最高に格好悪い
旅の道程はこうだ。
まずはアルディア帝国に位置する街、アンビルに向かう。その街の近くにある大穴の祠から匣を回収。そしてその足でスタール雨林にある祠に向かう。
流石に広大な帝国領を徒歩でなんて行っていられないから、スタール雨林に向かう時は馬車を利用するとして……往復で帰ってくるには急いでも一か月は掛かるだろうというのがユルグの見立てだ。
「結構な長旅になるな」
「んぅ、戻ってこなきゃだし……大変だね」
長旅に際して心配になるのは金の問題である。
実際、前にユルグが旅をしていた時はいつでもこの問題が付きまとっていた。しかし今回はそれに頭を悩ます必要はない。
「金ならまあまあ稼いできた。これだけあれば足りるだろ」
「お師匠、仕事してたの?」
「まあな」
先日エルリレオのお墨付きをもらったが、ユルグの怪我の治りはそれよりも早かった。怪我が治ったらすぐにでも発とうと考えていたから、感覚を戻すために簡単な依頼を冒険者ギルドにて請け負っていたのだ。
流石にそれだけの稼ぎでは旅費としては心もとない。どうしようかと困っていたところ、エルリレオが餞別にまとまった金をくれた。
隠居していてもエルリレオは薬師としての腕はいい。街で暮らしていれば薬を作ってくれなんて依頼は頻繁に舞い込んでくる。生活するには困っていないのだ。
「それで、最初の行き先だが……シュネー山脈を越えて、北からアルディアに入る。関所の通行手形は持っていないしな」
「んぅ、わかった」
確認作業が終わって、今はマモンの合流を待っている。手持無沙汰な時間に、ユルグは少し考えてから隣にいるフィノに話しかけた。
「そういえば……言い忘れていた事があるんだが」
「……? なに?」
「お前と会った時に言おうと思ってて。その、ミアとは……けっ、こん、することにしたんだ」
「……ケッコン?」
「そう、つまり……ずっと一緒に居るってことで」
「お師匠……フィノ、それくらい知ってるよ」
「あ、ああ……そうか」
挙動不審なユルグの様子を白々しく見つめて、フィノは溜息を混ぜる。
たったそれだけの報告にフィノの敬愛する師匠は随分と緊張しているらしい。普段の様子からは信じられない態度にフィノは驚きながら、それでいて少し嬉しくも感じた。
「それにフィノ、もう知ってるよ。お師匠がミアとケッコンしたってこと」
「え?」
「カルロが教えてくれたもん」
予想外の発言にユルグは開いた口が塞がらなかった。
ということはつまり……自分の口から報告しなくても良かったということだ。
別に恥ずかしがる必要はないのだが、面と向かって言うのは多少なりとも勇気がいる行為でもある。
無駄に神経をすり減らしたと肩を落としたユルグに、でも――とフィノは笑顔を見せて言う。
「お師匠からはなしてくれて、フィノは嬉しいよ」
「そ、そうか? ……そうか」
「うん!」
満面の笑みを向けるとユルグはほっと表情を緩めた。
フィノがこんなにも素直に受け止めることが出来たのは、ユルグの元に来るまでにしっかりと心の整理が出来たからだ。
もちろん、最初聞いた時はとても驚いたし少し切ない気持ちにもなった。でもきっとこれがユルグにとっての幸せになるための一歩目なのだ。
それを応援できないのは、弟子としても人としても失格である。
何度も考えて出した結論だ。今更それを蒸し返して腹を立てるなんて、最高に格好悪い。
「お祝いはしたの?」
「いいや、まだだよ。それは全部片付いてからだ」
「お祝いするならフィノもよんで! ぜったい!」
「わかったよ」
そんな話をしていると背後の家のドアが開いた。そこから現れたのはぐったりとした様子の黒犬のマモンだ。
『ふう、……もういいぞ』
「マモン、だいじょうぶ?」
萎れた様子でマモンはよたよたと近づいてくる。
彼がこんなにも疲れ切っているのはアルベリクがマモンと離れるのを嫌がって駄々をこねていたからだ。
「アルは?」
『大人二人にこってり絞られている』
「んぅ、ちょっとかわいそうだね」
いつも一緒に居るからか。マモンはアルベリクに大層懐かれている。遊び相手に相談相手。それが一か月ほどとはいえ離れ離れになってしまうのだ。
まだ十歳かそこらの子供には酷なことである。
『こればっかりは仕方のないことだ』
溜息交じりに吐き出すマモンは寂しげである。
ペットの犬でもこんなには寂しがらない。もはや魔王というより擬態能力を持った人間と見た方がしっくりくる。
「さっさと用事を済ませて戻ってくる。その方が俺も都合がいい」
『ミアは素直に送り出してくれたのか?』
「まあな」
素っ気なく返したユルグの返答に、それを聞いていたフィノがくすりと笑みを零す。
「余計なことは言わなくてもいいからな」
「んぅ、フィノ何もいってないよ」
「釘を刺してるんだよ」
抜け目ないユルグの反応に、フィノはまた笑ってマモンにこそこそと耳打ちをする。
何を話しているのかなんて聞かなくても分かってしまうから、ユルグは二人を置いて足早に歩きだした。
「まずは山脈を超えて帝都までいく。もたもたしてると日が暮れる」
「はあい」
しかしユルグの決定に良い顔をしない者がひとり。
「マモン、どうしたの?」
『ああ、いや……少し気になることがあってな』
「アリアンネのことか?」
『うむ……』
深刻そうな顔をして頷くマモンにユルグは一度足を止めて振り返った。
「あの皇女様が今や皇帝陛下だ。さぞ国は平和だろうよ」
『そうであるといいが……あのアリアンネが肉親を手に掛けるとは思えんよ』
マモンの憂慮は、以前アリアンネがユルグに持ち掛けた計画を知っての話だ。
ユルグも例の皇帝の死はアリアンネが絡んでいると考えている。そうまでする理由は浮かばないが、彼女にはそこまでしなければならない訳があったのだろう。
「そうか? あいつなら躊躇なくやると思うけどな」
「んぅ、どうしてそう思うの?」
「さも善人ですって顔してるが、根底にある意思は絶対にブレないやつだ。そこだけは俺と同じだよ。何があってもやり抜くって気概がないとあそこまで貫けない」
アリアンネと共に旅をしていた時、ユルグは彼女のことが好かなかった。それは何もアリアンネがところ構わず困っている人に手を差し伸べる善人だから、だけではない。
そうでありたいと願っている……根底にある決意が気持ち悪いと思ったからだ。言い換えれば、執念ともいえる。
「でもアリア、良いひとだよ」
「まあな……それだけで済むんだったら俺は何も言わない」
『……』
「マモンはアリアに会いたいの?」
『……いいや、もう終わったことだ』
「でも、そうみえない」
本当は会いたいんじゃないかとフィノは勘繰る。けれどマモンは絶対にそれを口に出さない。
ずっと一緒に居た人とちゃんとお別れもしないで離れ離れになったのだ。それで何とも思っていないなんて、すぐに嘘だとバレてしまうに決まっている。
「言っておくが、わざわざ会いに行くなんてことしないからな」
「お師匠!」
「目的はそこじゃない。やることやって戻ってくるのが先決だ。何を言われようがこれは変えない」
『もとからそのつもりだ。案ずるな』
マモンの一言で一応の決着を見せた。
フィノは納得いかないながらも本人の意思を尊重して、これ以上の心配はやめる。
ユルグも言った通り、今回の旅の目的はアリアンネに会うことではないのだ。