新しい仕事
仕事の件が決まったことで、翌日――ユルグは町長の元へと訪れていた。
指南役を快諾すると、彼は満足げに頷いて。それから急にこんなことを言うのだ。
「ユルグ殿は、これから何か予定でもありますかな?」
「いいや、特には」
「ならさっそくお任せしてもよろしいか?」
町長が言うには、龍殺しが自警団の指南役をやってくれるという噂がすでに出回っているらしい。
それゆえ、自警団員のほかに野次馬。見物客。より取り見取りであると。
つまり――急な招集にも来てくれるし、皆楽しみにしているのですぐにでもお願いしたい、ということだった。
……とても期待されている。
けれど請け負った手前、できませんで断るのも気が引けた。
「わかったよ」
「では訓練場までご足労願います」
街の広場から西にある通りを抜けると、小さな訓練場があった。
ユルグがそこに向かうと、なぜかすでに人だかりが出来ている。
……もしかして、これがすべて見物人なのだろうか。
気は進まないが仕方ない。覚悟を決めて皆の面前へと向かうと、至る所から視線を感じる。
「こちらが今日から指南をしてもらうユルグ殿だ」
「よろしく」
素っ気ない挨拶を交わすと、目の前に並んでいる団員たちは値踏みするような眼差しを向ける。
「まだ全然若いぜ」
「あの人がドラゴン、倒したんだ」
「あんまり強そうに見えないかも」
「もっと大男かと思ってた」
口々に言い合う彼らは性別も年齢も種族も様々だった。その中の一人が、一歩前に出てくる。
「アンタ、本当に強いの?」
「――っ、こらグレン! 失礼ではないか!」
隣に立っていた町長は焦ったように声を荒げて窘める。
けれど叱責されたハーフエルフの男――グレンは特に気にも留めずに尚も不満を口にする。
「だってよ、俺より背も低いし細身だし。信じらんねぇ」
そう言った彼の体格はかなり恵まれたものだ。上背もあるし、衣服を着こんでいても分かるくらいには恰幅もある。
それでいて年齢も見た目で考えるとユルグと同じくらいか。
妥当な所感であるとユルグは思った。
「なら、試してみるか?」
グレンの言葉に腹を立てることもなく、ユルグは訓練場にあった剣を二本掴む。
それにグレンは一瞬たじろいだが頷いた。
「剣を握ったことは?」
「ばっ――馬鹿にすんなよ! そんなの何回も」
「だったら話が早いな」
グレンの面前に立つとユルグは彼に剣を渡した。
それを受け取った青年は柄を両手で持って構える。
ユルグの目から見て、目の前の青年は戦闘経験が乏しいように見えた。構えはなっているが、肩の力が抜けていない。剣先も少し下がっている。重心の掛け方がおざなりだ。
今のグレンの様相を見て、ユルグは何だか懐かしさを覚えた。
初めてグランツと剣の稽古をした時のことを思い出したのだ。もっともあの時のユルグよりは、今のグレンは様になっている。
「それじゃあ、俺に向かって打ち込んでみてくれ」
「……っ、言われなくても!」
グレンは駆け出すと両手で持った剣を大きく掲げて、振り下ろした。それを真正面から受け止める。
力強い剣撃だ。これを片手で受け続けるのは得策とは言えない。けれど上段からの打ち込みばかりだ。軌道が簡単に分かってしまう。
おそらく独学なのだろう。力はあるが技術が伴っていない。
だから――
「う――おっ」
今まで受けていた大振りの一撃を半歩、捻って交わすとグレンは勢い余って膝から崩れてしまった。
その背後から首筋に剣先を向けて、黙ったままの彼に告げる。
「今のは力が入りすぎていた。自分で少し弱いって思うくらいの力でやってみるといい」
「――っ、クソが!」
ユルグの助言に、グレンは黙っていなかった。
振り向きざまに横薙ぎに振るった刀身は、ユルグのガラ空きの胴体目掛けて迫ってくる。それを剣で防ぎながら、ユルグは目を見張った。
――先ほどよりも、力の入りが弱い。
目に見える変化にユルグはグレンを凝視する。
やけくそに見えるさっきの一撃は酷く冷静なものだった。
公衆の面前で無様な結果に終わったのだ。怒って向かってきてもおかしくはないのに、彼はそれをしなかった。
しっかりとユルグの助言を聞いて、それに従って一撃を入れてきたのだ。
内心、それに感心しながらユルグは立ち上がったグレンからの猛攻を捌く。
力の調節をしたことで先ほどよりも彼の剣撃は勢いを増していた。未だ剣筋は読みやすいが……相手の息が上がりきっている。
ここらで一度終わらせた方がいい。
連撃の隙間を縫って、打ち付け合った刀身を滑らせる。相手の剣先を右方に逸らして隙が出来たところで、右手に握っていた剣の柄頭で軽くグレンのこめかみを小突いてやった。
「ぐ――っ」
息が上がっていたこともあって、衝撃で彼は剣を取り落とした。
しりもちをついて頭を押さえるグレンにユルグは左手を差し出す。
