ヤマアラシのジレンマ
今回は少し長いです。
皆の元に戻って事情を説明すると、意外にもマモンは取り乱すことも無くユルグの意見に賛同してくれた。
『構わない。必要ならそうするべきだ』
「良いのか?」
『己が代わりに交渉するというものでもないのだろう?』
「ああ、一応ついてきてはもらうが表に出てもらう必要はない」
『それならば問題ない』
マモンはアリアンネと対面することに躊躇しているらしい。
気持ちは分かる。きっと何を話していいのかも未だ分からないのだろう。
「マモン、留守番してるのはダメなの?」
「それも考えたんだが……フィノはライエの護衛があるだろ。俺一人でアリアンネの元へ行ったとして、この身体じゃ何かあってもすぐに逃げられない」
緊急時の保険であるとユルグは言った。
フィノもそれには賛成だ。ユルグもマモンも、フィノだってあの元皇女様が何を考えているのか。読めないでいる。
慎重に慎重を重ねるのは悪いことではない。
「皇帝への謁見は明日にする。今日はこの屋敷に世話になるつもりだ。フィノはライエと同室にしてもらった。護衛なんだからくれぐれも傍を離れるなよ」
「――えぇっ!?」
ユルグの忠告にフィノは大仰に叫んだ。
何をそんなに驚くことがあるのか。訝しんだユルグに彼女は噛み付くように反論した。
「お師匠と一緒じゃないの!?」
「当たり前だろう。何を言っているんだお前は」
「だって怪我してるし……心配なの!」
「ガキじゃないんだから、余計なお世話ってやつだ」
突っぱねるとフィノはむくれた。
「いしあたま!」とか、「がんこもの!」とか。色々言われるがすべて聞き流す。
「でも怪我が怪我だし、せめて手当だけでもしてもらったらどう? 背中なんて、自分でやるには苦労するわよ」
ライエの正論にユルグは押し黙った。
彼女の言う通りである。客観的に見ても今のはユルグがやせ我慢をしているようにしか聞こえなかっただろう。
『己もそれが良いと思うがなあ。それとも不器用な己に手当を頼むか? 包帯で簀巻きにされるのがオチだ』
「そうだよ!」
「……なんでそんなに楽しそうなんだよ」
マモンに増長してフィノも勢いづく。それにユルグは早々に手を挙げて降参した。
付き合っている方が疲れる。
「分かったよ。好きにしたらいい。その代わり、入れ替わりでマモンがライエについてやってくれ」
『うむ。承知した』
そうと決まればと、フィノはユルグの腕を引いて彼の客室に向かって行った。
先ほどは渋々承諾したが、ライエの言う通り。
急いでいた為、ろくな手当をしていない。ルフレオンも医者に見せた方が良いと言っていたし、医者でないにしろ誰かに見てもらった方が良いのは確かだ。
「お師匠、薬もってる?」
「ああ、そこに入ってる」
背嚢を指してフィノに漁らせると、ユルグはベッドに腰かけて服を脱ぐ。
「うっ……」
しかし腕を上げた瞬間、背中に痛みが走った。
数時間前に飲んだ鎮痛剤がきれてきたみたいだ。苦悶の表情を浮かべるユルグに気付いたフィノは背嚢を抱えて寄ってくる。
「だいじょうぶ?」
「だ、だい……」
「だいじょうぶじゃないね」
仕方ないな、というような顔をしてフィノはユルグの服に手を掛けた。
服を脱がしながら、傷跡だらけの身体を見ておもむろに話し出す。
「お師匠、少し太った?」
「言うほどわかるか?」
「うーん、少しだけ」
フィノの指摘にユルグはどきりとした。
なんせここ数か月は怪我のせいで運動もろくに出来なかった。寝て起きて飯を食べてまた寝るの繰り返しだ。そんなことをしていれば身体に肉も付くし筋肉だって落ちる。
「……怪我が治ったら鍛え直さないとな。今日だって色々と危なかった」
