いざ、旅立ちのとき
体調の優れないミアの世話を焼きながら過ごすこと三日。
ミアが起きてくる前に食事の準備をするのはユルグの当番になっていた。
最近は食欲もあまりないというから、食べられるものだけを用意する。
「こんなもんかな」
こうして甲斐甲斐しく世話を焼いていると、本当に大変なのだと改めて思う。この状態を一人で乗り切るのはものすごく大変なことだ。
簡単な食事を用意するとミアを起こしにいく。
「おはよう」
「うう、ん……おはよ」
「暖炉に火をくべてるからあっちに行こう」
「うー……うん」
もぞもぞと毛布の中で蠢いた後、ミアは眠そうな顔をして這い出してきた。
温かい場所に釣られるように寝室から出て行ったミアに続いて、ユルグもその後を追う。
「食欲はあるか?」
「うん、今日は大丈夫そう」
皿も取り分けて渡してやると、ユルグはミアの対面に座る。
寝起きよりも顔色はいいし、食欲もあると言っている。今日は体調が良さそうだ。そのことに安堵していると不意に小屋のドアが叩かれた。
「……? 誰だろう」
「俺が出る」
朝早くにこんな場所を訪ねてくる人は限られている。
けれど用心を重ねて、ドアの傍に立てかけてあった木杖を手に取ると、ユルグはゆっくりとドアを開けた。
はらはらと雪が舞う中、訪ね人はフィノだった。
「お師匠、おはよう!」
「フィノ? もしかして今着いたのか?」
「ん、そうだよ!」
朝なのにえらく元気な返事をするフィノはニコニコの笑顔だ。それに気を取られていて、その背後にいる人物に気づけなかった。
「お兄さんおはよう!」
「なんでお前がここにいるんだ?」
「フィノに着いてきたんだよ。きにしな~い」
突然の訪問者に呆けているユルグを置いて、カルロは我先にと小屋の中に入っていく。
いきなり現れた友人の姿に、寝起きのミアは目を擦って瞠目する。
「あれ? カルロ?」
「ミアおはよう! 私にもご飯ちょうだい!」
「いいけど……え? 何でここにいるの?」
ミアは混乱しながらユルグと同じことを質問する。
しかし当の本人はそれを無視して飯を頬張っている。代わってフィノが疑問に答えてくれた。
「カルロ、暇だからって着いてきちゃった」
「……まあ、そんなことだろうとは思った」
思わず溜息を吐いたユルグは、とりあえずフィノを小屋に招き入れた。
「もう少しかかると思ってたよ」
「んぅ、急いできたからね!」
一月前、ユルグを訪ねてきたフィノはその後一度村へ戻っていった。現状が問題解決に向かっているため石版の解読も必要ない。
戻る必要はないと思ったが、フィノは村のことを気にかけていた。なんでも今が頑張りどころなのだという。
フィノが出来ることはあまりないけど、それでも村のみんなを手伝いたいという本人の意思だ。ユルグはそれを否定しなかった。
「村のことはもういいのか?」
「うん。村のまわりの安全、ちゃんと確認したから」
「確かあそこにある巨木林に住処を移すんだったか? 俺はどんな場所かまったく知らないが生活できる目途は立ってるってことだよな」
「レルフがちゃんと調べてくれたから大丈夫」
今回の村の移転は、これから国として興すならさらに広い土地が必要だと判断した為だ。土地に人、それが大きくなければ国とは呼べない。
これはその第一歩なのだという。
「そうだな。落ち着いたら俺も手伝いに行ってやるよ」
「えっ、でも……」
「あくまで観光のついでだ」
「ええ~、いいな。私も行きたい!」
話し込んでいるとそれを聞いていたミアが声を上げる。
フィノの話では天辺が見えないほどに高い大木が乱立しているのだ。他では見られない景色なのは間違いない。ミアが興味を持つのも分かる。
「楽しみにしてるとこ悪いけど、あそこ本当になんもないよ。木ばっかりだし。観光するなら大きな街の方が楽しいと思うけどなあ」
「それはそれ、これはこれよ。そんな大きな木なら一番上まで登ったら雲の上に行けるんじゃない?」
「ミア、木登りなんて得意だったか?」
「ううん、ぜんっぜん。登ってる途中で落ちちゃうかも」
へへへ、と笑ってミアは恐ろしいことを言う。
「流石の俺でも助けられないからやめてくれよ」
「わかってる。言ってみただけ!」
「でも今の良い案かもね~。簡単に登れる通路なんてあったらいいんじゃない?」
「んぅ、それいいかも」
三人が盛り上がっているところ、ユルグはその輪から外れて旅の支度をする。
フィノが今回ここに来たのは世間話をするためではない。匣の回収をするユルグのお供として旅に同行するためだ。
事前に準備していた背嚢には水と保存食、寝袋に小さな鍋、それにカンテラなど。旅の必需品が詰まっている。
この場所に留まってずいぶん経つ。それでも身体に染みついたことは簡単には忘れないらしい。
手入れをしておいた剣と雑嚢を装備したところで、ふとある疑問が浮かんだ。
「というかお前は本当になんで来たんだ?」
「そうだなあ、なんでだと思う?」
ユルグの質問にカルロはマグを掲げて逆に聞いてきた。
今のフィノの話を聞くに村は忙しいのだろう。カルロだってやることはあるはずだ。それが暇だから、で着いてくるとは……あり得るにはあり得るが、少しだけ引っかかる。
