痴話喧嘩
徒然と考えを巡らせていると、不意に部屋のドアがノックされた。来客にすぐさまティナが反応してドアを開ける。
来訪した人物はたった今話題に上がっていた皇女様であった。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
「ありがとう、ティナ」
ティナへと笑顔を向けると、彼女は部屋へと足を踏み入れた。
けれど、その歩みはすぐに止まってしまう。
「これは……いったい何が」
室内の荒れ模様に言葉もなく、アリアンネは立ち止まった。ゆっくりと見回して、やがてマモンへと視線が止まる。
「マモン、あれほど穏便にと念を押したのに!」
『話し合おうとしただけだ! 己に非はないぞ!』
「例えそうでも、警戒されては同じことです」
『うっ、面目ない……』
アリアンネのお説教に、しょんぼりと項垂れるマモン。
あの様子を見るに、本当に害意はないように思われる。依然正体は不明だが、警戒は解いても良さそうだ。
静かに剣を納めると、アリアンネの背後から何かが顔を出した。見覚えのあるそれに、ユルグは思い切り顔を顰める。
「なんでお前がここに居るんだ」
アリアンネの背後から姿を現わしたのはフィノだった。
「ユルグがフィノのこと、おいていくから!」
「俺が聞きたいのはそういうことじゃなくてだな」
メルテルから、どうやったら今の状況に追いつくのか。まったく想像できない。フィノに抱きつかれて困窮しているユルグを見かねてか。アリアンネが状況を説明してくれた。
「メルテルまで勇者様を探しに行っていたのですが、どうやら入れ違いになってしまったようで、戻ってくる道中の馬車で乗り合わせていたみたいなんです。先ほど帝都に到着して降りかけのところ困っていらしたので、話を聞いてみると勇者様を探しているとのこと。そこで案内役をお願いして今に至るというわけですね」
どうやらユルグがメルテルを出た後、それに気づいたフィノは帝都まで追いかけてきたみたいだ。
ユルグもそうするだろうなと予想していたし、それについては何も言う気は無い。むしろ文句を言われるのはこちらの方だ。けれど、フィノは置いていかれたことについては特に言及はしなかった。
「何か他に言うことはないのか?」
「……いうこと?」
ユルグの問いに、フィノは天井を見上げて唸り声を上げる。
「ないかなあ」
「いや、一つくらいあるだろ。何も言わずに置き去りにしたんだ」
「フィノ、べつにおこってないよ」
きょとんとして答えたフィノの様子は、嘘を吐いているようには見えない。本当に微塵も怒ってはいないみたいだ。
その様子に未だ抱きついているフィノを引き剥がすのも忘れて、ユルグは困惑する。
普通ならば、あんな理不尽なことをされたら怒って当たり前だ。それなのにフィノには全くその気は無いのだという。
ユルグにはどうしてなのか、理解出来ないでいた。
「だって、おいかければいいだけだもん」
にっこりと微笑んで、フィノは恐ろしいことを言う。ユルグにしてみたら冗談では済まない。
「それだと俺が困るんだが」
「それはフィノもいっしょ!」
確かに着いてくるなと言わないと、公言したのはユルグである。置き去りにしてもフィノに追いかけてくるなとは言えない。そもそも、弟子にしておいてこんな仕打ちをするなんて、余所から見ても十分理不尽である。責められても文句は言えないのだ。
「……わかったから、いい加減離れてくれ」
「んぅ、もうすこしだけ」
ぴったりとくっついたまま、フィノは離れていかない。この状態ではユルグの抵抗も虚しく終わるので、いつもならば気が済むまで放っているのだが今の状況は少しよろしくない。
先ほどからミアがじっとこちらを見つめているのだ。
別にやましいことはしていない。でも、なぜか心苦しいというか気まずい。わざと気づかない振りをしているがそれもそろそろ限界を迎えそうだ。
「……いいなあ」
ぽつりと漏れた呟きに、わざと逸らしていた顔が引き寄せられる。声の主を見ると、そこには羨ましそうにこちらを見つめる幼馴染みの姿があった。
『心の声が漏れているぞ』
「――えっ!? う、うそ!」
マモンに指摘されて、ミアは急速に顔を赤らめた。恥ずかしさに抱いていたマモンの毛並みに顔を埋めて悶絶している。
けれど、それに間髪入れずにアリアンネが追い打ちを掛けた。
「そういえば、ミアは勇者様のことを好いていましたよね」
「ななっ、なに言ってるの!? 変なこと言わないでよ!」
がばっと顔を上げると、抱いていたマモンをアリアンネ目掛けて放り投げる。放物線を描いて宙を飛び交いキャッチされたマモンは何か言いたげだが、文句を言う隙を与えることなく、今度はティナが口を開いた。
