束の間の休息
フィノの冒険者登録を終えて、晴れて宿舎を借りられる手筈となった。
宿の主人が言っていたように、寂れていてオンボロで上等とは言えないが雨風が凌げるだけで御の字だ。
ギルドの受付が言うには、宿舎はユルグたちの他に使っている者はいないらしい。そもそも宿舎を貸してくれと言ってくる冒険者はよほど金に困っているか、今のユルグたちと同じ状況にある奴くらいだから、いつ覗いてもこんな状態なのだそうだ。
「かしきりだね」
「少し埃っぽいけどな」
宿舎の貸出費用は一泊十ガルドで話を付けてもらった。二人分でこれは格安だ。普通に宿を借りればこの十倍はする。
「フィノ、そうじしてくるね」
「お前は何でそんなに元気なんだ」
二人部屋に荷物を置いたフィノは、はたきと箒を持って、掃除婦よろしく忙しなく動き回っている。
まだ怪我が治りきっていないこともあり、ユルグにはそんな体力は残っていない。五日以上の長旅は旅慣れているユルグでも堪えるものだった。それなのに未だ体力が有り余っているのは、ヘルネの街を出た時よりも心身共に丈夫になったということだろう。
「――あ、そうだ!」
廊下から声が聞こえてきたと思えば、部屋を出て行ったフィノがすぐに戻ってきた。
ベッドに寝転んで早々、何事だと起き上がったユルグに彼女は詰め寄ってくる。
「ユルグ、ふくぬいで」
「……は? な、なんで」
「よごれてるから、せんたくするの」
フィノは有無を言わさずに、服に手を掛けて脱がそうとしてくる。勿論、そんな展開は御免である。
「お前、少し強引すぎじゃないか!?」
「おたがいさま!」
それを言われちゃあ言い返せない。なんせユルグにも心当たりはあるのだ。
「自分で脱げるからいい」
「でも、けがしてる」
「だからって介護が必要なほど弱っている訳じゃないからな」
とにかくいい、と突っぱねるとフィノは渋々離れていった。
確かに片腕が動かせないんじゃ不便ではあるが、ああして甲斐甲斐しく世話を焼かれるほどではないのだ。
「暇だな……」
替えの服も洗濯をするとフィノがすべて持って行ってしまったせいで、今のユルグは半裸で手持ち無沙汰にベッドに寝転んでいる状態だ。
剣の手入れや装備の点検などやるべき事はあるのだが、怪我をしていてはそれすらも満足に出来ない。
寝ていようとも思ったが、長旅の疲れは溜まってはいるが眠くはない。よって、途轍もなく暇を持て余しているのだ。
「仕方ない……風呂にでも入ってくるか」
宿舎の風呂は共有浴場だ。しかし、今はユルグとフィノしか宿泊している者はいないので、かなりの大きさの湯船が貸し切りである。これは結構な贅沢だ。
ゆっくり風呂に入れる機会は中々ないし、悠々と満喫しても罰は当たらないだろう。
意気揚々と風呂場まで向かうと、そこにはフィノがいた。籠に洗濯物を詰め込んで抱えている所にばったりと鉢合わせる。
「ユルグ、なんではだか?」
「お前が洗濯するって脱がせたからだろ」
「えっと、そうじゃなくて。どうしたの?」
「風呂に入りに来たんだ」
目の前に立ちはだかるフィノを押し退けて浴場を覗くと、白い湯気が上がっている。湯船に水を張って温めておこうとこうして来たのだが、既にその準備が出来ていた。
「これ、お前がやったのか?」
「そうだよ」
フィノはこんなに気が利く奴だったろうか。
ユルグの脳内イメージと乖離しているフィノの様子に訝しんでいると――
「ラーセさんが、つかれたときは、おふろだって」
「なるほどな」
ユルグもだが、フィノも風呂に入るのは久々のことだ。水場を見つけて身体を洗ってはいたが、やはり身綺麗にするなら温かな風呂が一番である。
「フィノもはいってもいい?」
「――え?」
いきなりの問いかけに、ユルグは固まったまま目を見開いた。
思考停止した理由は、言わずもがな。この展開は予想していなかったからである。
