唯一の秘策
――翌日。
麓の街、メイユに訪れたユルグはアルベリクの家へと向かっていた。これからのことについて皆の意見を聞いておくべきだと判断したからだ。
「あっ! にいちゃんとねえちゃん!」
道中、おつかいの帰りか。荷物を担いだアルベリクにばったりと出会った。その足元にはいつものように黒犬のマモンもいる。
「ふたりしてどうしたの?」
「今からそっちに向かおうと思ってたの」
「なんか用事?」
「うん、そんなところ」
二人の会話を聞いていると、マモンがおずおずと近付いてきた。
昨日のこともあり、何か言いたげである。けれどそれを待たず、ユルグは彼に声を掛けた。
「昨日は……その、悪かったな」
『その様子だと何かあったのか?』
「お前に言われたからってわけじゃないが、俺が大馬鹿野郎だって気づいたって話だ」
自嘲気味に笑ったユルグに、マモンは何か心境の変化があったのだと悟った。大方ミアに色々と言われたのだろうが……ユルグの様子からは軽率さを感じない。
きっと大事なものがなにか気づけたのだろう。それを感じてマモンはほっと胸を撫で下ろした。
『それに気づけただけでも随分な進歩なのではないか?』
「お前に言われるとムカつくんだが」
『はははっ、図星というやつだからだろうなあ』
ニヤニヤと笑みを浮かべるマモンに、ユルグはそっぽを向くと話し込んでいるミアの腕を掴んで歩き出す。
「ちょっと、どうしたのよ!?」
「なんでもない。早く行こう」
「……もしかして、またマモンと口喧嘩したでしょう」
「してない」
「嘘ついてもわかるんだから! 仲良くしなさいっていつも言って――」
ミアの小言を適当に聞き流して、三人と一匹はアルベリクの家まで辿り着いた。
今回こうして訪れたのには、ある理由がある。
ミアと共に生きると決めた以上、野放しにしておけない問題が山積みなのだ。それらはユルグ一人の力ではどうにもならない。出来ないのなら力を借りるべきだ。
そうなれば必然的にユルグの師であるエルリレオにも事情を説明する必要がでてくる。考えを改めたが無謀なことをしようとしていたのだ。烈火の如く怒られたとて、文句を言える立場にはない。
マモンの助言もあってユルグがすべてを白状し終えた頃。
重苦しい空気の中、見据えた師匠の顔は悪鬼と見紛うほどだった。
「はああ、まったく。我が弟子ながらこんなにも大馬鹿者だとは思わんかったよ」
「……ごめん」
「グランツが生きておったらボコボコに折檻されていたところだ」
溜息を吐きながら苦言を呈するエルリレオにユルグは頭が上がらない。彼の言葉通り、グランツもカルラもエルリレオ同様、ユルグの馬鹿な考えには同じ反応を示しただろう。
ボコボコにされる、というのもグランツならば確実に有り得る。
脳裏に閃いた想像にユルグは背中に悪寒を感じた。それを振り払うように頭を振ると、エルリレオは再度溜息を吐いて開口する。
「生きてさえいれば反省も出来る。寸前で思い留まってくれたことが儂は嬉しいよ」
心労が透けて見える表情にユルグは再度、謝罪の言葉を投げかける。
そうしたところで、エルリレオは一つ咳払いすると本題に入った。
「して……今回はどういった用で来た? ただ怒られに来たわけでもあるまい」
「うん。その事なんだが……エルの意見が聞きたいんだ」
ユルグは師匠に助力を求めた。
一人の力などたかが知れている。第三者の視点からなら、良いアイディアが生まれると考えたのだ。
結果、その判断は正しかった。
「魔王の能力に頼らず解決するには、やはり元々あった匣を利用するしか手立てはないだろうなあ。犠牲をなくすにはそれが一番だ。出来るか出来ないかはこの際、度外視すればだがね」
『うむぅ……やはりそうなるか』
エルリレオの意見にマモンは嘆息する。
けれど匣をどうにかしようにもその手立てだって無いに等しいのだ。マモンとしても諸手を挙げて賛成は出来ないだろう。
二人の反応を見て、ユルグはあることを考える。
頭の隅に引っかかっていることがあるのだ。何も手立てがない以上、一縷の望みにも成り得るものだが……それなりにリスクも大きい。だが賭ける価値は充分にある。
「あの匣の中身をなくすってだけなら、なんとか出来るかもしれない」
「可能なのか?」
「……たぶん」
二人の眼差しが突き刺さる。それを受けながら、ユルグは唯一の秘策を語った。
「あの大穴の底にいる四災ってやつに押し付ける」
ユルグの考えた秘策は、超常の存在である四災の力を借りることだった。マモンも然り地上の技術ではどうにもならない。
言ってしまえばこれは最終手段だ。
「話を聞く限り、あまり信用出来る相手ではないと思うが……」
「もちろんそこは弁えてるよ。何も無策ってわけじゃない」
エルリレオの懸念にユルグは一から説明する。
そもそもあの四災がこの提案に乗ってくれるかだ。確証はないがユルグは出来ると勝算をつけた。その理由は彼と話した時に感じた違和感が根底にある。
「今のあれは力を封じられている状態だ。つまり、あの匣の中身は喉から手が出るほど欲している物かもしれない」
『うむ、その可能性はありそうだ』
もちろん匣の中身だけで、四災の力をすべて取り戻すことなど出来ないだろう。けれど量は関係ない。
「匣の中身どうこうはおまけだ。やつと交渉出来ればそれでいい」
ユルグの思惑はまた別の所にあった。
匣を空にしたところで、大元を潰さなければ意味がない。そこまでの方法はまだどうすればいいのか。今はまだ手探りの状態だが、そのヒントはあの四災が握っているはずだ。
なんとか上手く誘導して、諸々の問題も解決出来ればそれに越したことはないが……高望みは出来ないだろう。けれど交渉の余地があると分かるのは大きな進展なのだ。
「わかった……実際それ以外に打つ手がない。ならば苦肉の策だ。儂はそれを止めはしないよ」
険しい顔をしながらもエルリレオはユルグの作戦を否定しなかった。
ほっと息を吐いた直後、ユルグの師である彼は苦い顔をしながら弟子に言葉をかける。
「ユルグよ……本当ならばお主の身体のこともどうにかしてやりたい。だが不甲斐ないことに儂では何もしてやれんのだ。すまない」
エルリレオは肩を落として項垂れる。師匠である彼の胸中はユルグにも知るところであった。
一年前の惨状で運良く生きられたが、身体は満足に動かせない。生き残ったくせに弟子の危機には何も出来ない。そんな自身の不甲斐なさを恥じているのだ。
けれどユルグにとっては生きてくれていただけでも充分だった。それだけで充分すぎる程に救われたのだ。
「これは俺が選んだことなんだ。自業自得ってやつだよ。エルが負い目を感じる必要なんて無い」
嘘偽りのない本心だった。それを聞いたエルリレオは目頭を押さえて沈黙する。
「それよりもエルが淹れてくれたお茶が飲みたいな。あれが一番うまいんだ」
「ふっ、ははは……そうだろう。待っていなさい。いま支度をするのでな」
柔和な笑みを浮かべてエルリレオは椅子から立つといそいそと支度を始めた。
直後、それを見計らったかのように家の扉が開いた。




