探求者の苦悩
マモンを連れて戻ってきたフィノが今後の予定を師匠に聞くと、ユルグは帰ると即答した。
そうだろうなと思いつつ、新たに加わった同伴者を交えて、長い帰路に思いを馳せながら歩き詰めていると、道中立ち寄った宿屋にて。
――ついに我慢の限界がきてしまったみたいだ。
「この、いい加減にしろ!」
黒犬のマモンの首根っこを引っ掴んで放り投げると、それはゼロシキの顔面に直撃した。今まで饒舌だった口は閉ざされ一瞬の静寂が訪れる。
「何をする!」
『理不尽だ!』
両者から非難の声が上がるのを聞かずに、ユルグは立ち上がると未だマモンが顔面にへばりついたままのゼロシキの背中を押した。
「俺の忠告を聞かなかったお前らが悪い」
「んぇっ!?」
同時に首根っこを掴まれたフィノは驚愕しながら目を丸くした。固まったままでいるとそのまま三人とも部屋の外に放り出されてしまったではないか!
「フィノ、何もしてないのに!」
師匠に無実を訴えるも、部屋の中から返事がくることはない。落ち込んでいるフィノとは対照的にゼロシキは仕方ないな、と肩を竦めていた。
「堪え性のないやつだなあ」
『……』
床に降りたマモンはゼロシキの言動に無言を貫いた。色々と憤っているに違いない。二人の様子を見てフィノは嘆息する。
「いまの、悪いのだれ?」
「……多少は非があったと認めよう」
「少しじゃなくてたくさん!」
フィノが詰め寄るとゼロシキは納得いかないながらもすまないと謝った。
「仕方ないだろう。こうして外界に出るのは初めてだ。心躍るのも――」
『口数を減らせということではないか?』
「……善処するが、なあ」
見たところ、ゼロシキには罪悪感というものを感じられない。
「お師匠、ミアに手紙かくんだって。静かにしてないと」
部屋の前で声をひそめて、フィノは二人に言い聞かせる。
部屋をもう一つ取ればいいという話だが、帰りの路銀を考えると贅沢は出来ないのだという。ひとり分、余分にかかってしまうからだ。
それを言われてしまえば文句も喉元を過ぎて出られない。
「だから終わるまで外にいってよう」
『うむ……今はそれが良いだろうな』
「ならば手前の用事に付き合ってもらおう」
何を言いだすかと思えば、ゼロシキは観光に行きたいのだという。連れまわしていれば少しは落ち着いてくれるだろうとフィノはそれに了承した。
足元にいたマモンを抱きかかえて、ゼロシキを連れて街中に繰り出す。
といっても今いる街は観光名所というわけでもない。デンベルク国内の田舎町である。しかしゼロシキにとっては見るものすべて新鮮に見えるらしい。
「ふむぅ……なかなかに素晴らしいなあ」
「なにが?」
「家屋の建築様式だ。石造りだが建材は削りだしたわけでもなく繋ぎがある。その割には安定しているだろう?」
「うーん……」
普通の家屋をしみじみと見つめながらゼロシキは満足げに頷いている。しかしフィノにはいまいちピンと来ない。マモンも黙っているから同じ所感なのだろう。
「これの何がすごいの?」
「知識と技術力だ。これだけは何物にも代えがたい。手前はすべてを覚えていられないが、だからといって知識の探求だけは止めようがない。意味のない行為だと思うか?」
「えっと……」
自虐的な物言いにフィノは言い淀む。
他の種族にとってはそれが当たり前であるが、機人であるゼロシキにとってはやはり異質なのだろう。
「フィノは、そう思わないよ」
「そうだ。未知を知る行為は偉大である。だから知り得たことは留めておかなくてはならない。造られてから幾年経ったが、やっとそれに思い至ったところだ!」
大仰に言うとゼロシキはどこからか紙と羽ペンを取り出して書き物を始めた。それを遠巻きに眺めるふたり。
『あやつを黙らすのは至難だぞ』
「んぅ……どうしよ。またお師匠に怒られちゃう」
『今回は折れてもらうしかなさそうだ』
お手上げだとでも言うようにマモンは耳を垂れた。心なしか元気がなさそうである。
というのも、追い出された原因というのがゼロシキからの、マモンに対する質問攻めだったからだ。機人から見てもマモンの存在は異質であり大変興味をそそられるものだったらしい。加えてこの性分である。
その結果が今の状況だ。
けれど如何せん、限度というものがあるだろう。
「時間、たくさんあるから。少し落ち着こう」
「ううむ、そうは言ってもなあ」
「お師匠、怒らせるといいことないよ。ご飯抜きって、いわれるかも」
「うっ……それは困る」
飯抜きに反応するとは思わず、フィノは内心驚いた。食事は必要らしいが、てっきりマモンと同じものだと思っていたからだ。
「機人もおなか空くの?」
「空腹や飢餓感はない、だが……私は美食家なのだ!」
『これまた厄介な』
胸を張ったゼロシキにマモンは嘆息した。フィノにも何となく言いたいことがわかってしまう。
「んぅ、それって……」
「どうせ食事をするなら美味いものが食いたいだろう」
「そうだけど……おいしいものっておかね、高いんだよ?」
「もちろんそこは配慮するが、如何せん古い身体だ。味覚を遮断出来ればいいが、それが出来ない」
彼には珍しく、落ち込んだ様子で語ってくれた。こればっかりはどうしようもないのだという。
腐ったものや不味いものを食べろと言われたらフィノだっていやだ。気持ちはわかる。
「ゼロシキ、他の機人と違うところ、たくさんある?」
「最初に造られたからなあ。違うところは多い。機能も造形もだ」
『みな同じヒト型ではないのか?』
マモンの問いにゼロシキは頷いて見せた。
「通常はヒト型だが、変形できるものもいた。四足の者、空を飛べる者。まあ、どれも手前には無い機能だがなあ」
笑い飛ばしたゼロシキを見て、フィノは便利なものだなと思った。空を飛べるなんてどこにでも行き放題だ。
けれどそんな機人たちでも長くは生きていけなかった。それを思えばゼロシキが見返してやると言ったのも少しは理解できる気がする。
「そういうわけだ。飯抜きはとても困る。だから……謝ったら許してくれると思うか?」
「ちゃんとしてればお師匠、ゆるしてくれるよ」
「ちゃんとする……具体的には」
「んぅ……ミアのところに戻るまで静かにしてる!」
「そうしよう」
今度は文句もなく即答したゼロシキに、フィノは苦笑する。
こう見えて意外と現金なところもあるみたいだ。




