一年前 2
「酒買ってきたぜ~」
機嫌を治せないまま黙っていると、外に出ていたグランツが上機嫌で戻ってきた。
その手には酒瓶が握られている。店で飲んできた上に、宿に帰ってきても酒盛りを続けるみたいだ。
「……え、なんだよ」
けれど、室内の重苦しい雰囲気にグランツはたじろいだ。
「爺さん、あれどうしたんだ? 喧嘩でもしたのか?」
「まあ、当たらずとも遠からず、といったところか」
「ふーん。どうせカルラが余計なこと言って怒らせたんだろ。こういうのはなあ、拗らせる前に早めに謝った方が良いんだぜ」
「アンタにそれ言われたくないわよ! ていうか、それを言える立場にあると思ってんの!?」
「なっ、俺の事はどうでもいいだろ! 話をすり替えるな!」
ギャアギャアと喚き散らしながら口論が勃発する。
そんな二人を放って、エルリレオはゆっくりとユルグの傍へと近付いた。
「ユルグよ」
「な、なに?」
「いま一番したいことはなんだ?」
「……え?」
まったく関係ない話を振られて、ユルグは困惑した。てっきり窘められると思っていたからだ。けれど、ユルグの予想とは裏腹に、エルリレオは真剣な面持ちで尋ねてくる。
「……聞いても怒らない?」
「儂に怒られるようなことなのか?」
「うん、たぶん」
じっとこちらを見つめる赤い瞳に、気まずさを覚えてユルグはそっと目を逸らした。
「俺がいま、一番したいことは……村に帰ってミアの傍にいてやりたい。この前村に帰ったとき、ミアの母親が亡くなってたんだ。でも俺は何も出来なかった。慰めてやるべきだったんだけど、俺の前ではそんな話一つもしなかったんだ。たぶん、心配を掛けたくなくて気を遣ってたんだと思う。だから……本当はこんな旅なんてしたくないんだ。でも、俺は勇者だから。そんな我儘は許されないんだよ」
こんなことは今まで誰にも打ち明けてこなかった。仲間であり師でもある彼らにも口を噤んでいたのだ。
勇者であるのにこんなことを言ってしまえば、ユルグに着いてきてくれている彼らにも申し訳がたたない。非難されるかもしれない。そう思っていたからだ。
けれどユルグの想いを聞いたエルリレオは、そんなことは一つも言わなかった。
しばらく熟考したのち、ゆっくりと。言い聞かせるようにユルグへと告げたのだった。
「今は勇者であることに意味を見い出せぬかもしれん。それを問われても答えられる者はここには居ない。時が過ぎれば分かるのやもしれぬが、お主にそれを待てと言うのは酷な事であろうな」
エルリレオが何を言っているのか。ユルグには理解出来なかった。いや、何を伝えたいのかが分からなかったのだ。
けれど、ユルグを気遣っての発言だということはぼんやりとだが感づいていた。
「お主ら、聞いておったか?」
エルリレオが背後へと声を掛けると、先ほどまで口論していたカルラとグランツがひょっこりと顔を覗かせた。
「そう思ってるなら、もっと早く言いなさいよ」
「お前はたまーにそういう所あるよな」
二人は揃って肩を竦めた。
何を言っているんだと非難されるかもしれない。そうしてユルグが恐れていた事態にはならなかったのだ。
「怒らないの?」
「そんな薄情な奴、ここに居ると思ってんのか?」
どっかりと椅子に腰を下ろして、酒瓶を振りながらグランツは言う。
その言葉に仲間の顔を順繰りに見遣って、ユルグはかぶりを振った。
「……いない」
「確かに私たちもそこまで気が回らなかったものね。私なんて帰る場所もないし、待ってる人だっていないもの」
カルラはユルグのことを羨ましいと言った。そこには確かに憂慮の情が浮かんでいる。
「魔王を倒さない限り旅も続くし、勇者の使命もなくならないけど。でも、大事な人に会えないってわけでもないでしょ? だったら会いに行けば良いじゃない」
「え……いいの?」
「駄目ってことはねえわな」
「シュネー山を攻略したなら、一先ずは手持ち無沙汰であろう。一度故郷に戻るのも良いかもしれんな」
「爺さん、良いこと言うじゃねえの」
「だったら私たちも着いていくから紹介してよ。今までは遠慮して顔も出さなかったけど、一度くらいは挨拶するのが筋ってもんでしょ?」
「うっ……うん」
なぜだかとんとん拍子に話は進んでいく。気圧されながら頷くと、カルラは嬉しそうに破顔した。
そういえばミアも、ユルグの話を聞いて仲間たちに会ってみたいと零していた。喜んでくれるかもしれない。
「良いけど、悪目立ちするようなことはしないでよ」
「グランツ、言われておるぞ」
「なんで俺ばっかなんだよ!」
「儂とカルラは常識を弁えておるからな。何も問題はないよ」
「そうそう」
「納得いかねえ……」
仲間との幸福なひとときに満ち足りながら、未来の情景に想いを馳せる。
――しかし、その約束は果たされることはなかった。




