対話
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アルディア帝国皇帝――ジルドレイとの交渉は、ユルグが予想していたよりもすんなりと締結された。
ユルグの申し出は旅費の工面をしてくれというものだ。いわば金を巻き上げに来たのだが、それに対してジルドレイは二つ返事で了承した。無論そこには魔王討伐の為と嘯いたのだが、それにしてもこれは上手くいきすぎなんじゃないかと、ユルグは訝しんだ。
ユルグの噂は皇帝の耳にも届いているはずだ。
勇者であるのにその責務から逃げ出して祖国から追われている。それは偽りでもないし、例えその真偽を問われてもユルグは否定するつもりなどなかった。下手な嘘を吐いてもいずれ綻びは出る。欺瞞を述べるよりも心変わりをしたと誤魔化す方が、話が通りやすいと考えたからだ。
けれど、皇帝も馬鹿ではない。
ユルグの話を鵜呑みにする代わりに、同行者をつけることを条件としたのだ。お目付役である。監視と言っても良い。
妥当である、とユルグは思った。
以前、仲間たちと旅をしていた時にも、皇帝と顔は合わせていた。しかし、相手もこちらを完全に信用しているわけではないのだ。
であればこれくらいは許されて然るべきだ。当然、ユルグにはこれを断る理由というのがない。
嘘ではあるが魔王を討伐すると言っているのだ。それなのに、同行者はいらない。金だけ欲しいなんて無理を言ってしまえばそれこそ疑念を生みかねない。
流石と言うべきか。やはり一国を治める者だけはある。頭は存外に回るらしい。
件の同行者は、皇帝の言で数日前に国に戻ってきた皇女を付ける事になった。
噂でユルグもそれは聞き及んでいたが、やはり少し腑に落ちない。仮にも自分の娘である。それをこうも簡単に手放すものだろうか。
何か只ならぬ事情があるのだとユルグは察した。けれど人選に口出しは出来ない。
一人旅ではなくなることは憂鬱ではあるが、これも目的を達する為だ。多少の不便は甘んじて受け入れよう。
しかし、待ち人を待っていたユルグの目の前に現れたのは、皇女様などではなく――
「どうして、ここに居るんだ」
唯一の家族である、幼馴染みのミアだった。
「……その格好は? ここで働いているのか?」
「えと、これはその……色々あって」
「ミア様は城内にて軟禁されていたのですよ」
「っ――ティナ! それは別にいま言わなくても」
「いいえ。これについては、勇者様は知っておくべきです」
ミアと一緒に入ってきた女――ティナと呼ばれた使用人は、淡々とした口調で述べた。
予期せぬ事態に、ユルグは軽く困惑する。
どうしてミアが軟禁なんてされているのか。
アルディアに居るのはこの際どうでもいい。デンベルクからここまでユルグを追ってきたのだろう。そこまでする理由が未だ判然としないが、一先ずは納得できる。
けれど、これに関しては上手く状況が飲み込めないでいた。
「……怪我してない?」
「う、うん。そういうのは、全然。だいじょうぶ」
「そうか、よかった……いや、よくないよな」
見たところ、ミアは元気そうである。けれど、軟禁されていたのだ。状況としては良いとは言えない。
ほっと安堵の息を吐いたユルグを見て、ミアは瞠目した。物思いに耽っているユルグはそれに気を割く暇はない。
ミアの処遇にどんな意図があったのか。それをじっと考え込んでいると、対面していたミアが不意に声を上げた。
「びっくりした」
「……なんで?」
「だって、こんなこと言われるなんて、思ってなかったもの」
――こんなこと。
それが何を指しているのか、ユルグにはいまいちピンとこなかった。
黙ったままでいると、ミアは表情を和らげてこんなことを言う。
「ふつう、なんで軟禁なんてされてるんだーって、いちばんに聞くでしょ」
「あ、ああ。そうか」
ミアの指摘を受けてユルグは納得する。
いや、頭になかったわけではないが、それは二の次だったのだ。
「気になるけど、どうせ俺が原因だろ。慌てて問い質すほどのことでもなかったんだよ」
先ほどの皇帝との取引を思い返してみても、それは的を射ているとユルグは判断した。偶然ユルグに先手を超されただけで、おそらく初めから勇者に魔王討伐を再開させる魂胆だったのだ。
それ故にミアを軟禁していたのだろう。
立てた仮説をミアへと説明すると、彼女は頷きを返した。
「うん、それで間違ってないと思う」
「それじゃあ、早くここから逃げた方が良い」
「そっ、そうなんだけど……そうじゃないの」
ミアは違うとかぶりを振った。
少なくともここで呑気に話をしている場合ではないのに、ユルグの眼前でソファに座ったまま、ミアはうろうろと視線を彷徨わせている。
「私、ユルグと話がしたくてここまで来たんだ」
じっとユルグの瞳を見据えて、ミアは告げた。
それに今度はユルグが瞠目する。
