不穏な足音
一時間後、無事にメルテルの街についたユルグたちは、食事をしたのちスタール雨林へと出発した。
街から雨林までは徒歩で一時間ほど。
近づくにつれ、スタール雨林の気候がそうさせるのか。晴れていた天気が次第に曇り空へと変わっていく。
「これは一雨来そうだな」
とはいえ、雨林の中は気候のせいで湿度が高い。晴れていた所でそれほど意味を成さない場所だ。
「また変なのいないといいなあ」
『何のことだ?』
「そっか、マモン知らないね」
ユルグの後ろをついてくる二人の会話が聞こえてくる。
フィノの言う『変なの』とは、以前スタール雨林を通り抜けた時に出くわした気味の悪い魔物のことである。
通常の魔物と比較しても異質な形態をしていたそれは、今になって思い返してみればあれがエルリレオの研究成果だったわけだ。
「もしかしたらまだ何か居るかもしれないな」
「えっ!?」
『なぜそう思う?』
「帝都でエルレインに、エルの研究成果を見せてもらったんだ」
あれに記述されていた内容には、変異体は一つとは書かれていなかった。けれど、エルリレオがその研究に関わっていたのは何百年も昔のことだ。
今もそのすべてが生き残ってスタール雨林に住み着いているかは分からない。
なんせこの場所は広大で、かつ地形も複雑。狙って遭遇する確率は限りなく低いと言えるだろう。
「まあ、取り越し苦労に終わるだろうな」
「お師匠、びっくりすることいわないでよ」
「今のお前なら、襲われても返り討ちに出来るだろ?」
「そうだけど……あれ、すごい気持ち悪いんだもん!」
よっぽどトラウマなのだろう。フィノは顔を顰めて頭を振った。
それについてはユルグも思うところはある。確かに、あんなのに大挙されるのは御免被りたい。
「ならさっさと用事を済ませるしかないな。俺もここには長居したくない」
「さんせい! 早くいこう!」
さっきまで後ろ向きだったフィノは、いきなり奮い立って先を行く。
尻込みしないのは良いことだが、空元気な気がするのはユルグの気のせいではないはずだ。
今のフィノなら大丈夫だとは思うが――
「また変なのに引っ掛からないといいけどな」
勇み足で進んでいく弟子の後姿を追いかけてユルグはスタール雨林の入り口を潜り抜けて行った。
===
昼過ぎに出発したぶん日が暮れるのも早かった為、一行は少し早めの野営をすることにした。
適当な樹洞を見つけるとその中で火を焚いて飯の用意をする。
焚火を囲んで休息していたユルグは、ふとあることが気になってマモンに問いかける。
「お前はここに来るのは初めてじゃないだろ?」
『その通りだが』
「ならあの気味の悪いやつらを一度は見たことあるんじゃないか?」
マモンはユルグの問いにかぶりを振った。
『匣の浄化の為に祠に立ち寄ることはあったが、この場所は他の場所よりも頻度は低いのだよ』
「どうして?」
『大穴から溢れた瘴気は微量ではあるが魔物らにも吸収される。ここは環境ゆえか他の場所よりも魔物の数が多い。つまりそういうことだ』
マモンの説明にユルグは眉を寄せた。
数時間、雨林の中を歩いたが魔物の気配は少しも感じなかった。以前通った時もそうだが、スタール雨林では魔物に限らず動物の気配が一切ない。
こんなに自然にあふれている場所でそれはあまりにも不自然だ。
「魔物どころか動物も見かけないけどな」
『それは生態系のバランスが崩れているからだろうなあ。他のものを食い漁っている強者がいるはずだ』
マモンの言にユルグは熟考する。
もし仮に、そのようなのが居るとするならば……他の生物が見えないことの説明は付く。気配は感じないがスタール雨林に生息している動物がいるのは確かだ。
フィノが以前、罠にかかった池の畔には動物の死骸もあった。あの植物の魔物は罠を張ることで獲物を狩っているのだ。逆を言えばそれがこの環境で効率が良い狩りの方法であるとも言える。もちろん植物という形態も関係しているのだろうが……そうまでしないと生きていけない環境になっているということだ。
「そんなのに会いたくないなあ」
『こればっかりは天に祈るしかあるまい』
「いざとなったらコイツを囮に逃げればいい」
「んぅ、かわいそうだけど……しかたないね」
二人の会話にマモンはフィノの膝上でぶるりと震えた。
『そんなところまで師匠に似なくてもいいだろう!』
マモンの悲痛な叫びが雨林の夜に木霊する。
小さな裏切りに心が冷えたマモンだったが、真に絶望するのはまだ先のことだった。




