よく晴れた日のこと
翌日になり、ユルグたちは早々にアンビルの街を発った。
次の目的地はスタール雨林。ここから八日ほどかかる距離を移動しなければならない。
スタール雨林の手前にあるメルテルの街まで馬車を使って移動、そこから徒歩で祠まで向かう。
一行の道程は順調に進んでいった。
途中街に寄って補給をしたり、ほぼ予定通りの進行だ。
そうして今はメルテルまでの街道を行く馬車に揺られて到着を待つ。
外は雲一つない晴天である。
「一つだけ気になってることがある」
小さな窓から外の景色を眺めながら、ユルグは呟く。
馬車の内部は向かい合うように席が設けられていて、正面にはフィノが座っていた。
彼女はちょうど昼飯を食べていたところだった。厚切りのパンの間に肉と野菜を挟んだ軽食。パンくずをぽろぽろと零すものだから食べづらいのだろう。
フィノの膝上には黒犬のマモンが寝そべっており、彼の身体の上にはパンくずが散っている。本人は気にしていないが、傍目から見るととても間抜けである。
「んっ、……なに?」
突然のことにフィノは食べていたものを飲み込んで問いかける。
返答にユルグは窓の外に向けていた視線を二人に戻した。
「この前会ったアイツ、提案がどうとか言ってただろ」
『竜人の四災が持ち掛けてきたものだろう?』
「まあ、暫定な」
彼はどこの誰とは言っていなかった。これはユルグたちが勝手に推測したものだ。確証はない。
だから――
「その提案っていうのも、実際何がどうなんだって話だ」
「んぅ、ちゃんと聞いてないもんね」
あの干渉器とかいう奴に聞ければよかったが、その前に大穴の底に戻っていってしまった。結局謎は深まるばかりである。
「どうにもあの竜人、秘密裏に動いているみたいだ。何でも一人で出来るってわけでもないらしい」
『己らに匣の回収を命じたのだからなあ。今の状態では出来る事にも限りはあるということだろう』
マモンの一言にユルグは眉を顰めて熟考する。
彼ら四災が何を考えて動いているのか。その本心は分からない。けれど何らかの思惑があるのは確かだ。そうでなければこちらからの提案を受け入れるはずはない。
「いま以上にならなければいいが……」
ユルグが語る憂慮に、フィノは食べかけのパンを口の中に放って飲み込んだ。
「なるようになる、ってやつ!」
『心労を貯めると後々たたると言うしなあ』
能天気な二人にユルグはそれもそうだと考え直した。
そもそもが、神の如き存在に逆らうことなど出来ないのだ。フィノの言うように、なるようになれだ。
「街についたらすぐに移動だ。今のうちに寝ておけよ」
「ん、うん」
そう言って、ユルグは欠伸をこぼすと腕を組んで目を閉じた。程なくして船を漕ぎ出したので、フィノは買っておいた昼食の残りを見遣る。
二人分買ったつもりだったが、ユルグは食べないで寝てしまった。こういう時はいつも決まってユルグは食べない。そんなんで体力が持つのか不思議だが本人はいらないというのだから仕方ないのだ。
「いいや、たべちゃお」
起こして聞くのも悪いと思ってフィノはいつも通りにすることにした。
残してたってどうせ食べないし、悪くなるくらいなら自分で処分した方がいい。
「マモンも食べる?」
『己が食べても腹の足しにはならんよ』
「んぅ、そうだった」
彼が世話になっているアルベリクのところでは当然のようにご馳走になっているから、元々食べなくても良いことを忘れていた。
だったら遠慮はいらないとフィノは大きく口を開けてパンにかぶりつく。
もぐもぐと咀嚼しながら、フィノはぼんやりとこれからの事を考える。
これからの事――旅の終わりについてだ。
スタール雨林の祠から匣を回収出来たら、皆の元へ戻るだけ。つまりこの旅もおしまいになる。
そう考えると名残惜しくもある。ユルグはいつでも会いに来ても良いと言ってくれたが、こうして一緒に旅が出来るのもこれが最後かもしれない。
これから先、ユルグには大切なものが増える。きっと彼はそれを放り出すことはしないだろう。
良いことだ。
良いことなのに、少し悲しくもある。いや、これは悲しいというよりも、寂しいのかもしれない。
そんなことを考えていると、馬車がガタガタと揺れ始めた。悪路に差し掛かったのだろう。強い揺れは静かに眠っていたユルグの身体をゆっくりと傾けていく。
「あっ――」
支えてやる前に倒れたものだから頭が馬車の壁に激突する。
痛そうな音が鳴ったと思ったら、しかめっ面をしたユルグが不機嫌そうに目を開けた。
「つぅ……なに笑ってるんだよ」
「ん、なんでもないよ」
「はあ、眠気が覚めた」
気だるげに言ったユルグは、荷物を漁りだす。
何を探しているのかと思っていたら、その視線はフィノの手元に注がれた。
「それ、もしかして俺の分か?」
「う、うん……いらないとおもって、たべちゃった」
フィノの手元に残っているのは、一口分のパンの欠片。
それを指差してユルグは何とも言えぬ顔をした。たぶん食べたかったのだろう。
「最後の一口、あげるよ」
「いや、いらな――」
「そんなこと言わないで!」
食べかけのパンの欠片を突き出して、フィノは懇願する。
このままでは師匠の飯にも手を付ける浅ましい弟子に成り下がってしまう。実際にはその通りなのだが……ユルグは怒ってもいないし何か言うつもりもないらしく黙っている。日頃の行いのせいでフィノが勘違いしてしまったと思っているのだ。
しかしフィノだって多少の罪悪感は覚えてしまう。
「なんなんだよ……まったく」
面倒な気持ちが勝ったのか。ユルグは溜息を吐いてからフィノが差し出したパンの欠片を口の中に放り込んだ。
けれどやっぱり食べ足りないのか。ユルグは窓の外を見つめて目を眇めた。遠目に街の外壁を見つけたのだ。
「街についたら先に飯だな」
「うん!」
「うんって……お前はさっき食べてただろ」
「これはお昼ごはん! 街で食べるのは夜ごはん!」
あと数時間で着くが、まだまだ陽は昇っている。こんな明るい時分に夕飯だなんだと言うのは流石に無理がある言い訳である。
「まあ、いいよ。そういうことにしといてやる。その代わりお前は荷物持ちだからな」
「ええーっ!?」
口を尖らせるフィノを無視して、ユルグは再び目を閉じた。
完璧に聞く耳を持たない師匠に、フィノは膝上に乗っているマモンを見てそうだと閃く。
「荷物持ち、マモンに手伝ってもらおうっと」
『己は無関係だろう!? とばっちりだ!』
「減るもんじゃないし、いいじゃん!」
『むゥ、納得がいかない……』
聞こえる小言を耳朶に馴染ませながら、フィノは窓の外を見る。
荒いガラス窓から見える景色は眺めていると眠気を誘ってくる。
とってもいい天気だ。




