目覚めは森の中で
(……背中が冷たい)
最初に頭に浮かんできたのはその感覚だった。背中が冷たい……それに固い。だが、頬には何か生暖かい物も感じる。
(俺どうしたんだっけ……?)
頭がはっきりしない。世界が霞んでいる……と、そこで俺は自身が眠っていたことに気づいた。視界が霞んでいるのは目をしっかり開いていなからだ。
目を開く。
目が合った。
見知らぬ男だ。生暖かい呼吸を感じるくらいに顔が近い。上に覆い被さられて──
そこから先を考える前に、無意識で跳ね上がった。膝が。
ゴス。
鈍い音。男の顔が苦悶に歪む。……あ、これはヤバイ部分にあたりましたね。なんか膝にグニョっとした嫌な感覚があった気がするし。
とりあえずそのまま俺の上に倒れてきそうになったので、全身の力を込めて突き飛ばした。
「ぐぉぉぉぉぉぉ……」
突き飛ばされた男は苦悶の表情でごろごろと転がる。
俺が跳ね起きてその男と距離をとると、男はうずくまったままこちらを見上げてきた。
「……と、突然何を」
「いやそっちが何だよ!目が覚めていきなり覆いかぶさられていたらこうするだろ!」
ん?
男に怒声を浴びせたところで違和感に気づいた。
男の事じゃない。いや男の行動はおかしいがそれとは違う。
自分の口から発せられた声だ。違和感……いや、そんなレベルじゃない。明らかに自分の物ではないとわかる声だ。自分はこんな高い女みたいな声はしていない!
「なんだこれ……」
とっさに喉の辺りを抑える。その際に目に入った手もよく見ればおかしかった。明らかに普段より肌の白い小さな手。まるで年若い少女の──
なんだこれは?
よく見れば髪の色だって違う。俺は日本人で普通のサラリーマンだ、髪も当然銀色になんて染めてなんかいない。そもそも俺は髪を短く刈り揃えている。自分の視界に自分の髪が入ることなどない。なのにこの肩から前に流れている長い銀髪はなんだ?
「あー……、もしもし」
困惑している俺を、いまだダメージが抜けてないのか、相変わらず芋虫のような状態でうずくまったままの男が声をかけてきた。
「なんだよ。あとそれが人に話しかける体勢か?」
「いや無理、勘弁してくれ……あの、もしかして日本の方?」
「当たり前だろ、なんだ突然?」
「俺の姿見てなんとも思わないの……? まぁいいやこれで自分の姿見てみて」
そういって男が差し出してきた短剣……短剣? なんで短剣なんだ? まぁいい。差し出されたそれをを受け取ると、その刀身に自分の姿を映してみる。
──そこに自分は写っていなかった。
自分は30台半ばのサラリーマンだ。中肉中背、メタボってわけじゃないが筋肉質でもない一般的な範疇に入るレベルの日本人。
決して銀色の長い髪をツインテールにしたまだあどけなさの残る少女ではない。
だが、見覚えがない姿ではなかった。むしろとある場所ではことあるごとに見ている姿だ。
「……リセか、これ?」
「あ、リセちゃんていうの君の名前。なんかネームプレート表示されてないんだよねー」
「いや、俺の名前じゃなくて、アルテマトゥーレで俺の使ってる……あ」
「気づいた? ちなみに可愛らしい声だけどリアル女性の方?」
「いや30過ぎのリーマン」
「夢が絶たれた……」
何の夢だよ。
「ボイチェン? 両生類? 合成音声じゃないよな?」
「いや、俺は地声勢のはずなんだが……なんで声が変わってるんだ?」
「俺に聞かれても……まあそれはそれとして、だ」
話してる間にダメージが抜けてきたのか、若干内股気味だが男が身を起こした。
「俺は斬雨っていうんだ。当然本名じゃなくてアルテマトゥーレのユーザー名なんだけど」
「それって」
「何がどうなってるんだかさっぱりわからんのだけど、どうやらアルマトゥーレの自キャラの姿になってるみたいだな。俺だけだとまだ確認が持てなかったけどあんたもそうならまぁそういうことなんだろう」
「そういうことって……」
ただ確かに、見渡してみれば周囲の景色に見覚えがあった。というか昨日最後に見た場所だ。最後のログアウト地点じゃねぇかここ。
アルテマトゥーレ。日本国内では人気ランキングの上位に位置するVRMMO。
VRとは言っても、ひと昔の物語で流行ったゲーム世界にフルダイブするような技術はまだ開発されていない。
以前に比べれば大分小型化されたとはいえ、頭部にはいまだにそれなりのサイズとなるHMDを被り、手には専用コントローラー。その他必要に応じて体の動きをトラッキングするための機器を見につけて行う。
当然動き回れば現実世界の物にぶち当たるため、プレイ中の現実側の物の破壊対策が問題になっている──
