マンツーマン
食事を済ませたユルグは、宿舎の中庭。その中心に立っていた。
対面には先ほど渡したブロードソードを両手で握りしめたフィノの姿。
食後の運動も兼ねてのちょっとした手解きをしよう、ということだった。
「もう少し肩の力を抜いた方が良い」
「ん、うん」
「……まだ硬いけど、まあ良いか。それじゃあ、俺に向かって斬りかかってこい」
左手に剣を携えて、良いぞと合図を送る。しかし、フィノはすぐに向かっては来なかった。
「ほんとにいいの?」
「なにがだ?」
「だって、けがしてる」
「だからってお前に怪我させられるほどじゃない。余計な心配はしなくて良い」
「わ、わかった」
納得して頷くとフィノは駆け出した。
――と思ったら、
「――ぶぎゅぅ!」
ユルグへと斬りかかるその前に、盛大に転けて顔面から地面へとダイブしたのだった。
握っていた剣は転んだ衝撃で手元を離れて数歩先に放られている。
「……酷いな、これは」
ユルグの口から突いて出た言葉は、フィノの身を案じてのものではない。
おそらく極度の緊張で足が縺れたのだろう。
雨林で魔物を相手取ったあの時は、火事場の馬鹿力というものだったのだ。そう考えればこの失態についても説明が付くというもの。
「おい、起きろ」
「……う」
「だから言っただろ。もっと力を抜け」
下から見上げるフィノの顔は、恥ずかしさで赤面していた。よく見れば目にも薄らと涙が溜まっている。
あんな醜態をさらしたんだ。そりゃあ、泣きたくもなる。
「それと、敵と戦っているときに転んだらすぐに体勢を立て直せ。いつまでも蹲ってちゃ死ぬぞ」
「……はい」
しおらしいフィノの返事に、拾った剣を渡して仕切り直しをする。
先ほどと同様、両手で剣を握りしめてフィノは真っ直ぐユルグへと突っ込んできた。
まるでイノシシのような猪突猛進である。こんなのは避けてくれと言っているようなものだ。
「――ぶべっ!」
半身を捻って突進を躱すと、ユルグはすれ違った刹那にフィノの足を軽く払ってやった。
結果、先ほどよりも盛大に転んで、砂埃が宙に舞う。
きっとユルグが剣を構えていたから、それで受け止めると思っていたのだろう。
先のユルグの助言通り、フィノは転んだ後、すぐに起き上がった。
しかし、珍しくご立腹である。
「なんでよけるの!」
「お前相手に斬り結ぶ必要なんてないからだ。打ち付けた分だけ刃毀れしやすくなるしな」
「しってる!」
文句を言いながら、フィノは我武者羅に剣を振ってくる。
けれど、こんなものじゃユルグにはかすりもしない。
「デタラメに振り回さないで、ちゃんと狙いを付けろ」
「やってる!」
「頭や頸などの急所を狙うのはお前じゃ難しいだろうから、手首や脚を狙うと良い。機動力を落とせばそのぶん相手に隙が生まれる。こんなふうにな」
「――っ、ぐゅ」
息切れをしてきたフィノに、再三の足払い。
それを避けること叶わず、再び地面へと倒れ伏したフィノは、今度はすぐには起き上がってこなかった。
体力の限界だろう。なんとか仰向けに身体を反転させるとフィノは恨めしそうにユルグを見つめた。
「もう終わりか?」
「んぅ……ユルグ、いじわる」
「そう簡単に俺に剣を使わせられると思うなよ」
「むぅ」
ふくれっ面をしながらも起き上がったフィノは、汗と砂埃にまみれて汚れていた。
「今日はここまでにするか。明日もやるから覚悟しておけよ」
「ええー」
ユルグの言に、フィノは不服そうだ。修練をする前はかなりやる気だったのに、少しやり過ぎたかも知れない。
「文句を言うな」
「……ユルグ、いじわるするもん」
「人聞きの悪い事を言うな。俺がいつお前を苛めたって言うんだ」
「さっき!」
ユルグにしてみたらあんなのは序の口である。転んだところに蹴り上げて追撃しないだけマシだ。しかし、フィノにそれを言っても意味は無い。
少し悩んだのち、ユルグは言葉を選びながらゆっくりとフィノに向かって告げる。
「今日は散々な結果に終わったが、明日もそうなると思うか?」
「……う、」
「もしそうだったら俺はお前に金輪際、手解きはしない。時間の無駄だからな」
今日の修練でフィノはユルグに転ばされただけだと思っているかもしれない。しかし、実際はそうではないのだ。
結果、そのようになっただけ。
現にフィノはユルグの助言を聞いて行動に移している。確実に今回の一件は、フィノの身になっているのだ。
それをフィノが理解しているのかは知らないが、ユルグにとってはこの修練は有意義なものであった。
「でもお前は馬鹿じゃない。ちゃんと考えられる頭もあるし、物怖じだってしないだろう。そこを俺は一番評価しているんだ」
嘘偽りのない本心を吐露すると、フィノの曇り顔が晴れた。
「ほ、ほんと?」
「ああ、本当だ。これでもまだ不満だって言うなら、そうだな……俺に剣を使わせられたら、一つだけ何でも言うことを聞いてやるよ」
「なんでも……」
ユルグの提案に、フィノは視線を宙に彷徨わせて考え込んだ。
流石になんでもは言い過ぎたかも知れない。けれど、フィノだって満更でも無さそうである。
ユルグとしては早く仕上げて稼いでもらいたいので、こんなもので焚き付けられるのなら安い物だ。
「分かったらさっさと風呂に入ってこい。酷い格好だぞ」
「う、うん」
なぜか上の空のフィノは、ふらふらと宿舎の中に入っていった。
さっきとは打って変わっての突然の変わり身に、訝しみながらもユルグも後に続くのだった。




