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6 本当の意味での自由

「忘れもしない、あれは王立学校に入学して最初の成績発表の日──生まれて初めて敗北を味わった君の、愕然とした顔を見た時だよ」

「……最低なんですけれど」

「その綺麗な青い目を見開いてね、顔色は真っ白だった。泣いちゃうかなってドキドキしながら見ていたんだけど……君は、泣かなかったね。代わりに唇を噛み締めて、顔をぎゅっと顰めたんだ。なんて可愛い子なんだろうって、僕はその時、雷に打たれたような心地がしたんだよ」

「あなた、意地が悪いわ」


 不貞腐れた私にふふと笑うと、ロッツは今度は私を膝に抱き上げてしまった。

 いきなりのことに抗うことも忘れて固まった私を、幼い子をあやすみたいにゆらゆら揺らしながら続ける。


「どうやってお近づきになろうか策を練ろうとしていたら、翌日、君の方から話しかけてくれたんだもん。それはもう、天にも昇る気持ちだった。絶対この子と結婚しようって、その時決めたんだ」

「私の意思などお構いなく?」

「そんなことはないよ。単に、君も僕と結婚したいと思ってくれるように、誘導する気だっただけ。まあ、洗脳でもいいけど」

「こわ……」


 私は、ロッツのことを大きく誤解していた。

 私もロッツも天才ではなく、ともに血の滲むような努力をした上で、毎回首位争いをしていると思っていた。

 お互いの痛みがわかる、切磋琢磨し合える尊い存在──そう思っていたのだ。

 けれども違った。

 ロッツは、私とは違う。

 彼は、天才だ。

 そして、それを隠していた。

 では、なぜそうとわかるのかというと──彼の他にもう一人、身近にいるからだ。

 私が逆立ちしたとしても、絶対に敵わないような、天才が。


「ジャックには、概ね悟られているとは思っていたよ。ただ、彼もアシェラとラインの婚約が気に入らないみたいだったから、僕のやり方を黙認してくれると高を括っていたんだけどね」

「ジャックは、自分からは何も言及してこなかったわよ。私の答え合わせに付き合ってくれたり、気まぐれにヒントをくれたりはしたけれど」


 三つ下の弟ジャック。彼は、ロッツと同じ天才だった。

 王立学校時代は十二回の試験全てで満点首位を独占し、卒業した現在は国王陛下の補佐をする片手間で、王女オリビアの家庭教師まで務めている。

 飄々としているように見せかけて、人の心を容易く意のままに操って支配する。

 ジャックは間違いなく、ヒンメル王国の未来を背負う人間だった。


「ロッツだって、本当は全期満点首位を独占することは容易かったでしょうに。それなのに、どうして四回も私に勝たせたの?」

「だって、戦友だって思ってもらわないと、アシェラは僕を受け入れてくれなかったでしょ? 君の悔しがる顔も可愛いけど、喜ぶ顔はもっとずっと可愛いって知っていたからね」