いや話がそれた。
たしかにグラフィックは現在稼働中のVRMMOの中では群を抜き、それこそ現実と思えるほどに美しいグラフィックを誇るが、動きに関しては現実にはまだまだ遠い。アルテマトゥーレはそんなゲームなんだが……
「いや、普通の体動かすように動けてるぞ?」
なんとなく奇妙なポーズをとってみたが、思い通りの体勢ができる。トラッキング機器を体にゴリゴリつければ近いことはできるかもしれないが、ここまで違和感なく動かすのは家庭用の機器では無理なのでは? スタジオとかで専用のモーションキャプチャー使わないと無理だろ。
知り合いに10点トラッキングという強者がいたが、それでもここまで滑らかには動いていなかったはずだ。
「というかそもそもコントローラーを持ってる感触ないよな」
右手をぐっぱぐっぱしてみる。普通に手を動かしている感じだけで何かを握ってる感触はない。
「HMDを付けてる感じもないしな」
男──斬雨が自分の顔をペタペタと触っていた。確かにHMDを付けていたら顔の上半分は覆われてしまうから、そんな直接顔を触るような動きはできない。
えーと、つまり。
「何が起きたかわからんが、アルマトゥーレのキャラそのものになっている……?」
「みたいだな」
「……妙に落ち着いてるな」
「いやこっちは一人の時に一通り慌ててるからな」
「なるほど……」
こちらはこちらで、こいつがしょっぱなからかましてくれたせいである程度冷静になれている感じではある。感謝はしないが。
理由はさっぱりわからんがある程度の状況は見えた感じだ。だからどうすべきかといえばそれはさっぱりわからんが……
口に手をあて考え込んでいると、斬雨はどかっと地面に座り込んでため息を吐いた。
「いやー、参ったな。普通こういう時はナビ役的な何かに出会うもんじゃん?」
「何の話だ?」
「今の俺らの状況。考えてみれば異世界転生物って奴じゃん」
「あー……」
自分はあまり読まないが、ライトノベル系の一大ジャンルだな。
「まさか自分がそうなるとは予想外だよなー」
「まだそうと決まったわけじゃないけどな」
他の展開は特に浮かんでこないけど。まぁ実は今見てるのはただのリアルな夢ってのが一番可能性高いんじゃないか?
「まぁそうだと仮定してだ」
視線の高さを合わせたいのだろう、立って見下ろす状態になっていた俺に対し、斬雨がちょいちょいと地面を指さす。まぁ特に逆らう理由もないし、お互いに話あって状況把握に努めるべきだろうと判断して、俺は普段は絶対着ない(というか普段の姿で着たら通報されるか、近所の人間に頭がおかしくなったかと思われそうだ)ひらひらとした服を汚さないように地面に腰を下ろした。
ここはレディに対してこの男は敷物を何か出すべきでは? 俺レディじゃないけど。
「なぁ、こうなる前のこと覚えてるか? 俺達二人ともトラックに撥ねられたのかな?」
転生してきた人間が全員元の世界でトラックに撥ねられてるのとかいやじゃないか? 逆に異世界に行くためにトラックに飛び込む奴も出てきそうだが。
ええと、そんなことより確か……
俺は今日は確か得意先で打ち合わせをしていたはずだ。でそのうち合わせは恙なく完了し、自社に帰ろうと地下鉄のホームに向かおうとして……
「そうだ、地震だ」
「あー、俺も思い出してきた。くっそ強い地震があったんだ。まるで空気が震えるようなヤツ」
そう、まともに立っていられないクラスの強い揺れが来て……それ以降の記憶がない。
「これ、地震で倒壊してきた建物とかの下敷きになって死んだとかかなぁ」
「どうだろうな」
少なくとも記憶にあるなかではそういった光景はなかった。揺れてこけて頭をどこかに思いっきり強打したとかだろうか。
「まぁこれ以上ここで考えてもわからんだろ」
「せやなー」
何せお互い以外何も情報源がない。お互いの姿と周囲の光景から「ゲーム内世界?」との予測を立てるのが限界だ。
「とりあえず俺は自分のギルドハウスが近いし、そっち向かってみるわ」
「どっちだ?」
斬雨が指さした方法は、東側だった。
「うちのギルドハウスも近いが、逆だな……」
「こっちくるか?」
「いや、俺も一度自分のギルドハウスに戻ってみる。そっちのギルド名と場所は?」
「ええと、こっちは……」
お互い口頭で情報を交換し(このあたりの地理は完全に頭に入っているので余裕だ)、ギルドハウスで何も得ることがなかったらまた合流しようと話して俺と斬雨は一度別れた。
──この時、俺も斬雨も非現実な出来事に、完全に失念していたのだ。
ここがアルマトゥーレの世界であるなら、この森に何がいるのかを。