明け方の問答
結局、あの後ユルグは一睡も出来ずに朝を迎えた。
未だ寝入っているフィノを部屋へと残して廊下に出ると、おもむろに窓の外へと視線を向ける。
遙か彼方に見える地平線からは朝日が顔を出していた。それに瞳を眇めて眺めていると、
「おはようございます、勇者様」
聞こえた声に顔を向けると、回廊の先からティナが近付いてくるのが見えた。
「昨晩はよく眠れましたか?」
「ああ」
「それはようございました」
反射的に答えてしまったが、まだ鳥も眠っている時間帯である。こんな朝早くに起きていては嘘だと言っているようなものだ。
それに気づいているのか。ティナはユルグの返答に微かに笑みを零した。
なんとも居心地の悪い状況に、ユルグは咄嗟に話題を変えようと口を開く。
「そうだ。礼を言わなければならないと思っていたんだ」
「……私にですか?」
「ミアのこと、助けてくれたんだろう? ありがとう」
ユルグの謝意に、ティナは瞠目した。まるでそんなことを言われるとは思っていなかったとでも言うような反応だ。
それほどおかしな事は言っていないはずだが、ティナには意外だったようだ。
「……何か変な事でも言ったか?」
「いいえ、そういうわけではないのですが……やはりよく分かりませんね」
「わからない?」
今度はユルグが彼女の言葉に困惑する。一体何のことを言っているのか。意図を掴みあぐねていると、ティナは続けた。
「勇者様は悪人ではないのでしょう。他者を想う心がありますから。しかし、身を案じてくれている者の手を取らずにはね除けて立ち去ろうとする。それが私には理解出来ません」
どうやら昨日のミアとの対話について言っているらしい。
「ミア様のことを嫌って、あのような態度を取るのかとも思いましたが、そうではないのでしょう。今の発言からも彼女を思い遣ってのことだと分かります」
「……朝から説教しようっていうのか?」
「いいえ。私には勇者様を責める権利はありません。ただ疑問に思っただけです。気を悪くされたのなら謝罪を」
「いいや、良いんだ」
ティナの意見はもっともである。誰だって同じ疑念を抱くだろう。何も彼女が特別というわけではないのだ。
ユルグの事を誰よりも知っているミアでさえ、どうしてこんな決断をするのか。最後まで理解を示してはもらえなかった。
「……誰にも俺の気持ちは分からないよ」
「そうでしょうね。勇者であることの苦悩は誰にも理解出来ないのでしょう。……私も分かってあげられなかったのですから」
呟きにも近い声音で微かにティナは告げた。含みのある物言いに眉を寄せたユルグだったが、それを尋ねる前に部屋のドアが勢いよく開かれた。
――バンッ!
慌てて室内から飛び出してきたのはフィノであった。
「おはようございます」
フィノは慇懃な態度で朝の挨拶をするティナには目もくれず、見開いた目でもってユルグの姿を捉えると抱きつかんと猛進してくる。
しかし、それが分かっていてむざむざ待ち構えるほど柔順ではないのだ。
「――ぎゃう!」
半身を捻って突進を交わすと、さりげなく足払いを掛ける。ユルグの目論み通り、躓いたフィノは頭から回廊に伸びている絨毯の上へと突っ込んだ。
「足元がお留守だぞ」
してやったりと意地の悪い笑みを浮かべるユルグに、フィノは急いで立ち上がると突っかかっていく。
「んぅ、ひどい!」
「油断しているお前が悪い」
「だ、だって。またおいてかれたとおもったんだもん!」
「そうできないのが残念だよ」
フィノにしてみたら起きたら部屋にユルグがいないのだ。デジャヴを感じて気が気では無かったのだろう。
一連の騒動に傍で見ていたティナは心配そうにこちらを伺っていた。なんせかなり盛大に転んだのだ。フィノに怪我が無いか気遣っているのだ。
「いつものことだから気にしなくても良い」
「そうですか。……そうでした、勇者様にお尋ねしたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「荷馬車と馬の手配なのですが、交渉役が私では諍いが生まれるので、仲介役としてミア様に同行願いたいのです」
ティナは申し訳無さそうに告げる。
カルラやフィノを見てきて十分理解しているつもりだったが、やはりハーフエルフであるということは、想像以上に生き辛いものらしい。アルディア帝国より東では特に顕著である。一人では満足に買い付けすら出来ないのだから。
