叶うなら
一部、加筆修正しました。
ティナの説明によると、ミアが軟禁されていた部屋は城内の端。離れに位置していた。脱出する際に人目に付かないのは好都合だが、それでも城から城下へと抜けるには正面を通らなければならないみたいだ。
「脱出プラン、何かあるの?」
「そうですね。私が兵の気を引いている内に抜けるくらいしか思い浮かびません。お嬢様が戻ってくれていらしたら、やりようはいくらでもあるのですが」
「……まだ夕刻には少し早いもんね」
人通りの少ない離れの回廊を進みながら、やはり気になるのはアリアンネのことだ。
関所を通った時は、マモンにもユルグの確たる居場所は掴みかねていた。関所を通らずに国境を越えようとしている所までは掴めていたけれど、その後どうなったのかミアには知る由も無い。
けれど、アリアンネは勇者を説得することを条件として出した。つまり、ユルグの居所はそれほど遠くにはないということだ。おそらくアルディア帝国内には居るのだろう。
「たとえ勇者様を見つけられずとも、本日の夕刻までには戻られると仰っていらしたので、それまで待つべきかとも思いましたが……警備の薄い今が脱出するには好都合です」
「……ごめんね」
「どうしてミア様が謝られるのです」
突然のミアの謝罪に回廊の先を見据えていたティナは振り返った。
「私がいなければアリアと一緒に居られたでしょ」
ティナはハーフエルフだが、こうして城勤めの使用人として働かせてもらっている。これはアルディアでは異例のことなのだそうだ。そんな特例が許されているのは、アリアンネの口添えあってのことらしい。
それ故に、ティナは誰よりもアリアンネの事を敬愛しているのだ。
そんな大好きな主人が、生きているのかも分からないまま何年も行方を眩まして、数日前にふらりと戻ってきた。
そんなの、すぐにでも会いに行きたいはずだ。けれど、勝手に話は進んでしまい気づけば事情もよく知らぬ村娘の世話付きにされている。
もっともこれに関しては、信用出来る人物としてアリアンネがティナをお付きに選んでくれたのだ。彼女も甘んじて受け入れてくれてはいるが、それでも城からの脱出は完全にミアの我儘である。
ティナも述べた通り、こんなことをしてしまえば脱出が成功しても失敗しても、その後残される彼女はろくな目には遭わない。
しかし、それでもミアに協力するとティナは言ったのだ。
そんな事情を知っていては、どうあっても罪悪感が胸に募ってしまう。
暗い表情をするミアに、ティナは優しげな微笑を浮かべた。
「ミア様はお嬢様と一緒にいらしたのですよね」
「う、うん」
「でしたら、あの方が底抜けにお人好しなのはご存じでしょう」
ティナはまるで自分の事のように、誇らしげに語る。
今日までの出来事を徒然と思い出してみても、ティナの言うことにはミアも頷きを返す他はない。
「私の時も、その優しさに救われたのです。きっとここにお嬢様がいらしたら同じ事をされたでしょう。ですから、貴女様が謝られることなど一つもないのですよ」
微笑を崩さずに告げると、ティナは前を向く。
彼女は恨み言の一つも言わなかった。もし自分が同じ立場であったのなら、こんなふうに尽くせるだろうか。
自己嫌悪に陥りながらも、既に巻き込んでしまっているのだ。ここで怖じ気づいて戻るなんて事は出来ない。だったら、腹を括って前を向くべきだ。
「ありがとう、ティナ」
「気になさらないでください」
短く答えて、周囲を警戒しつつ回廊を進んでいく。
幸いにも誰ともすれ違うことなく、エントランスのすぐ傍まで来ることが出来た。けれど、喜ぶのはまだ早い。ここから先が関門なのだ。
「何やら城内が騒がしいですね」
不意にティナが足を止めて聞き耳を立てる。ミアも倣って耳を澄ますと確かに、ざわざわと喧騒が聞こえてきた。
「……ほんとだ。何かあったのかな」
「少し様子を見て参りますので、ミア様はここでお待ちください」
ミアを人目に付かないように物陰に押しやると、ティナは喧騒に向かっていった。
