泉門を開く
ユルグの話を聞いてマモンは絶句した。
『あの暴れ馬を止めろというのか!?』
「そうだ。不死身のお前が適任だろ」
『たとえそうだとしてもいつまでもじゃれ合っているわけにはいかないだろう!? どう決着をつけるつもりだ?』
「一応考えはある」
けれど策を試すにも、相手を消耗させなければいけないとユルグは言う。少しでも動きを鈍らせて隙を作ってくれということだ。
それにマモンは渋々ながらも頷いた。
「俺は後方支援だ。フォローはする。お前はアイツの頭を狙ってくれ」
『できうる限りのことはするが、期待はしすぎないことだ。あの馬鹿力、己でも手に余る』
粉塵の向こう、こちらを視認した機人が近づいてくるのが分かった。それを合図に二人は行動に移る。
マモンは黒犬のまま相手に向かって行った。それを尻目に、ユルグは一定の距離を保ったまま、援護できるチャンスを伺う。
マモンのように接近戦は出来ずとも、魔法であればやりようは幾らでもある。先の〈プロテクション〉による妨害も然り。機人の足を止めることはマモンに気を取られているならば存外に容易いものだ。
黒犬の状態で機人に飛び掛かったマモンは、カウンターで殴り飛ばされる直前に鎧姿に変化した。
体積が倍以上に膨れ上がった相手に、機人は一瞬動きを止める。その隙を見逃さずにマモンは相手の顔面を思い切り殴りぬいた。
『グゥ、手応えがまるでないぞ!』
マモンの攻撃に機人は防御する素振りもなく真正面から受け切った。手応え通り渾身の一撃も意に介していないようだ。
マモンの大振りの攻撃に、ガラ空きの胴体。すかさずそこに重い打撃が見舞われる。けれどマモンはそれに耐えきって見せた。しかし辛うじて吹っ飛ばされなかっただけで、大きくバランスを崩した体躯に二撃目の鉄拳が飛んでくる。
――その瞬間をユルグは見逃さなかった。
一秒にも満たない刹那の合間を縫って、ユルグは二人の間に障壁を張り出す。
密着した状態でマモンを巻き込まないようにするにはかなりの集中力と魔法の練度がいる。ドンピシャで出来たのは今のユルグが後方支援に徹しているからだ。敵と対面していたのなら、絶対に無理な芸当である。
マモン目掛けて殴りつけた拳は、見えない壁に遮られた。あの馬鹿力で殴っても魔法の防壁は傷つかずにすぐに消えてしまった。
ここまではユルグの予想通りの展開だ。この後が肝心。
意図せず障壁を殴ることになった機人は、自身の怪力がそのまま跳ね返ってきた。
〈プロテクション〉には攻撃反射の能力はないが、今の機人の状況は自身の身体よりも固い鉄壁を力いっぱい殴ったものと似ている。
身体に傷はつかないが、それでも衝撃だけは殺せない。ゆえに殺しきれなかった勢いがそのまま振りぬいた右腕へと返ってくる。
すると、どうなるのか。
間近でその様子を目にしたマモンはなるほどと感嘆した。
右腕の関節が曲がり、逆方向を向いている。
機人は一瞬それに意識を向けたが、構わずに左拳で殴ってきた。
「今のでいい、畳み掛けろ!」
それを受け切って、マモンは確信する。これならばこの化け物を何とかできるかもしれない。実際、先の攻防で機人の右腕は使い物にならなくなった。相手はその事に頓着していないようだが、片腕ならばマモンも随分楽になる。
『頭を狙えと言っていた、――な!』
受け切った一撃をいなして、マモンは再度顔面を殴りつける。良い角度で入ったが、傍から見れば効いているようにはみえない。それでもマモンは並みの生物よりも力は強い。ユルグも戦闘は続行と言っていた。ならば攻めるのみ!
