ボタンの掛け違い
今まで忙しなかったユルグの日常は穏やかなものになりつつあった。
思えばこれまでのユルグは、まともな状態でミアの傍に居られた試しがなかった。大怪我を負って療養しているか、数日居たと思ったらすぐに別の場所へ行かなければならないか。他の用事があって留守にしているかだった。
それを考えればミアにはとてつもなく心労を掛けたことを実感する。内心猛省して、ここ数日山小屋での生活を送っていた。
といっても、存外にやらなくてはいけないことは沢山ある。
朝夕の外での雪かきに食事の準備。炊事洗濯、その他諸々。ミアが動けないからそれらはほぼユルグの仕事だ。体力的には問題ないが、いささか大変であることには変わりない。
「ねえ、ユルグ」
「なんだ?」
「あなた、少し働きすぎじゃない?」
向かい合って朝食を摂っていると、不意にそんなことを言われてしまった。口の中に詰めたものをお茶で流しながら、ユルグはミアの不満を聞く。
「あなたがいない間カルロに居てもらってたけど、こんなに忙しくはしてなかったのに」
「それはあいつがものぐさだからだろ」
「そういうことじゃなくて!」
ミアはそんなに根を詰めるなと言いたいらしい。けれどユルグにしてみればこれが普通なのだ。何も無理はしていないし、忙しいのを億劫だとも思っていない。
「そう言われてもな……」
朝食を終えたら薪割りが待っている。今は外の天気も荒れていないし、先に済ませておかなければ。
「……ごちそうさま」
「あっ、ちょっと」
まだ話は終わっていないのを無視して立ち上がると、薪割り斧を持ってユルグは外に出て行った。その後姿を見送って、ミアは大きな溜息を吐く。
ミアが出来ない分雑用すべて、任せっきりなのも悪いのだが。それにしたって働きすぎだ。もう少し二人きりの生活を楽しんだって罰は当たらないだろうに。
「喧嘩したいわけじゃないんだけどな」
心中を吐露しても、答えてくれる人は誰もいない。
悶々としていると誰かが小屋のドアを叩いた。
「薬師殿はいらっしゃるか」
「あ、助手サン」
「朝早くに失礼する」
尋ね人は機械の身体をした隣人、ゼロシキだった。
彼は籠に薬草をたくさん詰めてミアの元を訪れた。ここ数日はよく顔を合わせていて、そのたびに世間話をしている。ユルグが外に出ている間のミアの話し相手のようなものだ。
「これって、解熱剤の材料ね」
「近頃、熱病が流行っていると聞く。余分に作っておいた方が良いというのが老師の意見だ。手前もそれには同意する」
「うん。そういうことなら、ちょっと待ってね」
棚から道具を取り出して、テーブルに並べる。
ミアの薬師としての腕は一人前のレベルにまでなっていた。エルリレオにもお墨付きをもらっていて、こうして薬を作っては街に卸してもらっているのだ。
「そうだ。助手サン、朝ご飯は食べてきた?」
「いいや、先の用事がこれだった」
「だったら食べていってよ」
「いいのか!?」
「もちろん。時間かかりそうだし、待っているあいだ暇でしょう?」
ゼロシキを食事に誘うととびきり嬉しそうにする。ミアはその反応を見るのが好きだ。
機人というものの生態は全く知らないミアだが、どうにも彼は食事が好きみたいで食べっぷりがとてもいい。なんというか、見ていて気持ちが良いのだ。
「そういえばこの間エルから聞いたんだけど、もう少ししたら街を出るって本当?」
「んぐっ……そうだ。腕を直すための素材と道具が必要でなあ」
「ここ田舎だから鍛冶師もいないもんね」
「老師には許可をもらっている。七日もあれば戻ってこられるはずだ」
ユルグと一緒に来たゼロシキは、あれからエルリレオの元で暮らしていた。なんでも二人は性根が合うみたいで、ついには老師と呼んで慕っているくらいだ。
「早く直るといいね」
「片腕では何かと不便でなあ。他にもガタがきているから直したいのだが、なかなかそうもいかんのだ」
「色々大変なのねぇ」
「そういう薬師殿は浮かない顔をしているが、何かあったのか?」
「え?」
「老師から聞いているが、もしや体調が優れないのか?」
「う、ううん。身体の方は大丈夫」
否定して、ミアは言葉を選ぶ。
「一緒に居ても、気持ちって上手く伝わらないもんだなって」
「ああ、あの男のことか」
ミアの一言でゼロシキは感づいた。二人の関係もエルリレオから聞いており知っている。だからこれが厄介な問題だということも承知しているのだ。
「心というものはいつの時代も厄介なものだなあ」
「……そうだね」
「だが、手前のように老碌はしてないはずだ」
ゼロシキは旅の途中で見たユルグの様子を思い出していた。彼がミアを思う気持ちは真摯なものだった。それが無くなってしまったとは思えない。
「心配せずとも、あの男は理解しているはずだ」
「うん……」
「言葉足らずなのは否定しないがなあ」
===
二人の話をユルグは小屋の外、入口の壁に寄りかかって聞いていた。
薪割りが終わり戻ってこようとした時に、誰かの足跡を見つけて伺っていると会話が聞こえてきたのだ。
それもどうにも自分のことを話しているような、そんなものだったから中に入るに入れない。
手持ち無沙汰にしながら白む息を吐き出して、思案する。
ミアの言いたいことは分かる。念願だった何もない日常を送れるのだ。忙しなくする理由も、生き急ぐ理由も何もない。
けれど今までそういった生き方をしてこなかったユルグにとっては、その何もしないが難しい。
ずっと望んできたことなのに、いざ手に入ったらこんなにもあぐねるものだとは。
考え込んでいるといつの間にか二人の会話は止んでいた。それに気づいた直後、小屋の扉が開く。
「しっかり話してやると良い」
ユルグがここに居ることが分かっていたかのように、ゼロシキはそんな言葉をかけると片手を振って去っていった。
その後姿を見送ってから、ユルグは肩に積もっていた雪を振り払って扉を開ける。
室内に入るとユルグの帰りを待っていたのか。ミアは笑って出迎えてくれた。
それに少しの罪悪感を覚えながら、持っていた斧を立てかけて椅子を引く。
「さっきはごめんな」
「もう気にしてないのに」
「……落ち着かないんだ。何かしてないといけないような気がして。ミアに言われた通り、働きすぎだな」
苦笑して言うと、ミアは少し困ったような顔をした。いや、あれはきっと呆れているのだ。
「この子が産まれたら、もっと忙しくなるんだから。私もあなたも」
「うん」
「ユルグ、父親になるんだよ」
「父親……」
ミアの一言に顔を上げる。
分かっていたことだが、改めて指摘されると思うところはある。
「俺が父親になれると思うか?」
「大丈夫よ。ユルグ優しいから」
「……おじさんは厳しかったな」
「そうね。お父さんは誰にでもそうだったから」
父親にはよく叱られたものだった。ほとんどがミアのいたずらに巻き込まれて一緒に説教をくらう展開だったが。
ああいうのが父親というのなら自分がそうなれるのか。まったく想像がつかなかった。




