どんなに言葉を尽くしても
「俺は、仲間を置いて逃げ出したんだよ」
静かに締めくくった台詞に、対面しているミアは息を呑んだ。
過程はどうであれ、その一言ですべての説明が付く。
実際はあれが最善で、ユルグにはどうしようもなかった。けれどそんな言い訳など、どうだって良いのだ。
「で、でも……ユルグが悪いわけじゃないでしょ」
「そうだろうね。あそこで俺が残っても何が出来たわけじゃない。仲間の判断は正しかった。でも俺一人が逃げ帰って、のうのうと生きているなんておかしいよ」
「そんなこと」
「俺が勇者だからだ。たったそれだけの理由で生かされたんだ」
仲間であり、師匠である彼らと比べてもユルグは未熟であった。あの場で真っ先に犠牲になるべきなのは自分であったのだ。けれど、勇者であるからそれだけは許されない。何としても生きなければならなかった。
あの場でユルグが生かされた理由は、たったそれだけのことなのだ。
「――それは違うと思う」
そう思いたいのに、ミアはユルグの想いを否定するようにかぶりを振った。
「みんな、貴方が大事だから。大切で死んで欲しくないから、逃げろって言ったんだと思う。決して勇者だからなんて理由で、そんなことはしないよ」
「なん、でそんなの……わかるんだよ。会ったこともないだろ」
「会ったことはないけど、ユルグ、前に話してくれたじゃない。あれを聞いて思ったの。ユルグにとってとても大切な人達なんだなって。貴方にそう思われている仲間が、本当に勇者だからって理由で、そこまですると思ってるの?」
ミアの訴えに、ユルグは咄嗟に答えられなかった。
――本当は気づいていたのだ。
けれど、それを認めてしまったら。直視してしまったらユルグは耐えられなかっただろう。だから、勇者であることに意味を求めたのだ。
もううんざりだと心の中で何度も絶望しながらも、どうあっても捨てきれない。誰が聞いても矛盾しているはずの事に気づきながらも目を逸らし続けてきた。
それを否定してしまったら、今までの全てが無意味なものになってしまうと分かっていたからだ。
「……やめてくれよ」
それなのにミアは隠したはずの事実を突きつけてくる。
「私だってその場にいたらきっと同じ事をすると思う。ユルグのことが大切で大事で、好きだから」
「――ッ、やめろって言ってるだろッ!」
怒声と共に握った拳を膝頭に叩き付ける。
彼女が悪いわけではない。それは分かっている。しかし、ミアがどう思おうがどんなに言葉を尽くそうが、それがユルグに届くことはないのだ。
「それが何だっていうんだ」
「……ユルグ」
「ミアはきっと無事で良かったって言うだろ。生きて戻ってきてくれて良かったって、それだけで十分だって。でも俺はそうは思えないんだ。何をしていたって、どんなことを言われても、死ぬまで後悔し続ける。これから先、俺だけが平穏に生きていくなんて、そんなの許されていいわけないだろ」
今度は何の声も返ってこなかった。
それに内心安堵しつつ、ユルグは終わりを告げる。
「だから、分かっただろ。何を言われたって俺は――」
――戻るつもりはない。
言いかけて、それがユルグの口から漏れる事はなかった。
それよりも早く――背負っていた剣を引き抜いてミアの後方。彼女が腰掛けていたソファの背もたれに、剣先を突き立てていた。
「えっ!? な、にいぃ」
いきなりの出来事に驚いているミアの手を強引に取って引き寄せる。
ユルグの突然の奇行に、傍に待機していたティナも目を見開いて固まっていた。
ユルグが先ほどから睨み付けているものは――おそらくミアの背後にずっと張り付いていたのだろう。
会話に気を取られてすぐには気付けなかった。
『問答無用で斬りかかってくるとは、今代の勇者殿は随分と品がないものだ』
斬り付けたソファの背もたれの後ろから、黒い物体が顔を出した。
前足を背もたれの淵に掛けて、ひょっこりとこちらを覗き込んでいるその姿は犬か狼か。異様なほどにまっくろな姿は不気味である。魔物と言われても遜色はない。
けれどそんな形容よりも理解が及ばないのは、たった今言葉を発したところだ。
「なんですか、あれは」
ユルグの後方、控えていたティナが驚きに声を上げる。
彼女の反応を見る限り、どうやらあれは誰の目から見ても異質のようだ。
そう思っていたら――
「マモン!?」
「……え?」
突然、ミアが声を上げた。ユルグが掴んでいた手を振りほどいて駆け寄っていく。
「どうしてここに居るの? アリアは?」
『アリアンネならば今に戻ってくる。刻限に間に合わないと判断して、己だけ先に寄越したというわけだ』
「そうなんだ」
『そろそろ話し終わりと思って出てきたのだが、勇者殿には刺激が強すぎたようだな』
茶化すように言って、件の魔物はユルグを見た。
ミアとの話し振りを見るに友好的なようではあるが、だからといって油断はならない。
「お前は何だ」
『己はマモンという。良いマモンだ』
「……はあ?」
よく分からない自己紹介をされて、ユルグは眉根を寄せた。質問の答えになっていない。それを再度、問おうとすると先にミアが声を上げた。
「そうなの! この子、とっても良い子だから! 怪しいけど、斬りかかったりしないでね」
「それは俺が判断することだ」
やけに焦っているミアを訝しみながら、剣を手放すことはしない。
未だ警戒を解かないままのユルグの背後。成り行きを見守っていたティナが一歩前へ出た。
「あなたはお嬢様と関わりがあるのですか?」
彼女の詰問に、ミアに抱き上げられた魔物は頷きを返す。
『無関係とはいくまいな』
「何年も行方を眩ましていたのも、あなたが原因ですか?」
『己に問うよりもアリアンネに直接聞くと良いだろう。心配せずとも、じきに戻ってくる』
宥めるようなマモンの言葉に、ティナは口を閉ざす。
それと入れ替わりで、今度はミアがマモンへと尋ねた。
「まって。マモンがここに居るってことは、アリアは今一人なんだよね? それ大丈夫なの? ちゃんとここまで来られる?」
『案内をしてくれる者が付いているから問題はない』
「……心配だなあ」
ミアの腕の中ですっかりくつろいでいるマモンから目を逸らすことなく、ユルグは状況を整理する。
ミアとマモンの言うアリアンネという人物は、デンベルクのヘルネの街で出会ったエルフと同一人物と見て間違いないだろう。そして、ティナの言うお嬢様というのもこれと同じ。ティナの敬い方から見るに、お嬢様というのは例の皇女様であるのだろう。
つまり――いま話題に上がっているアリアンネは、ユルグの同伴者となるわけだ。




