裏の裏を読む
大きな獣の姿になったマモンの頭上にしがみつきながら、ユルグは大穴の底を目指す。
穴底から昇ってくる瘴気のヘドロを避けて暗闇を降りていくと、瞬きをした次の瞬間――以前見た霧深い渓谷が目の前に広がっていた。
「これ以上話すことはないと言ったはずだが」
煙る霧の向こう側には、巨大な骨竜が鎮座していた。
しかし、前にユルグと対峙した赤い竜人はどこにも見えない。肉体を維持出来ずに消えてしまったのだろうか?
『交渉する前から不穏ではないか!? どっ、どうする』
「お前は黙ってろ」
嫌な気配を察して黒犬の姿になったマモンはユルグの足元に隠れるようにして震えている。それを一瞥して黙らせるとユルグはその巨大な姿を見上げた。
周囲を警戒しながらユルグは慎重に言葉を選んで語りかける。
「お前に話があってきた」
「思い上がるなよ、無人。俺がその話とやら、律儀に聞いてやるとでも?」
予想した通り、竜人の四災は部外者の訪問に難色を示す。こうなることは予想していた。彼に交渉の卓に着いてもらうには話術で引き込まなければならない。
こちらの提案が自らの益になるのだ、と理解してもらわなければ。
「今日は面白いものを持ってきたんだ」
ユルグは背嚢に入れていた匣を取り出して、目の前の地面に置く。
この場所を訪れても匣は中身の瘴気を失わずにまっくろなまま。どうやら匣に入っている瘴気はこの大穴の影響を受けないらしい。
目の前に置かれた匣に、竜人の四災は興味ありげな反応を示した。骨の頭を動かして目と鼻の距離に顔を近づける。
「これは……驚いた」
意外にも四災からは感嘆の声が漏れた。それだけこの匣の存在は予測し得ないものだったのだ。
彼の反応を間近で見てユルグは手応えを感じた。これならば……上手くすれば交渉の余地はありそうだ。
「そいつの中身、お前なら何か分かるはずだ」
「……にわかには信じがたいが、これは瘴気か。それもかなりの量だ。そこの呪詛よりも溜まっているがこの場所でも霧散しないところを見るに、原理はお前たちのそれと近しいのか」
四災は唸りながら熟考している。それを聞いてユルグはなるほどと合点がいった。
どうやらこの場所、大穴の底はかなり限定的な効果しかもたらさないらしい。
四災の力を封じる場所ではあるが、他の生物や物体に溜まった瘴気を吸収して発散する効果はないのだ。
以前ユルグが訪れた時にも気付けたことだが、あの時はそこまで考えている余裕はなかった。
けれど、これが分かっただけでも充分な成果である。
「その匣は地上にある魔法技術を元に作られたものだ。瘴気を吸収、保存出来る。俺たちにとってはたったそれだけの物だが……お前にとっては利用価値の高い物なんじゃないか?」
ユルグの一言で四災の意識が匣から逸れてこちらへ向く。
どうやら彼にもユルグの意図が理解出来たみたいだ。
「……何が目的だ?」
「この前もちかけた交渉の続きをしよう。今回は無償で手を貸せとは言わない」
地面に置いた匣を靴先で小突くと、ユルグは地面に胡座をかいて座り込む。マモンは怯えながらもユルグの背後から四災の反応をうかがっている。
眼下に見えるそれらを見据えて、竜人の四災は逡巡した。
というのも、彼にとってこの匣の中身……ひいてはその存在そのものが興味深いものなのだ。上手く利用できれば面白い結末を見られるかもしれない。
「報酬がこれだけというのは易く見られたものだ。だがまあ、話だけなら聞いてやらなくもない」
そう言うと骨竜は顎門を大きく開いて、頭上から二人めがけて噛付いてきた。
頭蓋の天蓋で空を覆うと、影になった薄闇から見知った人物が姿を現わす。