「しかし、ミア様。先ほど勇者様に仰っていたではありませんか」
「何を!?」
「勇者様のことが、大切で大事で、好きだと」
ティナの証言に、ミアは息も絶え絶えの状態だった。穴があったら入りたいというのだろうか。そんな心境であるのは容易に想像できる。
冷静に事の成り行きを見守っていたユルグだったが、この件に関しては無関係とは言えないのだ。ミアから向けられる、縋るような眼差しにどう答えたら良いか。悩んだ挙げ句、事実を告げる。
「俺も、そう聞いた」
「――っ、そうだけど!」
肯定すると、なぜかミアは怒り出した。なぜそんな態度を取られるのか。ユルグには全く分からない。何か気に触る事でも言ってしまったのか。
理由を考えても釈然としない中、ユルグに抱きついていたフィノがこんなことを言い出した。
「フィノもすきだよ」
火に油を注ぐような発言に一瞬、刻が止まったかのような錯覚。
フィノを見遣ると、屈託のない笑顔を向けてくるが今は大変よろしくない。さっきの発言もきっと悪意はないのだろう。けれど今はそんなことはどうだって良い。
恐る恐るミアの方を見ると、感情というものが凍り付いたかのように無表情だった。
「こ、これはこいつが勝手に言ってるだけだから。何もやましいことは」
言いかけて、過日の出来事が脳裏を過ぎる。
――そういえば、していたな。キス。
でもあれは不慮の事故というか。フィノが勝手にやったことだし、ユルグもちゃんと言って聞かせた。本人も反省はしている。問題はないと思いたいが、これを知ったらミアはどうするか。
言い淀んだユルグを見て、すかさずミアは詰め寄ってきた。
「ちょっと、何でそこで黙るの?」
「いや、何も。何もなかった」
しどろもどろになりながら答えるが、疑惑の眼差しは向けられたままだ。
「そうだろ?」
「んぅ、……うーん」
縋る思いでフィノに同意を求める。ここは空気を読んで何もなかったと即答してくれれば良かったが、そんなことをフィノに望むのは無謀であった。
「うん、ユルグはなにもしなかったよ」
「……ユルグは?」
じろりミアにと睨まれて、ユルグは息を呑んだ。
これは最早言い逃れは出来ない。腹を括って話した方が良さそうだ。
そもそも、こうして頑なに隠そうとするから拗れるのだ。ミアとはただの幼馴染みで、家族同然の間柄。こちらの色恋沙汰を一方的に責められる謂われはない。
彼女の気持ちを知っている上でこんなことを言うのは、人として最低の言い訳というのは重々承知だが、それでも非難されることはない、はずだ。
「ええと、一回だけ」
「一回だけ、なに?」
「……キス、をした」
「…………っ、き」
瞬間、ミアは目を見開いて固まった。口を開けたまま微動だにしない。明らかにおかしい彼女の様子にユルグも及び腰になる。
こういった時、どうすれば良いのだろう。旅しかしてこなかったユルグには最適解が思い浮かばない。こんなことならカルラやグランツに聞いておけば良かった。
「その、俺が自分からしたわけじゃないんだ。不慮の事故というか、ちゃんと言っておかなかった俺も悪いんだが」
「――……のに」
「……え?」
「私だってしたことないのに……」
悲しいのか悔しいのか。顔を歪めて必死に言葉を絞り出したミアは、肩を落として俯いた。
「……フィノ、なにかわるいことした?」
「どうなんだろうな、これは」
責められるべきは誰なのか。
フィノが誰を好いてもそれは個人の自由というやつだ。他人が侵害出来るものではない。だからといって、あの状況を阻止出来なかったユルグが悪いのかというと、そうでもないような気もする。
助け船を求めようと、女性陣に目線を送るもなんとなく敬遠されているようにも感じる。もの凄く居心地は悪い。
「もうわかった。わかりました!」
ショックを受けていると思っていたミアは、勢いよく顔を上げると突然叫び声を上げた。
「な、なにが?」
「このままじゃいけないってことよ!」
「だから何が!?」
ミアの考えが全く読めないユルグを置き去りにすると、彼女は部屋の入り口に佇んでいたアリアンネへと振り向いた。
「アリア、私も一緒に連れてって」
「良いですよ~」
二つ返事でアリアンネは承諾した。けれど、それを聞いてはユルグも黙っていられない。
「待ってくれ。いくら何でもそれは」
「ミアはわたくしにお願いしたのですから、勇者様が口を出す権利はありません」
二の句も告げず、ぴしゃりとはね除けられてユルグは口籠もる。
そう言われては、こちらからは何も言えない。
「私、決めたから」
「……なにを?」
「今までは黙って待ってたけど、それはもうやめる。これからは何を言われたって着いて行くんだから!」
ビシッと指差して高らかに宣言したミアは、なぜか満足げだった。