「どうだった?」
「……」
グレンは少し戸惑ったあと、無言でユルグの手を取った。
立ち上がって、何やら言いたそうにしていたが……それを周りは待ってくれなかった。
「うおおお、いいぞ兄ちゃん!」
「流石、龍殺し!」
「これでこの街も安泰だな!」
沸き起こる歓声に一瞬ユルグはたじろいだ。
こんな仕事を請け負った手前、遅すぎるのだろうが……注目されるのには慣れていない。どう反応していいか困っていると、グレンはユルグの手を解いてふらふらと離れていった。
何か言われると思っていたのに、何もない。気掛かりではあるが今はこちらだ。
騒がしくなる周囲を収めるように、町長が手を打ち付ける。
「そういうわけだ。これからはユルグ殿に手解きを授けてもらう。皆、異論はないな?」
鶴の一声で、喧噪も野次馬も。すべてが引いていった。
「ふむ。それではよろしく頼みましたぞ」
「ああ」
頷いて、ユルグは団員たちと向き合った。
色々あったが、任された仕事はきっちりとこなさなければ。
――一時間後。
ひとしきり、団員たちに指南をして今日は解散となった。
ふと目を向けると、訓練場の端にあるベンチにグレンが座っていた。心ここに非ずといった呈で、先の指南の時もなんだか上の空だった。
彼の態度が気になって近づくと、ユルグの気配に気づいたのか。
「俺……アンタのこと、貶めたかったわけじゃないんだ」
グレンは顔を上げてぽつりと呟いた。
申し訳なさそうに眉を下げて、ごめんと彼は詫びた。ユルグとしてはまったく気にしていなかったので、特になんとも思っていなかったのだが。本人は酷く思い詰めているようだった。
「あのドラゴン、倒したんだろ?」
「ああ、そうだな」
「この街であいつに最初に殺されたの、俺の両親なんだ。……敵を討ちたかった。でも俺じゃどう頑張っても無理だってわかってたんだ」
グレンは俯きながら胸中を吐露した。それを黙って聞き入る。
ユルグには彼の気持ちが痛いほど理解できた。自身の無力さも、何もできない悲壮感も。すべて一度、経験したことだ。
「だから……本当に感謝してる」
――故に、この青年も立ち上がって前を向けるはずだ。
「俺も世話になった師匠があいつに殺された。だからお前の気持ちはわかってやれると思う」
「そう、なのか……はは、やっぱアンタすげえよ」
グレンはやるせなく笑って、それからまっすぐにユルグを見つめる。彼の表情には先ほどの陰鬱としたものは感じられない。どこか晴れやかな顔をしている。
「その、これからよろしくな」
「ああ、よろしく」
握手を交わすと、グレンはしっかりと握り返してくれた。
そうしていると――遠くから呼び声が聞こえてきた。
「お師匠!」
振り向くとフィノの姿が見える。マモンはいないみたいだ。おそらくアルベリクの傍にいるのだろう。
「どうした?」
「エルがこれ、ミアに届けてって。薬草、はいってる」
「わかった」
「んぅ、もしかしてお仕事中?」
「いいや、もう終わったよ」
フィノはグレンを目に留めると興味深げに尋ねた。大方、自分の師匠が他人といるのを珍しがったのだろう。
「あの、その子は?」
「フィノだ。一応俺の――」
「かわいい」
「は?」
グレンは胸のあたりを押さえてベンチから立ち上がった。
先ほどから視線はフィノを捉えて離さない。
「初めまして、お嬢さん。俺、グレンって言うんだ」
「お嬢さん!?」
手を差し出されて、フィノは困惑している。もちろん、ユルグもだ。
「お師匠、この人って」
「……自警団のやつだ」
それを聞いて、フィノは一瞬固まる。
……たしか、この人たちに指南をすると言っていた。なら、ユルグにとっては弟子になる、ということだ!
昨日は良いことだと喜んだけど、今になって事実を目の前にすると、なんだかもやもやする。一番弟子だと安心してたけど……もしかしたら、取られてしまうかも。
「お……っ、ユルグはフィノのだから。絶対に渡さな――んぐっ」
「ばか、お前なに変なこと」
慌ててフィノの口を封じる。けれど一歩遅かったようで、こちらを見るグレンの眼差しが鋭いものに変わった。なんだか恨み辛みが感じられる。そんな目つきだ。
「も、もしかして……恋人とか」
「ちがう! 違うからな! そもそも俺には妻がいるんだ!」
「じゃあ、浮気ってこと……」
「だからそんなんじゃないって」
「フィノはユルグの一番弟子だから! 誰にも渡さない!」
胸を張って宣言したフィノに、ユルグは呆れ果てて言葉も出なかった。
「なあんだ、そうだったのか。心配して損したぜ」
「言っておくけど、こいつはやめた方がいいぞ」
「なんでだよ。かわいいのに」
疲れ切ったユルグはさっさとその場を後にした。
追いかけてこようとしたフィノは、不運にもグレンに捕まったようで口説かれている。
「……もう知らん。勝手にすればいい」