ここからは肉弾戦の泥仕合になった。
お互いに殴り合い、重い打撃音だけが雨林に響き渡る。
ユルグはそれを監視しながら作戦の肝心要、最後の仕上げの準備にかかっていた。
ゼロシキからの情報を得て、ユルグが注目したのは機人の急所である動力炉だ。あそこを潰してしまえばいかに頑丈な機人といえど動けなくなる。ならそこを狙わない手はない。
けれどゼロシキも言うようにそれは至難である。なにより大量の水とあの機人を拘束しておかなければならない。普通に考えても無理だと分かる難易度だ。
しかし上手くいけば可能だとユルグは判断した。
マモンに指示した作戦はいわばそれの下準備である。
先ほど機人の右腕を潰したのを見て、ユルグは狙い通り行けると確信した。
「後は俺の技量次第ってところだが……」
溺死させるほどの水量は試したことはないが、魔法で水を生成することは可能だ。炎と冷気。これを上手く制御できれば水を生み出せる。
もちろん言うほど簡単に出来ることではない。
どちらか片方の魔法の威力が強すぎると水として生成できない。加えて魔法の威力というのは持続すればするほど一定に保つのは困難になる。魔力量も魔法の種類によってまちまちである。
ましてやそれを自身の感覚に頼らずに成すのは、熟練の冒険者でも難儀するほどのことだ。
目の前の戦闘から意識を逸らさずに、ユルグは両手を合わせて握りしめた。顔の前に掲げた拳の隙間から水の雫が滴り落ちる。
「よし」
これを遠隔で仕上げる。つまり、ユルグの十八番でもある魔鉱石を使う。この作戦次第では不要かもしれないが、念には念を入れてだ。
それに万が一にも怪我をしようものなら煩く言ってくる奴もいる。
魔鉱石を使っての水の生成は難易度が格段に跳ね上がる。けれど出来ないことはない。ならマモンが身体を張っているのだから、ユルグもそれ相応の成果を見せなければ。
両手に握りしめた魔鉱石に魔力を込める。
集中しているユルグの視界の端では、マモンが何度目かになる殴打を機人に見舞ったところだった。
『ここまでやったならそろそろ限界ではないか?』
殴り合いをしていたマモンは相手の異変に気付いていた。
最初よりも機人の動きが鈍くなっている。何が原因かははっきりとはしないが、長期戦に向かないというのは本当のようだ。
それに加えて、目に見えるほどの変化。
たった今マモンが顔面を殴りつけたところ、機人の動きが一瞬止まった。横向きになった頭は正面を向かず、不自然な恰好で左腕を振り上げる。
『そろそろだ! 準備はできたか!?』
ここまでの殴り合いを経て、マモンはユルグの作戦の要を理解していた。
関節が弱いという事は、先の右腕の時に確信した。ならば頭を胴体から外すことだって出来るはずだ。
マモンの役目はこれであったと自覚して、最後の攻めに入る。
呼びかけにユルグは魔鉱石を握りしめながら動き出した。それと同時にマモンは渾身の力で機人の頭を捻じ切ろうと頭部に手を掛ける。
『ぐぬぬっ……もう少し――っ!』
けれどマモンの行動に感づいたのか。機人は頭に手を掛けられている状態で、渾身の頭突きを見舞った。
それもマモンの弱点である鎧頭目掛けてだ。
流石にこの一撃はいなせず、マモンの頭は先の二の舞。身体から外れた頭部は木の幹に当たり草むらに落っこちた。
「あのバカ! お前が先に倒れてどうするんだ!」
思わず悪態を吐いたユルグだったが、マモンを気にかけている余裕はない。
けれど僥倖か。離れかかっていた頭部に自身の頭突きの衝撃が加わったおかげで、こちらを向いた機人の頭は熟れた果実のようにボトリと地面に落ちた。
「――っ、頭が取れても動くなんて聞いてない!」
けれど気を抜いたのも束の間。機人はユルグ目掛けて駆けてきた。頭と右腕を欠いた状態でだ。
頭部さえもぎ取ってしまえば動かなくなると踏んでいたユルグは狼狽える。確かにゼロシキはそんなこと、一言も言っていなかった。
でも普通頭が取れたら動かなくなると思うだろう。誰だってそう思う!
「――っ、クソ!」
逡巡している暇はない。
マモンは動けないし、機人は迫ってきている。なら作戦を続行するまでだ!
先ほどのように〈プロテクション〉のカウンターを狙うか。
今のユルグの状態ではタイミングを見誤る。一秒でも遅れたらあの怪力で吹っ飛ばされて終わりだ。倒せなくてもいい。一瞬だけ動きを止められたのなら、それで充分だ。
だったら、とユルグは足元に意識を集中した。
ここは雨林で、動きを止めるならあれがベストだ!
――〈アイシクルヘイル〉
ユルグの足元から放たれた冷気は周囲数メートルを凍り付かせる。
通常、この魔法は設置型の罠魔法だ。けれどこの緊急事態、座標を認識して向かってくる機人の足元にピンポイントで設置は難しい。すかしたらそこで終わりが確定する。
だからユルグは自分の足元に設置してそれを踏みぬいた。自分がかろうじて動ける程度の威力を込めて発動した魔法は狙い通り機人の動きを封じるには充分だった。
数秒の隙が出来たのを見逃さず、ユルグは両手に握っていた魔鉱石を機人の首から胴体の内部に投げ入れた。
直前の冷気によって不発にならないことを祈って、冷気で痺れてきた身体を無理やりに動かして安全圏に離脱する。
「はあっ、……どうだ?」
白む息を吐き出してユルグは機人の動きを見る。
投げ入れる前に両手に握っていた魔鉱石を打ち合わせたから不発ということはないはずだ。後はしっかりと水が生成されてくれればいいが。
「なんだ?」
既に魔法の効果も消えて、機人を覆っていた冷気もはれている。けれど魔鉱石を投げ入れた直後から何の動きもない。
敵の動きに注視していると、機人の無機質な身体から何やら煙が立ち昇り始めた。