「カルロ、お師匠の代わりにミアと一緒にいてくれるって」
「え?」
「あっ! フィノ! 先に答え言わないでよ!」
声を大にして抗議するカルロに、ミアもユルグと一緒になって驚いている。
かなり有難い申し出だが、彼女だって遊び人ではないのだ。
「カルロ、いいの?」
「もっちろん! 任せてよ。ミアが寂しくないように一緒に居てあげるからさ」
胸を張って宣言するカルロ。それを見てフィノが困ったような顔をする。
「んぅ、でもそれ理由の半分……」
「あっ、ばか! 余計な事いうな!」
「もう半分は?」
「本当はたくさん仕事押し付けられて、もうしたくないって。さぼりたいから」
「うっ、」
フィノの指摘にカルロは返す言葉もなく沈黙する。借りた猫みたいに大人しくなってしまった。
「うん、頑張ったぶんお休みは欲しいよね」
「そう、そうなんだよ。だのに、あのジジイあれやれ、これやれって……人を何だと思ってるんだっての!」
「うんうん」
大人しいと思ったのも束の間、カルロは鬱憤を晴らすようにグチり始めた。ミアはそれを頷きながら聞いている。
若干楽しそうなのはユルグの気のせいではないだろう。
「はあ、……頼んでもいいんだな?」
「ああ、いいよ。お兄さんが帰ってくるまで居てあげるから。心配しないでよ」
「助かるよ」
彼女の不純な動機には目を瞑るとして、カルロの申し出はとても助かる。ユルグにとってはそこが一番の気がかりだった。
留守にしている間なにかあったらと、正直不安だった。カルロならミアも気を遣わないでいられるだろうし適任である。
「着いて早速だが、もう出れるか?」
「うん。だいじょうぶ!」
「一度街に行って、エルに挨拶してからだな」
「マモンは?」
「ああ、あいつも連れてく。忘れてたよ」
これからの予定についてフィノと話していると、不意にユルグは視線を感じた。
それに顔を上げてみると、ミアがじっとこちらを見つめている。
「どうした?」
「ねえ、何か忘れてない?」
「え? なにか……」
「いってきますのキスよ!」
バンッ――とテーブルを叩いて立ち上がったミアの剣幕に、ユルグは口ごもる。
周囲からの視線が痛い。誰も何も言わないのが余計にキツイまである。
「な、そっ……それ、は」
「もしかして出来ませんなんて言うつもり?」
「それはない、けど……こ、ここでするのか?」
「もちろん!」
二人きりならユルグも嫌とは言わなかった。けれどフィノとカルロが見ている前では躊躇してしまう。
見世物でもないし、単純に恥ずかしいのだ。
「お師匠……」
「な、なんだよ」
「してあげたら?」
「そうだよ~、かわいそうじゃん!」
面白がっているカルロは良いとして、フィノにまでこんなことを言われるとは予想していなかった。
言い淀むユルグの様子に、フィノはカルロの腕を掴むと椅子から引きずり下ろす。
「外でまってる」
「えっ、行っちゃうの!? ちょ、まってよぉ!」
ぎゃあぎゃあと喚くカルロを引き摺って、フィノは外に出て行った。
二人きりになったところで、ミアが抱き着いてくる。
こんな風にミアが甘えてくることはあまりない。寂しいということは十二分に理解しているつもりだ。
そんなミアはユルグの胸元に顔を埋めて一つ深呼吸したのち、もごもごと喋りだした。
「わがまま言っていい?」
「なに?」
「本当は行ってほしくないなあ」
ぽつりと漏れたミアの心の声にユルグは何も言えなかった。何を言えばいいか。迷っていると、ミアはぱっと顔を上げて声を落とす。
「……ごめん。今の聞かなかったことにして」
「え?」
「だって、そんなのユルグも同じ気持ちなのに」
抱きしめていた身体を離すとミアは猛省する。
そんな彼女の様子を見て、ユルグは努めて明るく振舞った。
「この用事が終わったら俺もゆっくりできるから、戻ってきたらどこかに出かけようか」
「……いいの?」
「ずっと籠ってちゃ身体にも悪いし、気分転換に良いんじゃないか? 俺が戻ってくるまでに行きたい場所、考えておいてくれよ」
「……うん、そうする。あとで嘘でしたはナシだからね!」
「わかってるよ、約束する」
笑顔になったミアを抱き寄せて口づけをする。
そうするとミアは照れたようにはにかんだ。
「それじゃあ、いってくる」
「うん、いってらっしゃい」
愛しい笑顔を瞳に焼き付けて、ユルグは別れの挨拶をする。
外に出ると、ふくれっ面のカルロとそれに絡まれているフィノがユルグを待っていた。
「わるい。待たせたな」
「お師匠、もういいの?」
「ああ」
大丈夫だというユルグにフィノは笑みで返す。
「んじゃ、いってらっしゃい。ミアのことは心配しなくてもいいよ」
「ああ、頼んだ」
「カルロ、あまりうるさくしちゃダメだよ。ミア、調子わるいから」
「もう、わかってるって! ほらほら、さっさといく!」
ぐいぐいと背中を押されて歩き出そうとしたとき、小屋のドアが開いた。
そこから顔を出したミアは、手を振って声を上げる。
「二人とも、気を付けてね!」
「んぅ、いってきます!」
手を振り返して二人は山小屋を後にした。




