、やらなきゃいけないことがありますの……。ナプキンのつかいかた、フォークのばしょ、おにくのきりかた……。テーブルマナーであたまがいっぱいになると、むねがいっぱいになって、のどがふさがったようになるのです」

「……」

「でも、そのときだけなんです。だから、よるになるとおなかがすきます。ねむれなくなりますの……。も、もちろん、わるいことってわかってましたわ。だけど、よるはどんどんせまってきて、こわくて……。おなかがいっぱいになったら、ねむれるんです」

「……そうだったの」

「おねがいです、メアリーちゃん! どうかおかあさまにはいわないでくださいまし! わたくし、これいじょうおかあさまをがっかりさせたくないのです!」

 レティーシャの懇願に、メアリーは頬に両手をあてて考え込んだ。――確かに、噂では聞いていた。7歳のレティーシャ・ケンオルブル嬢は、残念ながらあまり要領のいいほうではないと。それに加えてあの引っ込み思案である。王立学園に入る前になんとか公爵令嬢として恥ずかしくない振る舞いを覚えさせたいと、ケンオルブル夫人であるネリネが心を砕いていることをメアリーは知っていた。

 夫人は、決して冷たい人柄ではない。むしろ娘のことを考えすぎて、胃痛も頭痛も患うような人だ。だからこそレティーシャも、母の期待に応えるべく気を張っているのだろうが……。

(夜のお菓子は、体に悪いわね……)

 いずれにせよ、このままにしておけない。レティーシャがぷくぷくに太ったりして体を壊してしまえば、メアリーの成り上がり計画は大きく遅れを取るからである。なんとしても、レティーシャには健康で元気でいてもらう必要があった。

「……わかったわ、レティーシャお嬢様。アンタのこと、誰にも話さない」

 メアリーは知恵を総動員して答えを出した。この十年で、一番頭を使ったかもしれない。

「だけど、ひとつだけ条件があるわ」

「じょうけん……?」

「アンタ、私の友達になりなさい」

 レティーシャは目をパチパチとさせた。あの長いまつ毛では音が鳴ってもおかしくないと、メアリーは思った。

「友達よ、ともだち。そうすれば、アンタのつまみ食いは絶対秘密にしといてあげる。ここのお菓子が減ってたのも、おっきいネズミがいたからってアンジに説明してあげるわ」

「わたくし、おっきいねずみになるの?」

「違うわよ。アンタがなるのは私の友達」

 レティーシャはまだ戸惑っていた。当然である。今の状況で友達になることを条件に出されては、いくら齢7歳とはいえ容易に怪しさに気づくのだ。

「……もちろん、友達ってのはタテマエよ」

 しかしメアリーは、本音を言ってしまうタイプの元令嬢だった。

「アンタは、私の役に立ってもらわなきゃ。これからは、色々と命令を聞いてもらうわよ」

「命令……って?」

「たとえば、そうね……。まずは、私からテーブルマナーの授業を受けてもらうとこかしら」

 このメアリーの発言に、いよいよレティーシャの目はこぼれ落ちんばかりに見開かれた。そうとも知らないメアリーは、思いついた妙案に満足しうんうん頷いている。

「そうよ、それがいいわ! 私、礼儀お作法はとっても得意だったの! メイドになってからは、面倒になっちゃってご無沙汰だったけど……。アンタに教えてあげるぐらいなら、全然できるわ!」

「そんな……い、いいの?」

「いいに決まってる! アンタが王立学園で落ちこぼれてしまったら、私が困るのよ!?」

「ど、どうして? わたくしががくえんでうまくできなかったら、なぜメアリーちゃんがこまるの?」

「それは……」

 これに関しては、咄嗟にぴったりの答えが浮かばなかった。悩んだメアリーは、間に合わせの言葉を口から出す。

「アンタが……この私のお嬢様だからよ」

「メアリーちゃんの……?」

「そうよ! アンタはこのメアリー・スペリアール様が仕える公爵令嬢なの! だから、たかがテーブルマナーができないぐらいでバカにされることはあってはならないわ! 私の仕えるレティーシャ・ケンオルブル様は、鈴の音のような歌声の持ち主で、淑やかで、誇り高い方じゃなきゃダメなの!」

「わ、わたくしが、すずのねのようなうたごえ……!?」

「時々お部屋やお庭で練習してるでしょ? 聞こえてるわよ」

「あれはなんとなくうたってただけで、れんしゅうとかじゃ……!」

「とにかく、アンタはこの私にふさわしい人じゃないといけないの。そのためなら、テーブルマナーぐらいいくらでも教えてあげるわよ」

 レティーシャはしばらく迷っていた。だが、彼女にとっては、むしろ願ってもない話なのである。おずおずと頷いた。

「だけど……それなら、わたくしもメアリーちゃんになにかおかえししたいですわ」

「お返し?」

「はい。なにかわたくしにできることはありませんか?」

 そう言われて、メアリーは考え始めた。……元の貴族令嬢の地位、は無理だろう。今のレティーシャにどうこうできる問題ではない。ならば、他に自分が彼女にしてほしいことといえば……。

「だったら……王立学園に入った時に、私にお勉強を教えてくれる?」

「おべんきょうですか?」

「ええ。以前は私も学園に通っていたのだけど、お父様とお母様が起こした事件のせいで行けなくなったの。だから、追いつきたくて」

「で、できるかしら。でもメアリーちゃんのおねがいなら……」

「助かるわ。それじゃよろしくね、レティーシャお嬢様」

「いえ、あの……どうかわたくしのことは、レティとよんでくださいまし」

 今度はメアリーが驚く番だった。雲を出た月の光が窓から差し込む。照らされたレティーシャは、薔薇色の頬でメアリーを見つめていた。

「わたくしたち、おともだち、ですから。ふたりきりのときは、メアリーちゃんにはレティと呼んでいただきたいのです」

 そう言って、レティーシャははにかんだ。その愛らしい表情に、ドキッとメアリーの心臓が高鳴る。だけどそうなった理由は、彼女自身にはわからないままなのだった。

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