笑顔の駆け引き
一部修正しました。
しばらく歩くとティナは扉の前で立ち止まった。
「こちらです」
案内された一室には、アルディア皇帝――アリアンネが待っていた。
彼女はソファに座って優雅にお茶を嗜んでいる。ぱっと見はユルグの知る彼女で、少しだけ警戒心が薄れた。
「お久しぶりですね。急にどうしたのですか?」
「話があってきた」
同じくソファに座ると、向かいのアリアンネの傍にティナが付く。
彼女がユルグにお茶を淹れているところで、アリアンネは話の続きを再開した。
「わざわざわたくしに直訴するほどのことなら、よっぽど大事なお話なのですね」
「お前にとっても悪いものじゃない」
自信ありげなユルグの言動に、彼女はカップを置いてその双眸を向けた。
興味を持ってくれたところで、ユルグはこれまでの経緯を語って聞かせる。
貴族間の諍いに巻き込まれていること。
その問題にユルグの師匠が多少なりとも関わっていること。
エルレインの要望と、今後の展望について。
「――どうだ? 皇帝様にとっても悪い話ではないだろ?」
「そうですねえ……スクライン家が貴族の地位に執着しないというのは有難い話です。どのみち最後にはすべて剥奪するつもりでしたから」
ユルグの予想通り、アリアンネは貴族制度をすべて撤廃するつもりらしい。そこにどんな意図があるかは分からないが、彼女のことだ。何かしらの意味はあるのだろう。
「では、こうしましょう。スクライン家には他の貴族家を潰してもらいます。彼らが最後の一つになった方が、無駄な抵抗も減りますからね。それと先々代が残した負の遺産をすべて破棄してもらいます。これが貴方のお師匠様に我々がこれ以上干渉しないことへの絶対条件です」
「なるほど。分かった。エルレインにはそう伝えておく」
「彼女には後で書簡を届けるように言ってください。良いお返事を期待している、とも」
アリアンネは微笑を浮かべてカップを持ち上げた。
彼女の策略にはユルグも異論はない。きっとエルリレオもこれでいいと言ってくれるはずだ。
「しかし、貴方も回りくどいことをしますね」
「なんだ?」
「祠に用事があるのなら、直接わたくしに言ってくれれば、すぐにでも許可証をお渡しするというのに」
「……お前には会いたくなかったんだよ」
グレンヴィルの許可がなくても皇帝の権力を使えば手っ取り早いとアリアンネは笑って言う。
もちろんユルグにもその考えはあった。しかし今のアリアンネには借りを作りたくはなかったのだ。
歯に衣着せぬユルグの言葉に、それを聞いていたティナがおろおろと動揺を見せた。けれど当の本人は澄ました顔をしてユルグを見つめている。
「わたくしに会いたくない、というのは……貴方の意思ですか?」
「当たり前だ。俺はお前のことを信用していない。今のお前は昔よりも気味が悪い。あの時のお節介皇女様のほうがまだマシだ」
「辛辣ですねえ。わたくし、そこまで言われるようなことはしていませんよ?」
「俺に皇帝殺しを依頼しといてか? 馬鹿言うなよ」
アリアンネを睨みつけるユルグに、傍で傍観していたティナは焦った。
一緒に旅をしていた時の二人もそれは仲が悪かった。けれどそれは今でも変わらないようだ。
「喧嘩はおやめになってください。話し合いに来たのでしょう?」
「……わかってる」
ティナの一言にユルグはバツが悪そうに嘆息した。
「俺の用はそれだけだ。じゃあな」
「――待ってください」
立ち上がろうとしたユルグをアリアンネが引き留めた。
何事だと訝しむと、彼女は鋭い指摘を投げかける。
「どこか怪我をしていませんか?」
「……」
「黙っているということは図星ですね」
仏頂面をしているユルグを見て、アリアンネは笑みを浮かべる。
昨日よりは痛みも引いてきたが、それでも走ったりは出来ない状態だ。しかしそれを顔には出していなかった。それでも彼女はこうして当ててきた。
