忍び寄る陰謀
ユルグと別れたフィノは帝都をマモンと彷徨っていた。
「んぅ、情報集めかあ」
『フィノはハーフエルフであるし、少し難しいかもしれんなあ。これは骨が折れるぞ』
確か以前訪れた時はアルディア帝国という場所はハーフエルフへの差別が激しい国だった。
店も利用できない。歩けば石を投げられる。素性を隠さなければ外も歩けない。
その様子を知っていたからフィノも警戒はしていた。けれど、なんだか帝都の様子が少しおかしいことに気づく。
「前より嫌なかんじ、しないよ」
『むっ、言われてみれば……』
フィノの発言にマモンはキョロキョロと周囲を見回す。
突き刺さるような嫌な視線も感じないし、嫌な言葉も聞こえてこない。これはどうしたことだろうと不思議に思っていると、遠くからフィノを呼ぶ声が聞こえてきた。
「そこの人!」
振り返ってみると屋台の店主が手招きしていた。
それに恐る恐る近づいてみると、店主は笑顔で語り掛けてくる。
「あなた、ハーフエルフよね?」
「う、うん」
「この変わりよう、驚いたでしょう?」
彼女の顔を見てフィノは驚く。屋台を仕切っているのはハーフエルフだった。
「あ、あれ? なんで?」
「少し前に新しい皇帝陛下が即位されたでしょう? 彼女のおかげで私たち、随分と生きやすくなったの」
どうぞ、と焼き串を渡される。それを受け取りながら、フィノはどういうことか尋ねた。
「それって」
「ハーフエルフについての法制が変わったのよ。前みたいな弾圧はなくなったの。今では店の出入りも自由だし、歩いていても陰口を言われる心配もない。こうしてお店を開いたって、咎められることもないのよ」
本当に嬉しそうに店主は語る。
フィノは彼女の様子を見て、なんだか自分のことのように嬉しくなった。
「うん、よかったね」
「本当に皇帝陛下には感謝してもしきれないわ。ありがたいことよ」
お金はいらないから、と持たされた焼き串を頬張りながらフィノはしみじみと帝都の様子を見て回る。
さっきの店主が言った言葉はどうにも本当のことらしい。
現にフィノは帝都に来てから嫌な思いは一つもしていない。本当に変わってしまったのだ。
「アリア、すごいね」
『うむ……流石であるな』
「やっぱり変えようとしないと変わらないんだ」
帝都の現状を目の当たりにして思うのは、村のことである。
レルフや村人たちが目指しているのは、ハーフエルフだからといって差別されない世界。今の帝国はそれに近づいているのかもしれない。
――それでも、すべてが上手くいっているというわけではない。
「ちくしょうが! 目ざわりなンだよォ!」
直後、大通りに怒声が響いた。
苛立ちを滲ませた声にフィノが顔を上げると、目の前ではエルフの男と正体不明の少女が何やら揉めている。
「いま盗ったもの、返しなさい」
「はあ? 邪血の分際で偉そうに命令してんじゃねえ! お前らの物は俺たち純血の物でもあるんだ! つまりこれは正当な権利。お前らが口答えしていい問題じゃねえんだよ!」
毅然とした態度を見せる少女は、獣の毛皮を外套替わりにして、そのフードを目深に被り顔を隠している。しかし男の発言からハーフエルフであることが分かった。
男に何かを盗られて、それを取り返している最中なのだろう。
男の戯言に、少女は嘲笑を向けて反論する。
「弱者から盗みを働いて正当な権利ですって? バカバカしい。どうせ盗むならクズどもから盗んでみなさいよ。そんなの吐いて捨てるほど居るから、困らないでしょう?」
「っ、なんだと、テメェ!」
少女の態度に、男は怒りを露わにする。
目を見開き、振り上げた拳を少女の顔面目掛けて振り下ろす――刹那。
鋭い何かが、男の振り上げた腕に突き刺さる。
「ぐっ、ぎゃああ!」
男の腕に刺さったものは、焼き串に刺していた串だった。
「暴力はダメだよ」
「い、いまのはテメェかぁ!? よくもこんなマネ」
男の視線がフィノに突き刺さる。
それを意にも返さずに、フィノは一歩男に近づいた。
「反省してないなら、もう一度やってあげる。今度はどこがいい?」
食べ終えた串を指先でつまみながらフィノは選択を迫る。
脅しに屈しないフィノを見て、男はあからさまにたじろいだ。
「ぐっ、なんだってんだよ、ちくしょうが!」
近づいてくるフィノを見て、男は走りだそうとした。
踵を返したところで、それを阻止したのは少女が繰り出した足払いだった。
「ぎゃっ!」
「あなた、逃げるのは勝手だけど盗った物を返しなさい。それは私の物」
倒れた男から布袋を奪い返すと、少女は男を足蹴にする。