――話って、何を話すことがあるのか。
彼女の言わんとしていることがユルグにはてんで理解出来なかった。
村を見捨てて逃げたことに怒っているのならまだ分かる。それについて恨み言の一つや二つを言いに来たっていうのなら、当然のことだと納得は出来た。
けれど、ミアを見ていると殺気立った感じは一切ない。ユルグの記憶の中にいるミアと変わりないのだ。
ミアの発言に戸惑っていると、そんなユルグを置いて彼女はゆっくりと話しだした。
「あのことに関しては怒ってもないし、ユルグを恨むつもりもない。ただ、どうしてあんなことをしたのか。その理由が知りたいの」
「それはあの時言ったはずだよ。俺は勇者なんて」
「――っ、ちがう! そうじゃなくて」
若干、声を荒げてミアはユルグの言葉を遮った。
「……昔のユルグだったら、そんなこと言わなかったでしょ」
「だろうね」
ミアの言う昔とはいつのことなんだろう。きっと子供の頃の話ではない。勇者になって旅をし始めた後の事を言っているのだ。
けれどこの五年間、村に帰ったのは数えるほどしかない。そんな数回程度の記憶で断言されるのは何とも癪である。
「それで、ミアは俺に何を望んでる?」
「ユルグ、私に話してないことあるでしょ」
「……いっぱいあるな」
「秘密にしてることだってある」
「うん、あるよ」
「それ、ぜんぶ話して」
「いやだ」
「なっ、なんで」
「話したくないからだよ」
ユルグの答えを聞いて、ミアは表情を陰らせた。けれどこれだけはユルグも譲れない。
気づけば苛立ちが胸の内に燻り始めていた。自然と声音も口調も尖ってしまう。
「……昔話を聞くために遙々ここまで追いかけてきたっていうのか? たったそれだけのために? 馬鹿じゃないのか?」
「――ばっ、はあ!? いま馬鹿って言った!?」
「いまさら話を聞いてどうなるっていうんだ。無意味だよ」
ユルグの言動に、ミアは両目を見開いて絶句した。わなわなと肩を振るわせて、今にもブチ切れそうだ。
「ユルグにとっては無意味でも、私にとってはそうじゃない!」
拳を握りしめて、ミアはユルグに抗議する。
こうして彼女を怒らせたのは久々だ。勇者となって故郷の村を出て行ったとき以来かもしれない。
「お茶でも飲んで落ち着いてください」
怒り心頭のミアを宥めるように、控えていたティナが横から淹れたての紅茶を差し出した。
「ミア様がお怒りになるのも分かります。私も今の発言はどうかと思いますので」
「あんたには関係ないだろ」
「勇者様にとってはそうでしょうね」
冷ややかな眼差しでユルグを一瞥すると、ティナは一歩後ろに下がった。あくまで余計な口出しはしないということか。
差し出された紅茶を一口飲んで、ミアは小さく息を吐いた。
「だって、ユルグもう帰ってこないつもりでしょ」
「……それは」
「私にだってそれくらい、わかるんだから」
口を付けたカップを置いて、ミアは俯いたまま告げる。
「私ね、ユルグとはずっと一緒だと思ってたの。今は離れ離れだけど、ぜんぶ終わったら帰ってきてくれるんだと思ってた。だからどれだけ時間が掛かっても、独りきりで寂しくても待ってようって思ってたんだ」
それを聞いて、ユルグは何も言えなくなった。
ミアの口から「寂しい」なんて、今まで一度も聞いた事がなかったのだ。
ちょうど一年前、彼女の父親が亡くなってそれから独りきりで暮らしていた事は、ユルグも知っていた。けれど、知っていたからといってユルグにはどうすることも出来なかったのだ。
「……ごめん」
「ユルグが謝ることじゃ」
「――ミアには寂しい想いをさせて申し訳ないと思ってる。でも、この先どんなことがあっても。たとえ、勇者の使命が終わってただのユルグになったとしても。俺はミアの元には戻らない」
ミアにこうして会うまでは多少不安もあった。もし彼女に会ってしまったら、簡単に決意が揺らぐんじゃないかと、心のどこかでそう思っていたのだ。
けれど、こうして口に出してみてユルグは内心ほっとしていた。
本当に心残りは何もないのだ。幼馴染みでさえ、ユルグの枷にはなりはしない。
きっと泣き付かれてたって、振りほどいて彼女の前から去って行ける。そんな確信があった。
「ど、どうして」
「ミアのことが嫌いになったわけではないよ。でも、もう疲れたんだ」
「……つかれた?」
ミアは意味が分からないとでも言うように呟いた。
おそらくユルグの言葉の意味を彼女は理解出来ないだろう。分かってもらおうとも思っていない。誰にだってユルグの気持ちは汲めないのだ。
「……わかった。でも、一つだけ。これだけは答えて欲しい」
まっすぐにユルグの瞳を見据えて、ミアは告げた。
「一年前。ユルグ、酷い怪我をして帰ってきたでしょ。あの時、何があったの」
ユルグにとって、それがどれだけ残酷な仕打ちか、理解しないまま。




