恐ろしき物見遊山
アリアンネが用意してくれた馬車はものすごく立派なものだった。
豪華な装飾が施された外装。中はなかなかに広く、長時間乗っていても身体が痛くならないようにフカフカのソファまで完備されている。
御者を務めてくれる使用人の話によれば、ここからまっすぐにルブルクへと向かうのではなく、途中で帝都へと寄るのだという。
なぜだと問いただすと、使用人の彼は皇帝陛下の命であると証言する。
「あ、そう」
「んぅ、お師匠つめたいね」
「これでも抑えてるんだ」
アリアンネに会ったら文句の二つや三つ、すぐに出てくるだろう。あんな性格をしているから、ユルグは彼女のことが好かないのだ。
やれやれと肩を竦めるフィノを正面に見据えていると、そんなユルグを宥めるように隣に座っていたミアが左腕に抱きつく。
「せっかく行くんだし、楽しまないと。ね?」
「わかったよ」
ご機嫌なミアをよそに、ユルグは窓の外を見遣る。
ここから帝都まで向かうとなると、五日ほど掛かるだろう。
それでも以前旅をした時のオンボロ荷馬車と比べれば格段に速い。
「ところで、昨日はどうしちゃったの?」
「えっ?」
「だって私たちが街から帰ってきたら、寝てるんだもの」
ミアに問われて、ユルグは昨日の記憶を必死に辿っていた。確か、ヤケ酒しようと酒場まで行ったのは覚えているが……あそこからどうやって帰って来たのか。まるで分らない。
「お師匠、酔っぱらいだったんだ。だから――んぐっ、マモンに頼んだの」
『酒に呑まれるとは情けない。ああ、情けない』
ユルグの対面にいるフィノはその隣にいる黒犬のマモンへ相槌を打ちながら、どこからか取り出した酒瓶を開けて瓶から直接飲んでいる。
まだ出発して一時間も経っていないというのに……羽目を外しすぎじゃないか?
「お前、そんなもの持ってきてたのか?」
「だって、ミアがせっかくだしって」
「いいじゃない。少しくらい」
二人は呑気なことを言うがユルグは知っている。フィノは酒癖が悪いのだ。以前、宿で酒盛りをしていた時のことを思い出して、ユルグは顔を顰めて腕を伸ばす。
酒瓶を奪い取ろうとしたが、手は空を切った。
「んぅ、お師匠も飲む?」
――しかたないなあ。
背嚢から取り出したマグに酒を注いでそれを差し出してくる。
ユルグはそれに戸惑いながらも受け取ってしまった。
「いや、別に飲みたいわけじゃ」
「むぅ! フィノのお酒、飲めないの!?」
「はあ?」
意味の分からないことを言ってくるフィノにユルグは頭を抱えた。
ミアは我関せずで微笑みながら見守っているし、マモンは寝たふりを決め込んでいる。
ということは、こいつの相手をするのは一人しか居なくなる。
「いいか。お前は自制が出来ないからこれは俺が預かる」
強制的にフィノの持つ酒瓶と先ほど貰ったマグを交換する。
「お師匠ひどい!」
「酷くない。なにも酷くない」
何とかフィノを宥めると、ユルグはそこで弟子に説教をすることにした。
街道を進むとは言え旅に危険は付き物だ。そんな状況で酒を飲んで気を抜くやつがあるか!
わかってるのか、と詰め寄るとフィノは気まずそうに視線を逸らした。
「だって、マモンもいるし……」
「言い訳をするな」
「ひぃん、……ごめんなさい」
変な声を上げて項垂れるフィノに、ユルグは溜息を吐く。
それを見かねてか。横からミアが口を挟んできた。
「昨日一緒に買い出しにいったのよ。フィノ、すごく楽しみにしてたの」
――旅行なんて初めてだから。
そう言って、ミアはユルグを窘めた。
言われてみればこれまでの旅は何か目的があってのものばかりだった。それだけフィノも気を張っていたのかもしれない。行楽としてこうして出かけるのは初めて。
そこまで考えてユルグは考えを改めた。
「俺が悪かったよ」
反省したユルグは先ほど奪った酒瓶をフィノに返して、マグを受け取る。
さめざめと泣いていたフィノはそれに瞠目してユルグの顔色を窺った。
「……いいの?」
「飲みすぎるなよ」
その一言でフィノは笑顔になって、また直飲みを始めた。
こいつ分かってるのか、とは思ったがもう何も言うまい。
ふと貰ったマグの中身を見て、ユルグはそれに口をつけた。
「う――っ、な、なんだこっ、げほ」
フィノがああして直飲みしている酒はとんでもなく強いものだった。少し口に含んだだけでも咽るほどだ。
喉が焼ける不快感と目の前で水でも飲むように呷っている弟子を見て、ユルグは顔を引き攣らせた。
……やっぱりあれ、捨てた方が良かったかもしれない。