しばらくの間、大人しく身を縮めていると回廊の先から誰かの足音が響いてくる。それに慌てて身を引いたミアだったが、その足音はちょうどミアが隠れている物陰の手前にある部屋の前で止まった。
「それでは、お嬢様がお戻りになられるまでこちらのお部屋でお待ちください。後で使用人を向かわせますので、何かありましたら何なりと」
「わかった」
バレないようにほんの少し身を出して、会話をしている声の主を見る。一人は城仕えの執事。もう一人は――
刹那、ミアの目は縫い止められたかのように釘付けになった。
突然の出来事に、呼吸も忘れていた。たった数秒のやり取りだったはずなのに、まるで時が止まったように感じる。そう錯覚するほどに、ミアは目の前の状況を理解出来ないでいた。
ミアの数歩先には、ユルグの姿があった。
ユルグは会話を終えると部屋へと入っていった。案内を終えた執事はそのまま元来た道を引き返していく。
数秒前の状況についていくことが出来ずに固まっているミアを残して、刻々と時間は過ぎていった。
その間、頭の中では疑問符が次から次へと湧いて出てくる。
どうして、なぜ――何十回も脳内で繰り返していると、茫然自失としていたミアの元へティナが戻ってきた。
「どうやら勇者様が城に出向かれたようです」
「うん、私もさっき見たけど……」
「本物でしたか?」
「あれは……うん。ユルグだと思う」
執事の背中越しでよくは見えなかったが、あれはユルグだった。
きっと本人も会話に気を取られてこちらの姿は見えていないはず。
けれど、どうしてユルグがこの場に居るのか。それがミアにはさっぱり分からない。物々しい雰囲気でもなかったし、連行されてきたわけでもなさそうだ。であれば、自分で進んでここを訪れた事になる。
「どうなさいますか?」
思考の整理が付かないまま、ティナはミアへと決断を迫った。
このまま城から脱出するか。それともユルグに接触するか。
いま手中にあるのはその二択だ。
ミアがルトナークから遠路はるばるここ、アルディアまで訪れたのはユルグに会うためである。会って話をするためだ。
あの部屋に入りさえすれば、それはすぐに叶う。けれど、どうにも足が動いてくれない。
「ユルグと、話をしなくちゃいけないんだ。でも、あれだけ聞きたいことが沢山あったはずなのに、何を話したら良いのかわからなくて」
ぽろぽろと口から零れた言葉は酷く弱々しいものだった。自分でも驚くほどに困惑している。きっとそれは傍から見ているティナにも筒抜けだろう。
不甲斐なさに頭をもたげていると、不意に伸びてきた両手がミアの頬を包んで、ぐいっと顔を上げる。
「それだけあの方の事が大切なのでしょう。だったらすべきことは一つしかないはずです」
しっかりとミアの目を見つめて、ティナは言い放った。
愚直な言葉は、すとんと心の奥に収まっていく。
――そうだ。
ミアはユルグが心配で、こうしてここまで追いかけてきたのだ。彼に怒っているわけでも、糾弾したいわけでもない。
大切で、大事な存在だからきちんと向き合って話をしなければならないのだ。
「どうしても足が動かないというのなら、私が背中を押して差し上げますから。一緒に行きましょう」
そっとミアの手を取って、ティナは微笑んだ。
「うん……ありがとう」
この五年間、何があって、どんな想いをしてきたのか。ミアはユルグの事を何も知らない。
彼のことを避けてきたわけでも、わかり合おうとしなかったわけでもない。
けれど、ユルグは優しすぎたのだ。
いつもミアの事を一番に想ってくれていた。自分の事なんて二の次で、心配を掛けまいと必要以上に語らなかった。
だから、ミアはそれに甘えていたのだ。そうして、気づいた時には既に手遅れだった。
いまさらどれだけ悔いても遅い。けれど、もし許されるのなら。
ミアはユルグの笑った顔が好きなのだ。
照れ笑いも、はにかんだあの笑顔も。柔らかな微笑みも。
けれどそれらはすべて、遠い記憶のものだ。
――そうだった。
ミアが切望しているものは一つだけ。
もう一度、ユルグの笑った顔が見たい。
大切で大事な、好きな人の心の底からの笑顔。
それが叶えられるのであれば、ここで蹲ってはいられないのだ。




