恥を忍ぶ
フィノは窓から差し込む朝日で目を覚ました。
「うぅ……ん」
瞼を擦って目を開ける。
しかし、そこにユルグの姿はなかった。
「はっ――ユルグ!?」
フィノはその事実に飛び上がってベッドから這い出た。
肌着姿、髪もボサボサの状態で駆けるように部屋から出る。
フィノがどうしてこんなにも慌てているのか。それは昔、ユルグに置いて行かれたことがトラウマになっているからだ。
朝起きたら部屋に居なかった。師弟の関係を結んでいるというのに、その時のユルグはフィノを置いてけぼりにして彼女の前から去っていったのだ。
そしてあの時のことを今でもたまに思い出してしまう。
廊下に出て周囲を見回すと、視界の先にはユルグの姿があった。
どこかに行って戻って来たのか。彼は肌着姿で部屋の外に出てきたフィノに驚き、立ち止まって呆けている。
その姿を目にするとフィノは一目散にユルグの元へと駆けて行った。
「おっ、お師匠!」
薄っすらと目に涙を浮かべて、走り寄ってきた弟子にユルグは半歩下がる。
何であんなに必死になっているのか。そもそもどうして服も着ずに肌着姿なのか。薄い布切れの下は裸体である。恥じらいなどあったものではない。
立派になったと言ったがアレは撤回しなければならないかもしれない。
「おししょ――おっ!」
近づいてくるフィノに、ユルグは反射的に足払いをかけていた。
しかしフィノはそれをいとも簡単に避けて、ユルグの胸元に飛び込んでくる。
怪我人であることなど忘れてしまったかのように、ぎゅっと抱きしめられて呻き声が漏れた。
「ぐっ、おい……はなしてくれ」
「ご、ごめん……」
はっとしてフィノはユルグの身体を離した。それから、目に浮かんだ涙を拭う。
しかしユルグには今のフィノの状況がまったく掴めなかった。何があったのか。それを問う前に――
「お、おいて行かれたかとおもった……」
「……はぁ?」
意外なことをフィノは言う。
まったくの予想外の反応にユルグは大いに戸惑った。
どうしてフィノを置いていくなんて話になっているのか。全く分からない。もちろんユルグにはそんな気は微塵もないし、今だってテラスで手紙を書いてきただけだ。
「なんか嫌な夢でも見たのか?」
「ううん、そうじゃなくて……前にユルグに置いて行かれたから」
「あー……そういえばあったな」
フィノの訴えにユルグはかつてのことを思い出す。
あの時、確かにユルグはフィノを置き去りにした。これは変えようがない事実だ。あの時のことが未だ心の隅に残っているのだろう。
「もうそんなこと、しないから。安心しろよ」
「う、うん……わかってる。ごめんなさい」
きっとユルグは呆れただろうと、フィノは恥ずかしくなった。
馬鹿な考えではあるが、またおいて行かれたかもと一瞬でも思ってしまったのだ。
挙句、こんな格好で抱き着いてしまって……穴があったら入りたいとはこのことである。
「とりあえず着替えて来い。エルレインが朝飯を用意してくれたんだ」
「んぅ……ちょっと待っててね」
羞恥心に顔をほのかに赤らめて、フィノはユルグから離れると部屋へと戻っていった。
===
食堂に向かうと、すでにライエとマモンは席に着いていた。
マモンに至っては食事の必要はないが……きっとエルレインが用意してくれたのだろう。彼の分の朝食がきっちりと置かれている。
マモンは自分の席の椅子に乗ると、黒犬姿で行儀よくお座りをしていた。
彼の横ではライエが貴族の朝食に舌鼓を打っている。
遅れてきたユルグとフィノを見て、マモンはいつもと少し違うことを目敏く察知した。
『ううむ……どうしたのだ?』
なんだか少しだけよそよそしくも見える。
それに訝しんでいると、マモンの隣にフィノ、その隣にユルグが座った。
『フィノよ。何かあったのか?』
「う、ううん。なんでもない!」
『……なんでもない?』
「あっ、ちが……何もないよ!」
慌てるフィノの隣で、ユルグは平然と朝飯を食べていた。
何かを気にしているのはフィノだけのようだ。
気になるマモンだが、それを遮るようにユルグが口を開く。
「今日の予定は皇帝に謁見だったな。俺とマモンはアリアンネのところに行くけど、二人はどうするんだ?」
「私たちは今のところ待機だって言われたわ。準備が整うまでここに居ても良いって、エルレインが言ってくれたから、お言葉に甘えるつもり」
「うん……なら暇なんだな?」
念押しして聞いてくるユルグにフィノはどうしたんだろうと不思議に思う。
直後にユルグは、ある頼みごとをしてきた。
「手紙を出してきてほしいんだ」
「手紙?」
「ミアに宛てたものだ。今朝書き終わったから、俺が留守にしている間に配達所に預けてほしい」
懐から出したそれを、フィノは受け取る。
ユルグが朝いなかったのはこれを書いていたからだ。その事に気付いて、フィノはまたまた赤面した。
「ずっと屋敷の中に軟禁されても暇するだろ? 気分転換になるし行ってきてくれ。今の帝都ならお前たちがうろついても大丈夫なはずだ。フィノもいるしな」
「わぅ、わかった」
「分かっているとは思うが、勝手に中身を見るなよ?」
「そんなことしないよ!」
じっとユルグはフィノを見た。
そこまで警戒するなんて、どんなことが書いてあるのか。気になってくる。でも勝手に見てはいけないということはフィノも重々承知だ。それだけは絶対に出来ない。
「ならいいよ」
会話を終えるとユルグは立ち上がった。
これからアリアンネのいる王城に向かうのだろう。
「いってらっしゃい」
背中に声を掛けると、ユルグは手を振って行ってしまった。