内心驚いていると、ユルグの考えを読んだかのようにアリアンネは苦笑した。
「怪我を庇うような歩き方をするので、見る人が見れば分かるのですよ」
「だから何だっていうんだ」
「ちゃんとした治療を受けた方がよろしいかと。手配して差し上げますよ?」
「さっきの話聞いてなかったのか? 俺はアンタに借りを作るなんて御免なんだよ」
「わたくしも随分と嫌われたものですね。別に取って食おうというわけではないのに……」
やれやれと肩を竦めて、彼女は落ち込んだ顔をする。
「いわばこれは報酬と捉えてください。貴方も今回の件に関わりがあるのならば、わたくしの益にもなるわけですから……やましい所は何もありませんよ」
アリアンネの様子に、ユルグは既視感を覚えた。
これはあのお節介皇女様と同じ匂いがする。いくら今のアリアンネがユルグの知っている彼女と違うと言っても、根っこの部分は同じなのだ。
「その言葉、本当だろうな?」
「ええ、本当です!」
アリアンネの返答を聞いてユルグは一考する。
怪我はなるべく早く治したい。今はライエの件もあるしすぐには発てないが、それでもまたいつ何時この前のような襲撃があるかも分からない。それをフィノやマモンだけに任せるわけにもいかないのだ。
「ティナ」
「……はい?」
「こいつの言っていること、本当か?」
突然ユルグに話を振られたティナは驚きに目を丸くしている。
今のユルグにとって、目の前の皇帝よりも知っているティナの方が信頼できるのだ。
そしてそれを彼女も察してしまった。気付いたティナは苦笑して頷く。
「嘘ではありませんね」
「……分かった。ならそうしてくれ」
諦めたように言ったユルグの言葉に、アリアンネは笑みを浮かべた。
「ティナ、薬師と治療師を呼んできてください」
「はい。畏まりました」
皇帝の命にティナは足早に部屋から出て行った。
出鼻を挫かれたことで、ユルグはソファに座りなおした。
静かになった室内で、アリアンネはユルグに問う。
「その怪我は誰に負わされたものですか? 元勇者である貴方を追い詰めるなんて、なかなかの手練れでしょうに」
「さあな。俺も詳しくはしらん。だが……今頃は帝都の獄中にいるだろう。生きていればの話だが」
前よりは弱くなったと自覚しているユルグだったが、あのグァリバラという男。かなりの手練れだった。おそらく、もう一度対峙したら勝てるかどうか分からない。
こちらの手の内は知られているし、純粋な力で言ったらあちらの方が上。ユルグとの相性はすこぶる悪い相手だ。
「お前に一つ言っておきたいことがある」
「なんでしょう?」
「あの野蛮人はさっさと国外追放にでもした方が良い。あんなのに何度も暴れられたらお前も面倒だろ」
「そうですね……気にかけておきます」
ユルグの忠告にアリアンネは頷くと立ち上がった。
「それでは、わたくしはこれで。良い返事を期待しています」
「ああ、じゃあな」
出て行ったアリアンネを見送って、ユルグは安堵に息を吐く。
彼女は余計な詮索をしなかった。
ユルグが聞かれたくないのだと察してか。それとも本当に興味がなかったのか。
たぶん、興味がないというのは嘘だろう。アリアンネの口からは何も出なかったが、彼女は今もマモンを許してはいないはずだ。
「良かったな」
『……何がだ?』
「元気そうだった。気にしてたんだろ?」
『う、うむ……安心したよ』
「お前が思うよりも、案外ケロッとしてるもんだ。ティナもついているし大丈夫だろ」
二人の問題は時間が解決するしかないことはマモンも、ユルグにだって知れたことだ。
だから今回のマモンの対応は正解だった。今のアリアンネには傍で支えてくれる人もいる。なら邪魔者は陰から見守っている他はない。