「気を付けないと、ミアに怒られちゃうよ」
服を脱がされたユルグは背嚢から軟膏を取り出してフィノに渡した。
気休めでも何もしないよりはマシというものだ。
これを塗って、包帯を巻いて申し訳程度の治癒魔法を掛けて寝る。
出来ることと言ったらそれくらいだ。エルリレオがこの場にいたら超絶苦い薬を飲まされていたに違いない。
居なくてよかったな、なんて思っていると――
「お師匠……あまり無理しないでね」
「あ、ああ……どうした?」
軟膏を塗りながら、フィノは暗い声音で告げる。
「フィノは半分エルフだから、みんなより長く生きる。寿命で死ぬのは仕方ないよ。フィノもたくさん泣くけど……諦める。でもそれ以外で死んじゃったらとっても後悔する、と思う」
「……それ、俺の話だよな?」
「うん」
「なんでそう思うんだ?」
フィノの考えが読めずにユルグは聞き返した。
こういうことはたまにあった。きっと自分の中で言いたいことが上手く整理できていないのだ。
「よくわからない……たぶん、フィノはユルグにずっと生きててほしいんだと思う。ミアもおんなじ」
「それは無理だな」
「うん。だから……おじいちゃんになって死ぬんだったら諦められる。そんなに悲しくならないと思うから」
しょぼくれた顔をして、フィノはそんなことを言う。
「いつもならこんなこと、思わないのに」
何か不安に思うことでもあるのか。フィノは戸惑っているように、ユルグには見えた。
今の彼女の話はうんと先のことだ。いま心配するようなことではない。
それでもこうして思いの丈を打ち明けたということは、やはり何かしらがフィノの心を覆っているのだろう。
ユルグにはその何かが分からない。
不安なのか、恐れなのか。もっと別の何かなのか。
「カルロがね……言ってた。長く生きてると後悔する時があるって。フィノがお師匠に会いに来なかったの、なんでかわかる?」
「……少しな。俺とミアに遠慮してたんだろ?」
「んぅ、バレてた」
図星を突かれてフィノは苦笑した。
「言っただろ。俺もミアもそんなのは気にしないって。来たい時に来ていいし、会いたいときに会っていいんだ。誰もダメだなんて言ってないだろ?」
「うん……でも、フィノはまだユルグのこと、好きなんだ」
まっすぐに見つめられて伝えられた気持ちは、以前にも聞いたものだった。
ユルグはその気持ちに応えてはやれない。
フィノが向ける想いは愛情の、もっと深いものだろう。
けれどユルグが抱く想いはそれとは違っている。親愛であり、恋愛感情は持っていない。
おそらくフィノもそれは理解しているはずだ。
それでもこんなことを言ってきたということは、つまり――
「そ、そうか……」
息継ぎをするように言葉を紡いでみるが、ユルグにはフィノの想いの芯が分からなかった。
知っていて、わざと伝えようとする。そこにはどんな意味があるのか。
乙女心なんて、察してくれと言われても難しいものだ。
「お、俺に浮気しろって言っているのか?」
「……お願いしたら、してくれる?」
「馬鹿いうな」
軽くフィノの額を小突く。
「俺はミアを裏切れない。幸せにするって約束したんだ。だから、お前の気持ちには応えられない」
真面目な顔をして言うと、フィノはそれを見て少し笑みを浮かべた。
「んぅ、しってた!」
「……はあ?」
「だって、お師匠。ミアといる時は楽しそうなんだもん。たくさん優しいし、たくさん笑う。フィノとは違うって思ったよ。羨ましかったけど、嫌だって思わなかった。ユルグ、嬉しそうだったから。フィノはそれ見るの、好きなんだ」
本当に嬉しそうにフィノは語る。
そこに偽りはないとでもいうような彼女の言葉に、ユルグはそこでやっと気づいた。
