等価交換
「そういうわけだ。お前たちには早々にやってもらわなければならないことがある」
喜ぶ暇も無しに竜人はユルグにある頼み事をする。
「この匣の中身だけでは俺がこの場所から出ることは叶わない」
「足りないってわけか」
「そうだ。俺の本体が一度ここから出られたならば、力を取り戻すことも容易だが……今のままでは厳しい」
彼の本体……この巨大な骨竜が大穴から出なければならないが、それを成すにも瘴気がいるということだ。
匣の中身だけでは不足であり、竜人の四災はだから――と続けた。
「他にもこれと同じものがあるはずだ。それを回収してこい」
彼の依頼にユルグはマモンと顔を見合わせる。
「そんなこと出来るのか?」
『長時間持ち出さなければ大丈夫なはずだが……』
件の匣をあの場所から移すことなど、マモンも経験がないらしい。不安そうに語るマモンを余所に四災は話を進める。
「あと二つ。それらを回収するまでこれは預かっておく。それと……お前のことだがな」
まっすぐに指差されたユルグはいきなりの事に面食らう。
何事だと訝しんでいるユルグを気にも留めずに、彼は悠々と話し出す。
「その身体であれば長くは生きられんだろう。短命な無人ならば尚更だ」
「何が言いたい?」
「取引をしようじゃないか。お前にとっても悪い話ではないはずだ」
いきなりの事に眉を寄せるユルグ。そんなユルグの反応を見て、竜人は取引の詳細を語る。
「匣の件はお前たちに任せる。俺がこの場所から出るにはそう苦労はしないだろう。問題なのはその後だ。何をするにしても情報が足りない。こればかりは他人任せとはいかないからな。俺自身が動く必要がある。その為には匣以外に使える瘴気がいる。つまり、お前が持っているモノを寄越せと言っている」
有無を言わさずの物言いに、真っ先に反論したのはマモンだった。
『そっ、そんなことが出来るわけなかろう! 身体に留めている瘴気のおかげで今の状態を保てているのだ! それを寄越せなどと……死ねと言っているようなものだぞ!』
ユルグの背後でマモンは吠えた。
けれど彼の反論に四災は承知済みだと鼻で笑う。
「言われなくともそんなことは理解している。だから取引だと言っただろう」
ギロリと睨まれて、マモンは竦み上がりながらユルグの背に隠れた。それを気にしつつ、ユルグは四災へと問う。
「取引……ってことは、何かしらの代替案があるってことだな」
「お前には匣の回収を命じた。それを成す前に死なれるなどと、馬鹿な事を俺がするとでも?」
やれやれと肩を竦めて、四災は本題に入る。
「肉体の寿命を延ばしてやればいい。なに、簡単なことだ」
「延ばすって、何を……」
ユルグが疑問を口に出す前に、四災は自らの身体から再生したばかりの心臓を取り出した。
鋭い爪で肉を断ち、手のひらで脈打つ心臓。それをユルグの目の前に掲げると、あろうことかそれを食えと言ってきた。
「……はあ?」
これにはユルグも困惑を隠せない。突然の事に話が見えない。何をどうしてそんなおかしな事をしなければならないのか。
どういうことだと尋ねる前に、四災は自分の心臓を握りしめて説明を始めた。
「俺の……竜人の特性は再生だ。言い換えれば肉体の治癒力を高める。お前は種族が違うから無くした四肢が生えてくる事はないが、身体機能の回復ならば容易に出来る」
「それでコイツを食えってわけか?」
「死ぬよりは容易いだろう?」
致命傷を負っているはずの四災は愉快そうに笑い出す。
彼が握っている心臓は未だ脈打っていて、血を滴らせていた。これを生のまま食らうのはかなり勇気のいる行動だ。
『だっ、大丈夫なのか!?』
マモンの心配を余所にユルグは覚悟を決める。
背に腹は代えられない。腹を括ったユルグは彼の手から心臓を受け取ると、思い切り齧り付いた。
「うえっ……」
生肉であるからかなりのえぐみがある。それにかなり血生臭い。一口齧っただけでこれなのだ。今すぐ残りの心臓を放り投げたい衝動に駆られる。
「全部食え、吐き出すなよ」
嘔吐いているユルグに向かって四災は追い打ちをかけてきた。
それを朧気に聞きながら、息を止めると一心不乱に飲み下す。せめてもの救いはこの肉塊の味が分からないことである。
こぶし大の大きさの心臓をすべて食べ終える頃には、既にユルグは満身創痍だった。
「うっ、気持ち悪い……」
『大丈夫か?』
隣で様子を覗っていたマモンも落ち着きがないようで、やけに気遣ってくれる。それを尻目に吐き気を堪えていると、四災は唐突にユルグの右腕を掴んだ。
「少し借りるぞ」
ぐいっと腕を引っ張られたかと思えば、彼はユルグの右手に齧り付いた。
鋭い牙に皮膚を貫かれ、血が流れる。あまりの力に骨も軋む。痛みは感じないがやられて嬉しい事ではない。
しかも何の説明もなしで、いきなりだ。困惑しっぱなしのユルグはついに黙るしかなくなった。
「なにを……っ」
「肉体の治癒力を高める代わりに瘴気を寄越せと言っただろう。安心しろ。これ以上は何もしない」
右手をひと噛みした四災は掴んでいた腕を放り投げた。
彼が何をしていたのか。把握する前にすべて終わったらしい。色々とあって冷や汗を掻いたユルグだったが、今度は別の意味で肝が冷えることになる。
「ぐっ……」
今まで鈍かった身体の感覚が戻ってきたのだ。痛覚、視覚……それと麻痺していた右腕の感覚。おまけに口の中に広がる血の味。
様々な不快感が一気に押し寄せて、うずくまるしか出来ない。
本来なら動けないほどの怪我を負っているのだ。それを痛みを感じないからと無理をしてきたツケである。
先日の魔物の討伐で負った深手に悶絶していると、それに構わず四災は話をまとめる。
「お前たちは匣の回収をしてくれるだけでいい。俺もこれ以上は干渉しない。お互い目的を達せられたならそれで良いだろう?」
「……っ、わかった」
息も絶え絶えなユルグに一瞥をくれて、四災はユルグたちの前から去って行った。
頭上を覆っていた竜の頭蓋もどかされて、言外にここから出て行けと言われているのだろう。
『これは……しばらくは動けんだろうなあ。ひとまずはお主の師匠に見てもらって療養するといい。あの四災とやらも期限は設けなかった。怪我が治るまで猶予はあるはずだ』
マモンの助言にユルグは声もなく頷く。
竜人の四災が何を企んでいるのか。それは知れないが、今は身体を休める事を優先した方が良さそうだ。