逃げられないように踏んづけて視線はフィノを捉えた。
「ありがとう。助かった」
「ううん。当たり前のこと、しただけ」
「それにしても今のどうやったの? 目が良いのが自慢だけど、あれは見えなかった」
「んぅ、魔法つかったからね」
フィノが投げた串に風魔法をエンチャントしていたのだ。目に負えないほどの速度が出たのはそのためだ。
「へえ、器用なことするのね」
感心している少女は盗られたものをしまうと、被っていたフードを払う。
彼女は菖蒲色の綺麗な目をしていた。しかしそれを汚すように右目には焼け爛れた痕がある。
一瞬驚いたフィノだったが、それでも彼女の瞳はとても美しいと思った。彼女の逆境などものともしない態度がそう見せるのかもしれない。
彼女は笑みを浮かべると、フィノに手を差し出してきた。
「本当に助かった。私はライエ」
「フィノ、こっちはマモンだよ」
『ワウン!』
他人の前ではマモンはいつも犬のふりをする。もう見慣れたものだ。
ライエは握手を交わすと、さて――と足蹴にしている男を見遣った。
「これをどうするかだけど――」
「君! 大丈夫か!?」
直後、背後から声が聞こえた。
ライエに向けられたそれに、声の正体を知った彼女は嫌そうに顔を顰める。
「まっ――またあなた……何の用!?」
駆け寄ってきたのはエルフの男だった。
役人か何かだろうか。しっかりと制服を着た姿に身分は保証されているように見える。
ライエはその人と知り合いなのか。言葉は刺々しいが親しくも思えた。
「うっ、そんなに拒絶しなくても……君を心配してのことに決まっている。この前も言っただろう。今は帝都をうろつかない方が良いと」
「あなたの言うことに従う義理はない。もう付きまとわないで!」
伸ばされた手を払いのけて、ライエは拒絶する。けれど男は諦めなかった。
「待て、待ってくれ! せめて私の目の届く場所に居てくれればそれでいい!」
「あなたがそこまでする理由はないでしょう!」
「頼まれたんだ! 君の父親から、気にかけてやってくれと!」
「……父が?」
彼の話を聞いていたライエは動揺を見せた。
先ほどの盗人と張り合っていた時とはえらい違いである。
「自分はあの場所から出られないから、代わりにと」
「……っ、ふざけないで! わ、わたしの気持ちも知らないでっ、勝手なこといわないでよ」
「……すまない」
「っ、いいの。あなたのせいじゃない。ありがとう、看守さん」
「ルフレオンだ。いい加減、覚えてほしいな」
男の名はルフレオンというらしい。
彼は地面に伸びている男を見て、それからフィノに目を向ける。
「もしかしてこれは君が?」
「うん。ライエ、困ってたから」
「ああ、ありがとう。なんとお礼を言っていいか」
「ううん、きにしないで」
「この男の身柄は私が責任をもって預からせてもらう」
ライエはルフレオンを看守と呼んだ。ということは、罪を犯した者を捕らえることも彼の仕事の内の一つということだ。
ルフレオンは懐から手錠を取り出すと男にかける。連行準備を進めている彼の背に、ライエは話しかけた。
「でも何を言われても私は諦めないから」
「しかし、今は本当に危険なんだ。とにかく私の話を聞いてほしい」
「……話?」
「今の帝国は君にとってはあまり良い状況じゃない。出来ればどこかに身を隠していてほしいんだが……詳しい話は私の家でしよう。部外者に聞かれるのはマズイ」
ルフレオンの言葉にライエは少しのあいだ悩んで、渋々頷く。
「だがその前に、彼を拘置所に置いてこないと。少し待っていて――」
男を担いで歩き出そうとしたルフレオンだったが、彼の足はすぐに止まった。
視界の先には、こちらに近づいてくる二人の男。身なりが良い彼らはルフレオンをみとめると声をかけてきた。
「そこの者たち、止まりたまえ」
男の一声で、ルフレオンは緊張に息を飲んだ。
「なんでしょうか」
「その恰好、君は看守だね?」
「はい、そうですが……」
「私たちはスクライン及びアングラ―ドからの使いの者だ。そこの邪血の女の身柄を引き渡してもらいたい」
「そっ、それは……」
ルフレオンは彼らの要求に言い淀んだ。即答しない彼に男たちは詰め寄る。
「いいかね。これは命令だ。一帝国兵士である君に拒否権はない。もし拒否するなら……これ以上この国では生きていけなくなるかもしれないなあ」
完全な脅迫だった。詰問されて、ルフレオンは唇を嚙みしめる。
刹那の一瞬、彼はフィノに目配せをした。身動きの取れない彼なりの助けを求めるサインだ。
それを察したフィノは、無言でライエの腕を掴むと走り出した。




