唯一の居場所
ティナの訪問から三日、ユルグたちはやっとの思いで帰ってきた。
疲れは溜まっているがユルグの足取りは軽やかだった。到着する前日なんて、ソワソワしっぱなしだった。付き合いが浅いゼロシキにさえ何かおかしくないか、と指摘されるくらいだ。
それもそのはずだとフィノは師匠に同情する。
手紙を出していたのは知っていたけれど、あれは返事が来るものではない。残してきた妻の近況は知れず、加えて一月以上顔も見れなかったのだ。浮足立っても仕方ないというものである。
「お師匠、先にミアのところ、行くよね?」
「ああ、エルたちにはよろしく言っておいてくれ」
邪魔をしないようにと気を利かせてくれたフィノは、マモンとゼロシキを引き連れて街の中へ入っていった。それを見送ってユルグは山道を登っていく。
雪道を歩きながらユルグはミアの言っていたことをやっと理解できた。
出立する前、心配だからエルのところで面倒を見てもらえとユルグは提案した。それに彼女は山小屋で待っていたいと言ったのだ。
――一番におかえりって言ってあげたい。
そう言ってはにかんでいたミアのことを思い出す。逆の立場だったなら、ユルグもそうしただろう。
脳裏に愛しい人の顔を思い浮かべながら、ユルグは小屋のドアを開けた。
「ただいま」
小屋の中にはミア一人だけだった。カルロはおそらく街にでも行っているのだろう。
ユルグの姿を一目見た瞬間、ミアは駆け寄って抱き着いてきた。
「おかえりなさい」
「遅くなってごめんな」
応えるように抱きしめて額に口づける。そうすると照れたような笑みが返ってきた。
「ううん、いいの。カルロもいたし、手紙もくれたでしょう?」
どうにもミアはユルグが手紙を書いてくれたことがとても嬉しいようだ。あれのおかげで寂しくはなかったという。
「俺は寂しかったよ」
苦笑して聞こえてきた声にミアは驚いた。ユルグが真正面からこんなことを言ってくるとは思わなかったからだ。
「ど、どうしちゃったの!?」
「そんなにおかしなこと言ったか?」
「うん、びっくりしちゃった」
嬉しさ半分、驚き半分なミアの声音にユルグは改まった。
エルレインに言われたことを思い出して自分なりに行動に移してみたけど、いきなりは驚かれるみたいだ。
「少し反省したんだ」
「なにを?」
「ちゃんと伝えなきゃいけないって……そんなにおかしいか?」
真面目に話していたのに、そんなユルグの様子が可笑しいのか。ミアは目尻に涙を浮かべて笑っていた。
「ううん。嬉しい」
幸せそうな笑顔にユルグの表情も緩む。そうだ。ずっとこれが見たかったんだ。
心が満たされるのを感じながら、ユルグはそっと体を離す。
「フィノはエルのところ?」
「うん。もう少ししたら戻ってくるはずだ」
荷物を降ろしながら、他愛ない話をする。ユルグもだが、ミアも話したいことは沢山あるみたいで、お茶を淹れながら話に花が咲く。
「長旅で大変だったでしょう? お疲れ様」
「まあ、色々あったからな。それでも、無駄ではなかったよ」
でも、とユルグは続ける。
「ミアの傍を離れるのは金輪際なしだ」
「どうして?」
「心配だっていうのもあるけど、俺がもたない」
誤魔化すようにお茶に口をつけるユルグを見て、ミアは本当に変わったなあ、と内心驚く。こんなこと、今までだったら絶対口に出さなかった。今回の旅が無駄ではなかったというユルグの言葉は真実みたいだ。
「ミアはどうだ? 体調、辛くないか?」
「元気だよ。辛くもないし……あっ」
何かを思い出したかのように、ミアは戸棚を漁るとユルグの傍に寄ってきた。何事だとその様子を見ていると、彼女の手に何かが握られているのが分かる。
「ユルグに渡したいものがあるの」
「うん?」
「前に言ってたでしょ」
いつの間に用意したのか。そこには指輪があった。ゴテゴテの装飾はないシンプルなもの。それを手に取って左手の人差し指へとはめてくれる。
「はまらなかったらって思ってたけど、ぴったりね」
「これ、ミアが選んでくれたのか?」
「うん。カルロにも手伝ってもらったんだけど……どう?」
「ありがとう。こんなの形式的なものだと思ってたんだけど、意外と嬉しいものなんだな」
「なあに? いきなり」
「しあわせだなって思ったんだ」
感慨深げに呟くと、ミアは眉間に皺を寄せてユルグの顔を覗き込んできた。
「なんかユルグ、変だよ」
「そうか?」
「……何かあった?」
ミアの指摘にユルグは少し考え込んだ。何かあったか……心当たりはある。
「帰りにフィノと話してたんだ。その時、昔のことを思い出した」
「それって」
「ミアと会う前の話だ」
ぽつぽつと話される言葉を、ミアは静かに聞いていた。
昔の話は二人きりのとき思い出話としてたまにするけれど、今回の話はユルグの口から初めて聞くものだった。つまり、ミアの知らない話だ。
「私と会う前……」
「初めて会ったとき、ミア。俺になんて言ったか覚えてるか?」
「……」
ユルグの問いかけに記憶を辿る。子供の頃の記憶は曖昧ではっきりとは思い出せない。それでもこれだけはしっかりと覚えていた。
「確か、ユルグ一人だったよね」
「どうしてこんなところにいるの、って聞いてきたんだ」
「うん……」
その一言で思い出した。
ミアがユルグと会う、二日前。村の端で火事があったのだ。大人たちが騒いでいたのを覚えている。その日の夜、騒ぎから戻ってきた父親がとても怒っていた。何に対しての怒りなのか、幼いミアには知れなかったがあんなにも怒っている父親を見たのは初めてだった。だから興味が湧いてしまった。
両親からは火事のあった場所には近づくなと言われていたけれど、ミアはこっそりその場所に行ってみた。
そこで、ユルグと出会ったのだ。
「火事があっただろ」
「うん」
「俺の両親は病で腐って死んだ。それを村人たちが見つけて、家ごと燃やされたんだ」
知らなかった事実にミアは絶句した。きっと村の大人たちは事情を知っていたのだろう。だから、父はあんなにも怒っていたのだ。
昔の話だからとユルグは淡々と語る。ミアはそれを黙って聞いていた。
「別にそのことは恨んじゃいない。でも、あの時から俺の居場所はどこにもないんだ」
ミアの家族と暮らしていた時も、村を出て勇者として旅をしていた時も……魔王となった後も。
「そんなこと」
「分かってるよ。今はそうは思わない。やっと気づけたんだ。ここが、ミアの隣が俺の居場所なんだ」
はめてもらった指輪を眺めながら、穏やかな声音が聞こえる。
それに応えるように、ミアはユルグの頬に触れるとそっと唇を重ねた。
「ごめんね。気づいてあげられなくて」
「謝らないでくれよ。いま、とっても幸せなんだ」
「ふふっ、そうね」
幸せそうに笑う様子にミアは心の底から安堵した。
きっと、もう何も心配はいらない。この人はちゃんと笑って生きていけるだろうから。




