大切な友人
――その頃、ティナと連れ立って荷馬車の調達に来ていたミアは、ある場所へと赴いていた。
「これって……」
「本来ならミア様に来ていただくような場所ではないのですが、火急に荷馬車を工面出来て、尚且つ私が交渉できるような相手はこれくらいしか思い浮かばなくて……申し訳ございません」
「あ、謝らないで! 私もこんな場所に来るのは初めてだから、その。びっくりしちゃって」
ティナが先導した場所は奴隷商店であった。
帝都の裏通りにはこういった店があるらしく、薄暗い店内には檻に入れられた商品が訪れたティナたちを物珍しそうに眺めている。
その様子を見て、ミアは居たたまれなくなってそっと目を逸らした。
ミアの暮らしていたルトナーク王国では奴隷制が禁止されていた。だからこういった商店もなかったし、こうして虐げられている人もいなかった。
もしかしたら表立っていなかっただけで、裏では存在していたのかも知れない。それでもミアにとってはかなりの衝撃である。
「随分な言い草じゃねえか」
奥から現れたのは身なりの良い大柄の男だった。おそらく、この商店の管理者だろう。
「こんな商売をしているのですから、何を言われても仕方の無いことではありませんか?」
「ああ、何も間違っちゃいねえよ。でもなあ、馬鹿にされておめおめと引き下がってちゃあ、こちとら面目丸潰れも良いところよ」
明らかに機嫌を損ねたであろう男は、傍に控えていた用心棒に目配せをした。今すぐにでも襲いかかってきそうな、一触即発の雰囲気にミアが固唾を呑んだ直後。
「本日は商談をしに参ったのです。殺気立つのはやめて頂きたいものです」
物怖じせずに対面していたティナが懐から金の詰まった袋を男目掛けて投げつけた。
「商談だあ? 何を買おうってんだ。ここは奴隷商店だぞ。奴隷が奴隷を買うってんなら笑い話にもなるが、そうじゃねえんだろ」
「奴隷商を生業としているのなら、荷馬車と馬の用意は容易いでしょう。それをその金額で譲って頂きたいのです」
「……ははあ、なるほどな」
何かに感づいたのか。男はじっとりとティナを見つめると手元の袋の中身を見た。
「わかった。荷馬車と馬は手配してやる。少し待っていろ。それはそうと……」
男はいきなりティナの腕を掴むと、言い寄ってきた。
「お前、俺の物になる気はねえか?」
「貴方は金で私を売ったのですから、いまさら所有権を主張するのはお門違いというものです」
「勘違いするな。首輪を嵌めようって話じゃねえよ。どうせ今も城で働いているんだろ? あんな場所じゃあ邪血なら肩身が狭いはずだ。皇女様に囲ってもらっているんだろうが、誰だって良い思いはしねえわな。だから俺が雇い直してやるって言ってんだ」
「笑えない冗談ですね」
男の提案に、ティナは冷笑した。
「商談はもう済みました。これ以上話すことはありません」
きっぱりと断ると、男の手を払ってティナは踵を返した。
「ミア様。ここは空気が悪いですから、外で待っていましょう」
「う、うん」
ティナに連れられて、二人揃って奴隷商店を出る。ミアの手を取った彼女の指先は微かに震えていた。
きっと無理をしていたのだ。それを感じさせないほどティナは気張っていたが外に出た途端、緊張が解れたのだろう。彼女には珍しく肩で息を吐くと、次いでミアを慮ってこんなことを言い出した。
「嫌な思いをさせてしまいましたね。申し訳ございません」
「な、なんでティナが謝るのよ! 謝るのはこっち!」
「どうしてですか?」
「仲介役に頼まれたのに、何も出来なかった。あんなこと言われて……友達が馬鹿にされて、何か言い返すべきだったのに私は何も言えなかった。だから、謝るのは私の方」
「友達……ですか。そんなことを言われたのは初めてです」
ティナは噛みしめるように呟いて、口元を綻ばせた。いつも凜としている彼女がこうして笑みを浮かべるのは珍しい。
表情の変化に驚いていると、ティナは先ほどのミアの言葉を否定した。
「ですが、それは違います。ミア様が居なければ、私は怖じ気づいてあそこまで強気には出られませんでした。それに……私はああ言われても仕方の無い存在ですから」
「よくない! ぜんっぜんよくないから!」
鬼気迫る勢いでティナの肩を掴んで叫ぶと、彼女は目を円くした。
「その、ティナは奴隷だったんでしょ?」
「……はい」
「私はそういった人達がいない国で暮らしてきたし、国内には人間以外の種族は殆ど居なかった。だから、どうしてハーフエルフがここまで迫害されなきゃいけないのかが分からない」
アリアンネに話を聞いたときも同じことを思った。どうしてここまで虐げられなければならないのか、ミアには少しも理解出来ないのだ。
「エルフというものは、しがらみが多い種族なのです。寿命が長い故に変化を嫌う生き物ですから、そういった優越思想が未だに根深いのですよ」
「でもエルフが一番偉いって言うなら人間だって目の敵にされても良いんじゃない? どうしてハーフエルフだけが悪く言われなきゃならないの」
「それは……私たちには後ろ盾がないからでしょうね」
「……どういうこと?」
難しい顔をするミアに、ティナは丁寧に説明してくれた。
「エルフが人間を迫害しないのは、彼らの国が成り立っているからです。それを無理に追い立ててしまえば国家間の諍いに発展しかねない。そうなってしまえば不利益しか生まれません」
「……じゃあ、その後ろ盾っていうのがあれば、この状況も変わるって事?」
「それは有り得るでしょうね。しかし、そんなことは不可能でしょう。国を治める立場にある王族が邪血を上に据えることなど有り得ませんし、一から国を興すにしても確実に邪魔が入ります」
だから現状は不可能であるのだと、ティナは告げた。
ミアが思っているより、種族間の問題は根深いのだ。それをひしひしと身に感じて、口を噤んでしまったミアにティナは微笑みを向けた。
「ミア様が落ち込むことはございませんよ」
「でも……」
「私は今のままでも十分幸せです。こんなに優しい友人が傍にいてくれるのですから」
嬉しそうに微笑んだティナを見て、釣られてミアの口元にも笑みが乗る。
「友達……そうだ、友達なら様付けはやめて」
「ですが……ミア様はお嬢様のご友人なので、そういうわけには」
「私が良いって言ってるんだから気にしないで。ね、いいでしょ?」
ティナは一瞬困った顔をして、けれどそれもすぐに成りを潜める。
「もう……仕方ないですね、ミアは」
大切な友人に向けた笑顔は、陽の光を反射してとても輝いて見えた。