「構わないが……それは俺じゃなく本人に直接聞いてくれ」
「そうですね。失礼致しました」
はっとした顔をしてティナは頭を下げた。
ユルグが判断しても良かっただろうが、本人を通した方が行き違いがないだろう。その意図をティナも察してくれたのか。それ以上は何も語らず、
「朝食の準備がありますので、私はこれで」
忙しいのか。そう言うとティナは足早に去って行った。
「……おなかすいたなあ」
「まだ飯には早いぞ」
陽が昇り始めた時間帯である。まだ数時間は飯にありつけないだろう。
手持ち無沙汰な時間。何をするか考えた結果、城の中庭でフィノと手合わせをすることにした。
これは何もフィノに強請られたからではない。ユルグが自ら提案した事である。
右腕の負傷ありきでどこまで出来るのか試してみたかったのだ。実戦で力及ばずでは洒落にならない。出来ることと出来ないことを知っておくのは物事を成す為には基本中の基本である。
「今回は俺の手合わせに付き合ってもらう」
「う、うん。わかった」
フィノが剣を構えたところで、ユルグは右手で剣を引き抜いた。
相も変わらず痛みはするが、それを無視すれば問題なく剣は振れる。要検証なのは、この状態でどれだけ力を込めて振り切れるかだ。
「ちゃんと握ってろよ」
「んぅ」
フィノが頷いたのを確認して、剣を振り上げると打ち付ける。しかし、やはりユルグの力には適わないようで、待ち構えていたフィノは見事なへっぴり腰になっていた。おまけに剣の構えもなっていない。あれでは衝撃で手から取りこぼせば怪我をしかねない。
「いっ……ったあ」
「しっかりしろ」
「そんなこといったって」
文句をぶうたれているフィノに迫るが、ユルグの剣撃を防ごうなんてのは無理な芸当である。
しかし、手応えは十分なものだった。
全快の時と比べると多少劣りはするが、敵と相対する分には支障は無さそうだ。剣を打ち付けた衝撃で痛みは増すが、それでも予め分かっているなら後は気の持ちようでなんとでもなる。
剣を地面へと突き刺すとユルグは次の工程へと移った。
「今ので大体わかった。次は魔法だ」
もう一つユルグが懸念していたのは、魔法を今まで通り使えるかどうか。
魔法の使用にあたって一番重要なのは集中である。平時でも緊張や動揺で上手く使えなくなると言った事例は幾つもあるのだ。
言わずもがな、昼夜問わずの激痛を抱えていては何かしらの弊害はあるとみて良いだろう。たとえ痛みに慣れてこようが以前のようにはいかないはずだ。
「なにするの?」
「火球を俺に向かって放ってくれ。それを魔法で防ぐ」
「……だいじょうぶ?」
「早くしろ」
急かすと、フィノは渋々といった様子で両手を前へと突き出した。
直後、放たれた〈ファイアボール〉の火球を、ユルグの全面へ、着弾に合わせて〈プロテクション〉を張る。けれど予想した通り、いつもより魔法の発動が体感で二秒ほど遅れてしまった。
〈プロテクション〉は緊急時に使用する事が多い。切迫した状況での二秒は命に関わるといっても過言ではない。
〈プロテクション〉の障壁をすり抜けた火球は、ユルグの左肩へと命中した。しかし威力は然程強くはない。服が若干焦げたくらいで〈ファイアボール〉単体としては弱いくらいである。おそらくフィノが遠慮して魔法の威力を弱めたのだろう。
「――っ、ごめん!」
「今のは俺のミスだ。次は合わせる」
ストイックなユルグの態度に、フィノは気乗りしないながらも付き合ってくれた。
その後、三回目で十分な感覚を掴んだユルグは手合わせを終わらせて剣を納める。けれど、やはりと言うべきか。フィノは納得のいかない顔をしていた。
「そろそろ飯の時間だろう。戻るぞ」
「……けが、なおってないよね」
「そんなことはない」
「ぜったいうそ!」
しつこく迫ってくるフィノを面倒に思いながらも、この事をミアに話されでもしたら厄介である。口止めはしっかりとしておいた方が良いだろう。
「お前が心配しても治るものじゃないだろ」
「んぅ、そうだけど」
「それと、この事はミアには内緒にしてくれ。バレたら余計に心配される。いいか、絶対に言うなよ」
「う、うん。わかった」
鬼気迫るユルグの言動に気圧されながらもフィノは頷いて剣を納める。
先に行ってしまったユルグの背を追いかけながら、なぜかすっきりとしない胸の内に首を傾げるのだった。




