渓谷を覆う影
ヴァレンの次の目的地は、アンビルという街になる。
アンビルはアルディアとラガレットの国境付近にある街だ。ここまで来ればラガレットの北方に聳えるシュネー山まではもう一息である。
翌日、ヴァレンで補給を済ませた一行は平坦な街道を抜け、切り立った渓谷の偏狭な道を進んでいた。
道幅は荷馬車一台が辛うじて通れるくらいの広さしかない。本来なら避けて通るべきルートなのだが、正規ルートである崖下の山道は急激な魔物の増加によって、とてもじゃないが抜けられない。
ユルグ一人なら問題にはならないが、この一団ではあまりにリスクが高い。よって、こうして悪路を往くわけだ。
しかし、この道も安全とは言い難いものだった。
不安定な山岳である。いつ上から大岩が落ちてきても不思議ではない。狭い道では急な進路変更も出来たものではないし、いつも以上に気を抜けないわけだ。
「俺が先を行って安全を確保するから、後ろから着いてきてくれ」
「分かりました」
御者を務めるティナに告げると、入れ替わりでフィノから声が掛かる。
「フィノもいっしょにいく?」
「いいや、大丈夫だ。お前はいつも通りに荷馬車の護衛をしてくれ」
「んぅ、わかった」
指示を出すと、ユルグは荷馬車の十メートル前を行く。
頭上に気を配りながら着実に歩みを進める。
落石も心配ではあるが、やはり魔物による襲撃がどんな時でも一番の憂慮である。
この渓谷には、フォーゲルという鳥の魔物が住み着いていると聞いた。逃げ場のないここでは襲われたらまず助からない。
しかし、その情報があるだけでも対策の立てようはある。
といっても敵に見つからずに進むと言うのは不可能だ。だから、ユルグの作戦は襲われる前提の話である。
荷馬車から離れるときに拝借してきたカンテラを腰に付けて、明かりを灯す。
フォーゲルは光に目聡く反応する習性がある。
あれは空を飛ぶ魔物だ。陽が昇っていても太陽を背にしているため、日中でもこの囮は有効なのだ。
それを利用してあえてユルグの方へと注意を向ける。
流石に荷馬車を襲われてはたまったものではない。
――肉を切らせて骨を断つ。それが最善の策である。
明かりを灯した瞬間、頭上を大きな影が覆った。
直後、上から吹き抜けてくる突風に、その正体を確認する暇もなくユルグは前方へと転げるように飛び込んだ。
すぐさま体勢を立て直して、背負っている剣を抜きざまに背後を振り返ると、そこには頭上から突っ込んできたのだろう。
大型の鳥の魔物――フォーゲルが、ユルグの行く手を阻んでいた。
フォーゲルの意識はこちらへと向いている。荷馬車とは分断されてしまったが、これは好都合である。
「グゲエエエエエエエエエ!」
相対した敵はでかい嘴を鳴らして突っ込んでくる。
身体を串刺しにしようとする一撃を、一歩踏み込んで紙一重で避けると、嘴に刀身を打ち付けた。
下からの強烈な打ち上げに、フォーゲルの頭が仰け反る。
しかし、斬り付けたはずの嘴には傷一つ付いていない。手応えからダメージは然程与えられていないと思っていたが、この魔物の嘴はかなりの強度みたいだ。
大岩さえも嘴による突きであっさりと砕いてしまうと聞く。当然と言えば当然である。
打ち上げられた衝撃に逆らうことなく、フォーゲルはそのままユルグの頭上へと舞い上がった。
しかし未だ敵意は損なわれていない。おそらくもう一度攻撃を仕掛けてくるはずだ。
「――勇者様、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。援護は必要ない」
後方から聞こえたアリアンネの声に答えて、ユルグは敵を睨めつけた。
攻撃魔法で援護でもされたら、せっかく自分にヘイトを向けた意味がなくなる。
この場所は道幅も狭く、ただでさえ不安定な場所だ。そんなところで大規模な戦闘をするならば双方無事では済まない。
ここは何としても受ける被害を最小限に抑えなくては。
――そうとなれば、次で確実に仕留める。
ユルグが次に取った一手は、先と同じく武器による攻撃だった。しかし、普通に攻撃してもあの魔物には有効打にならない。
堅い嘴は言わずもがな、胴体に攻撃しようにもこちらを狙ってくる嘴を避けた後では、既に剣の届く範囲から敵は逃れている。
無闇に魔法を放っても、避けられるのは明白である。
つまり、あれを下すにはカウンターが望ましい。それも嘴の強度を超える強烈な一撃。
魔法によるエンチャントを施した斬撃ならば、あの魔物にも届くだろう。
しかし、この戦法にはデメリットも存在する。エンチャントに武器そのものが耐えられないことだ。炎なら刀身が溶けてしまうし、氷ならば粉々に砕けてしまう。
しかし武器の形状を保ったまま魔法による威力の底上げ。それを成せる方法を一つだけ、ユルグは知っていた。
以前フィノがやって見せた、風魔法のエンチャントである。
あれを使用しても彼女の剣は崩壊していなかった。
――風の流れを作り出し、それをぶつけることで鋭利な風の刃を生成する。
おそらく、あれと同じ手法ならば武器の耐久を保ったまま攻撃は可能なはずだ。
ヴァレンを出てまだ数時間しか経っていない。アンビルまではまだまだ長旅が続く。出来れば武器を消耗することなく温存しておきたい所である。
唯一の憂慮といえばぶっつけ本番な所であるが、ユルグはこれに賭けることにした。
――剣を上段に構えて意識を集中する。
刀身の表面に風の流れを幾重にも纏わせる。尚且つ威力は最大限。
横に水平に保った剣先が渦を巻く風刃によってガタガタと揺れた。それを魔力の強弱を均一にする事で治める。
それを確認した直後、ユルグは駆け出した。
同時に突き殺そうと迫ってくるフォーゲル。
遙か上空から加速を付けた一撃は、先ほどとは比べものにならない程の速度を誇っていた。
タイミングを間違えば一瞬で身体が吹き飛ぶだろう。しかし、それがユルグの身を竦ませる事はなかった。
吹き付けてくる突風に瞬きすらせず、風の刃を乗せた剣撃を振るう。
それはフォーゲルの強固な嘴を意図も容易く切り裂いた。
「グギィッ、ゲエエエエエエエエエエ!!」
そのまま嘴のみならず胴体まで真っ二つにするべく剣を推し進める。
しかし、そう上手く事は運ばなかった。
「――っ、嘘だろ」
不意に何の前触れもなく、エンチャントを施した風の刃が蝋燭の火を吹き消すが如く消失したのだ。
そうなればユルグの振るう剣はいつもの鋭さに戻る。フォーゲルの筋肉質な体躯を裂くには切れ味をなくした状態では不可能であった。
咄嗟に肉に埋もれた剣を引き抜こうとするが、それよりも早く体躯を袈裟懸けにされたフォーゲルは力を無くし自由落下を始める。
落下地点は魔物の巣窟になっているであろう、渓谷の狭間であった。