男としてそれはどうなんだと、ここにグランツが居たのなら煩くいわれたことだろう。しかし、ユルグの目下の興味は目の前の風呂であって、フィノの裸体では無いのだ。
今までだって彼女の胸やら下半身やら、見ようともしていないし見たくもなかったものを不可抗力で見せつけられてきたわけだが、全くといって良いほどにそそられない。
きっとフィノをそういう対象に見ていないだけなのだろう。これが男として健全かどうかは知らないが。
「俺は一人でゆっくり入りたいんだ」
「ええー」
断るとフィノはむくれた。
そんな顔をされたって、ユルグがうんと言うことはないし、それはフィノも分かっているはずだ。
納得がいかないながらも、それ以上言ってこないフィノを置き去りにして穿いていた下着を脱ぐと湯船に浸かる。
「はぁ……」
思わず吐息が零れた。久々の風呂は、疲労の溜まった心身を癒やしてくれる。
しかし、至福のひとときも、そう長くは続かなかった。
「――ぶわっ」
いきなりユルグのすぐ横で水飛沫が飛ぶ。
反射的に目を瞑って、再び開くとユルグの隣にはフィノがいた。
そこまではいい。いや、良くはないがまだ許せる。
ただ黙って風呂に入ってくれればユルグも口煩くは言わなかった。しかし、そんな穏便に事が済む筈はない。
いきなりの乱入にユルグが口を開く前に、フィノは野良猫よろしく擦り寄ってきたのだ。
「お前、なんでわざわざ引っ付いてくるんだよ」
「んぅ、だめ?」
「広いんだからもっと離れろ」
しかし、フィノは離れていかない。ユルグの左腕にぴったりと抱きついたまま素知らぬ顔である。
これは確信犯だ。ユルグが怪我をしていて実力行使に出られないことを知っていて、それを良い事に随分と大胆なことをしてくる。
「もうちょっと、いいでしょ」
「よくない」
上目遣いでユルグを見つめるフィノの頬は、微かに上気して色づいている。はたしてこれは何のせいなのか。
きっと、風呂のせいであるとユルグは思うことにした。まだ湯船に浸かって五分も経ってないがのぼせたのだと、そう思おう。
加えて、さっきから腕に柔らかな胸が当たっている。たぶんこれも無意識ではないのだろう。
「……胸が当たってる」
「しってるよ」
「だったら離れろ」
「こういうのイヤ?」
これまた意地の悪い質問だ。
咄嗟にどう答えて良いか分からずに黙り込んだユルグをみて、フィノは唇に微笑をたたえた。
「……とにかく、こういうことは軽はずみにやって良いことじゃないんだから、もう少し自重というものを」
「んぅ、ごまかした」
面白くなさそうにフィノは口を尖らせる。
そんな態度を取られたって、ユルグにはこれ以上何かをするつもりもないのだ。
「やっぱりだめかあ」
「前も言っただろ。そんな身体じゃ論外だ」
「でも、すこしおおきくなってない?」
まじまじと自分の胸を見ながら、フィノはおかしなことを聞いてくる。
「なんで俺に聞くんだ」
「だって、ユルグにしかみせてないもん」
「お前の胸の事情なんて知るわけないだろ」
そんなの知っていたら、それこそ言い逃れが出来ない。
「だいじなことなの!」
やけに食い下がってくるフィノに、ユルグは気が乗らないながらも眼下を見据えた。
透き通った湯水越しに、慎ましやかな双丘が見える。大きさはよく分からないが、森で拾った時よりは身体に肉は付いたように見える。胸のこれからの成長に関してはなんとも言えない。
「少しふくよかにはなったんじゃないか?」
「ほんと!?」
「ああ、うん。本当、嘘は言ってない。だから早く離れろ」
適当にあしらいながら腕を振ると、満足したのか。あっさりとフィノは離れていった。今までの攻防は何だったのか。
せっかく風呂で癒やされようと思っていたのに、余計に疲れが溜まってしまったように思う。