「勝たせてもらったとも知らずに喜んでいた私を、ばかにしていたんでしょう?」

「アシェラをばかにしたことなんて、一度もないよ。いつだって一生懸命な君を尊敬していたし、君とともにあれた日々は今も僕の宝物だ」


 そんなのうそだ、と吐き捨ててやりたくなった。

 けれども思い止まったのは、ロッツと私の関係を、私とラインの関係に置き換えて想像したからだ。

 ラインもかつて、私がよい成績を収める度に、凡庸な自分をばかにしているのかと詰った。

 あの時、少しもそんなつもりはなかった私には、彼の気持ちが理解できなかったが……


「ラインも、きっとこんな気持ちだったのね」


 私は、祖国のために努力をして結果を残しているだけであって、自分と彼を比べて優劣をつけたことなんて一度もなかった。

 しかし、ラインはそう思わなかった。

 私に嘲笑われているだろうと勝手に腹を立て……そして、ひどく傷ついていた。

 私は彼と同じ立場になって、やっとそれに気づけたのだ。


「ラインに私の気持ちなんてわからないって思っていたけれど、私だって彼の気持ちをわかろうとはしなかった」

「ラインの話ばかりするの、やめてよ」


 不貞腐れた顔をしたロッツが、手のひらで私の口を塞ごうとしてくる。

 彼のこの嫉妬が本物なのか演技なのかは、私には判断がつかない。

 けれども、もとよりロッツの気持ちなど慮るつもりもないため、その手を振り払って続けた。


「ロッツも同じよ。あなたがどれだけ天才だったとしても、私の気持ちはわからない」

「アシェラ……」

「私にも、あなたの気持ちはわからない」

「アシェラ」


 ロッツから、ついに表情が消えた。

 綺麗なばかりの人形のようなその顔を、私はまじまじと見つめて告げる。


「結局、人間は自分の気持ちしかわからないということね」


 馬車は峠に差し掛かったらしく、勾配と揺れが激しくなった。

 進行方向に向いた座席に座り直したロッツに、私はその腕の中から問う。


「ねえ、ロッツ。どうして、私とラインの婚約を解消させようとしたの?」

「そんなの、僕がアシェラと結婚したいからに決まって……」

「それも一因かもしれないけれど、一番の理由はそれじゃない」

「……」


 きっぱりと言い切った私に、ロッツが口を噤む。

 ガタガタと馬車が揺れた。

 私を抱く腕に力が籠る。

 菫色の瞳は逡巡しているように見えた。

 私はそれをじっと見つめているうちに、不思議な心地を覚える。

 十三歳のあの日──ロッツが五年生の公爵令嬢とキスしているのを目撃した日、私は彼に対する恋を諦めてよき友人であろうと決意した。

 それなのに、ロッツの方はずっと私を手に入れる算段を立て続けていて、出会ってから十年が経った今、ついにこうしてヴィンセント王国へ連れ帰ろうとしているのだ。

 すべては彼の思うがまま。

 私は、彼の手のひらの上。

 それなのに──

 

「ロッツ、はっきり言って」


 私がそう急かすと、彼はひどく苦しそうな顔をした。

 それでも、やがて観念したかのように口を開く。


「ヒンメル王国は、この大陸にとってなくてはならないものだ。王立学校は、各国の未来を背負う者達の出会いと交流の場となっている。国も文化も宗教も、全ての垣根を越えて学び切磋琢磨し合えるあんな場所は他にはありえない。万が一にもこれを廃れさせれば、やがて大陸中の不和に繋がるかもしれない。そんな国の王に──ラインは相応しくない」


 きっぱりとそう言い切ったロッツは、それなのに、と続けた。


「アシェラが王妃となることに、ヒンメルの人々は希望を見出してしまっていた。君さえいれば、ラインが国王でもいけるんじゃないかってね」


 相槌も打たない私に構わず、ロッツは畳み掛ける。


「僕に言わせれば、そんなものは幻想だよ。いくらアシェラが優秀でも、いつまでラインの泥舟で浮いていられると思う? そのうち、一緒に水底に沈むに決まってるんだ」


 菫色の目がぐっと睨んだのは、ここにはいない元同級生の姿だろうか。


「幸い、ヒンメル国王にはもう一人子供が……王女がいる。オリビアはまだ幼く独善的なところはあるけれど、素直で勤勉だ。国民の受けもいい。何より──彼女の側にはジャックがいる」


 弟の名が出たとたん、私の身体は無意識に震えた。

 ロッツはそんな私を一度きつく抱き締めてから──私の望み通り、はっきりと引導を渡した。



「ヒンメルの未来を担うのは、ラインとアシェラではない。オリビアとジャックだ。アシェラはもう──ヒンメルに必須の存在じゃないんだよ」



 私は、たまらず両目を瞑った。

 本当は、うすうす気づいていたのだ。

 ただそれを認めることが辛くて、悔しくて、ずっと気づかないふりをしていた。

 ジャックは生まれながらの天才で、私は努力に努力を重ねてようやく秀才と呼ばれるまでに這い上がった凡人。

 その違いには、天と地ほど差がある。

 ジャックがいれば、私はいらない。

 私の努力を、祖国はもう必要としていない。

 これを認めた瞬間、私は本当の意味で自由になったが、同時に心にぽっかりと大きな穴が空いた気分になった。

 生きていくためには、きっとこの穴を何かで埋めなければならないだろう。

 そんなことを考えながら目を開けて──ぎょっとした。


「……どうして、ロッツが泣くの?」

「僕にこんなことを言わせるなんて……アシェラはひどい」


 目の前のロッツの頬が濡れている。

 綺麗な菫色の瞳からは、次から次へと雫が溢れてきた。

 大の男がこんなにボロボロと泣いていることに、私は呆気に取られる。


「言いたくなかった──気づかせたくなかったんだ。アシェラを、悲しませたくなかった。君の誇りを、傷つけたくなかった!」


 ロッツは膝の上の私をぎゅうぎゅうと抱き締め、グスグスと鼻を啜りつつ震える声で言った。

 その背中を宥めるように撫でながらも、この涙も計算なのかしら、とどこか冷めたことを考えている自分いる。

 祖国に必要とされなくなった私は、これからこんな風に、ロッツに同情されつつヴィンセントで生きるのだろうか。


(虚しい……)


 一つ、大きくため息をついた時だった。


「──わっ!?」


 つんのめるようにして、馬車が急停止する。

 さっと険しい表情になったロッツが、車窓のカーテンの隙間から外を覗いた。

 夜の闇に沈んで、私の目には何も見えなかったが……


「──盗賊団だ」


 潜めた声で、ロッツがそう呟いた。

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