今のは彼女なりのケジメなのだ。
好きな気持ちは変えられないけれど、それでも前を向いて歩いていくための。強い決意の表れだ。
「だから……ユルグのこと好きだから会いたいけど、会いたくない」
「なかなか会いに来ない本当の理由はそれだな?」
「うん……」
フィノの気持ちを聞いて、それでも会いに来いなどとはなかなか言えない。
それでもユルグだってたまには弟子の顔を見たいものだ。
元気にしているだろうか。顔を見て声を聴きたくもなる。もっとも、それを表には出さないが……心配はしている。
少し考えて、ユルグはフィノにある提案をすることにした。
「俺と二人きりは嫌か?」
「え?」
「嫌じゃなかったら、お前が俺に会いに来た時は二人きりでどこかに行こう」
「えぇ!?」
突然のユルグの提案に、フィノは開いた口が塞がらなかった。
思わず手を止めて、ユルグの正面に回り込む。
じっと目を見つめると、彼は気恥ずかしそうに目を逸らした。
「なに!? なんで!?」
「お、俺もたまにはお前に会いたい。師匠だからな。弟子を心配するのは当然のことだ。そうだろ?」
「んぅ……」
体の良い言い訳を述べるユルグに、フィノは不満げだった。会いたいまでは良かったのに、その後がダメダメだ。
「なんで余計なこというの!?」
「な、なにがだよ。普通のことしか言ってないだろ!?」
「それが余計なの!」
急に怒り出したフィノにユルグは混乱する。
良い提案だと思ったのに、やはりナシなんだろうか。フィノなら喜んで飛びつくと思ったのに、とんだ計算違いだ。
何が悪かったのか。考え込んでいると――
「それって、デート?」
「うっ……そうなるのか?」
「二人きりでどこか行くのはデート!?」
「……っ、ううん」
掴みかかられてユルグは思わず唸った。
まったくそのつもりはなかったのだ。けれど言われてみればその通り。これはデートと言えよう。
なら、ミアが何というか……怒りはしないはず。むしろ「いっておいで」なんて、快く送り出してくれそうな気もする。
「戻ったらミアに聞いてみるか……」
「ミアがいいよって言ったら?」
「分かってるよ。男に二言はない」
きっぱり言い切ると、フィノは瞳を輝かせた。どうやらとても嬉しいらしい。
鼻歌なんか歌いながら、包帯を取り出すとユルグの身体に巻いていく。
ご機嫌なフィノに、話題を変えるようにユルグは語り掛ける。
「そういえば、こうして二人きりになるのはいつぶりだ?」
「え?」
「俺はミアの傍にずっといるし、こうして旅に出てもマモンが居るからな。本当の二人きりっていうやつは久しぶりかもしれない」
「そっか……」
ユルグに言われてフィノもそうだったと気づく。
なんだか何年も経ってしまったみたいに感じた。
「ユルグ、嫌じゃない?」
「変なこと聞くなよ」
「だって……フィノとはじめて会ったとき、とっても嫌そうだったよ」
「昔と比べるな。蒸し返すな」
苦笑してユルグはかぶりを振る。
その顔はとても穏やかなものだった。
「今はそんなこと、思っちゃいない。そんなに昔のことでもないのに、懐かしく感じるんだ」
なんでだろうな、と呟くとフィノは手を止めてユルグの目を見た。
「ユルグが変わったからだよ」
「それはお前も同じだろ? 立派になった」
「ふふん、そうでしょ!」
「そういうところは変わらないな」
可笑しそうに笑って、ユルグは手を差し出した。
「これからもよろしく頼む」
「当たり前! フィノはお師匠の弟子なんだから!」
差し出された手を握ると、見つめ合って笑い合う。
なんだか恥ずかしいような。それでいて嬉しいような。奇妙な感覚に襲われながら、フィノは久しぶりの二人の時間を楽しんだ。