メルテルの街にて
その後、一晩スタール雨林で夜を明かし、二時間ほど歩いたところで木々の切れ目に辿り着いた。
やっとのことで雨林から抜け出たユルグたちは、そこから少し歩いた所にある街――アルディア帝国領、メルテルへと足を踏み入れていた。
「でっかいまちだねえ」
門衛に通されて足を踏み入れた途端に、ユルグの傍らにいたフィノが感嘆の声を上げる。
「帝国は国土も広いし、人も多い。どこもこんな感じだ」
大陸随一の富める国である。だからと言って良い面ばかりではないが、それでもこの国に憧れて移住してくる者もそれなりにいるのだ。
「それにしても、本当にノーマークだとは思わなかったよ」
メルテルの門衛は、ユルグの顔を見ても際立った反応は見せなかった。見たところ、手配書も張られていない。おそらく、アルディアの皇帝がルトナークの要請を断ったのだろう。
無論、魔王の存在はどの国にとっても驚異だが、だからといって諸手を挙げて協力する気はないということか。
どうやらこの国はユルグにとって、随分と居心地が良さそうである。
「怪我が治りきるまでこの街で療養しよう。取りあえずは宿と飯だな」
「うん!」
よほど嬉しいのか。フィノは嬉しそうに頷いた。
けれど、喜んでばかりはいられない。
ユルグの怪我は、少なく見積もっても完治には十日はかかるだろう。その間この街に留まるのなら何かしら稼ぎを得なくてはならないのだ。
ラーセから渡された路銀はあるが、流石にそれだけで十日分の生活費を賄えはしない。つまり、働き口を探さなくてはいけないのだが、ユルグはこんな状態だ。その役目は必然的にフィノが負うことになる。
「――と、まあ。こんなところだ。意味は分かったか?」
「んぅ、フィノががんばればいいんだよね」
「そうなるんだが、お前じゃあ少し難しい」
食事処で美味い飯に舌鼓を打ちながら、今後の予定を話し合う。
不穏なユルグの言に、対面しているフィノは眉を寄せて何事かと考え込んだ。
「やっぱりまだ、ちゃんとしてない?」
「いいや、出会った頃よりは垢抜けたよ。普通に働くなら何も問題は無いだろう」
これに関しては嘘偽りはない。ユルグの本心であった。問題は別のところにある。
「アルディア帝国は、エルフが統治している国なんだ」
「そうなの?」
「元々、アルディアと隣接しているラガレット公国は国土を同じくしていたことは、前に話しただろ」
「んー、うん」
ユルグの確認に、フィノは空返事を零した。この様子だとあまり理解していなさそうだ。
「エルフは種族内で色々と派閥があるらしい。皇家とそりが合わなかったせいで反旗を翻して今に至るってところだな」
「ふぅん、そうなんだ」
「……やっぱりお前分かってないだろ」
フィノの脳天気な態度に、ユルグはこれ見よがしに溜息を吐いた。
この店に入った時から、不躾にこちらを伺う視線が途絶えないのだが、フィノはそれに無頓着なのだ。きっと気づいてすらいない。
「エルフが実権を握っているなら、優越思想も根強いってことだ。そうはいっても純血は帝国内でもそれほど多くはない。人間だってこの国にはたくさんいる。それでもハーフエルフのお前には生き辛いだろうな」
飯を頬張りながらユルグへと向けられる眼差しは、先ほどと変わりなく思える。言い含めて、それで理解しろと言うのは無理があったみたいだ。
ユルグは、エルフという種族がどういうものかは今までの旅で骨身に染みている。対してフィノは全く実感していない。こればっかりは実際に目にしてみないと難しいだろう。
そういった事態には極力遭わせたくはないのだが――
「とにかくお前はあまり顔を晒さない方が良いな」
「んぅ……なんで?」
手を伸ばして、フィノが着ていた外套のフードを頭に被せる。
いきなりのユルグの行動に、フィノは不思議そうな顔をした。しかし、その疑問はすぐに解決する事になる。
「お客さん、ちょっと良いかな」
テーブルに店の店主が顔を出してきた。
「悪いけど、それを食べ終わったら早々に出て行ってくれないか」
「……なぜだ?」
「その子、ハーフエルフだろ。邪血を店に入れたとあっちゃあ、目を付けられちまう。店の入り口に注意書きもあっただろ」
「……この街ではどこもこうなのか?」
「そうだな。俺だって金を払ってくれるのなら、客に選り好みはしたくないさ。でも、皇帝陛下の言う事にゃあ逆らえないんだ。すまないね」
店主はそう言うと、そそくさと離れていった。
「……フィノ、ここにいちゃいけないの?」
暗い顔をして、フィノは俯いている。
それになんと声を掛けて良いか。ユルグは一瞬迷って、それから口を開いた。
「そうみたいだな」
「な、なんで?」
「種族的な問題だ。お前個人を嫌って言っているわけじゃない」
「……んぅ」
「気にするだけ無駄だってことだ」
落ち込む必要は無いと遠回しに言ってみたが、フィノにそれが通じているかどうか。顔を上げたフィノの表情はあまり優れないあたり、効果は無いみたいだ。
どうしたものかと悩んでいると、不意に正面にいるフィノが声を上げた。
「ユルグ、めいわくしてない?」
随分としおらしい態度に、ユルグは瞠目した。
何をそんなに気にしているのかと思ったら、どうやら自分の事では無くユルグの事で悩んでいたらしい。
「迷惑なんてお前と会ってからずっとだ。今更だろ」
「でも」
「こんなことで弟子を手放すほど甲斐性無しじゃない。もうこの話は忘れろ。気にするな」
「……わかった」
納得はしていないものの、フィノは渋々といった様子で頷いた。
「それと、人前では名前で呼ばない約束だろ」
「あっ、そうだった」
帝国ではユルグは自由に行動が出来る。素性を隠す必要は無いが、一応備えておくべきだ。
「んぅ、ごしゅじん?」
「それはちょっと……いや、かなり嫌だ」
「おししょう?」
「そっちの方がマシだな」
奴隷の焼き印は消えないが、フィノはもう奴隷ではない。ご主人様、なんて敬う必要はないんだ。
「……お師匠ねえ」
「なに?」
「いや、俺の時は一度もそうやって呼ばせて貰えなかったと思ってな」
ユルグの師でもあった彼らは、師匠と呼ばれることを極端に嫌っていた。一緒に旅をする仲間だっていうのも関係していたのかもしれない。
ユルグは彼らのことを尊敬していたし、師弟の関係なので「師匠」と呼びたかったのだが、結局叶わず終いである。
「ほら、食べ終わったのなら今度は宿を探しに行くぞ」
「ん、うん」
店を出て、ユルグたちが向かったのは宿屋であった。しかし、そこでも帝国特有の洗礼を受ける事となる。
「――ハーフエルフはお断り、ねえ」
「すいません。こればっかりはどうにも出来ないんですよ」
申し訳なさそうに宿の主人は頭を下げる。
客だけを相手に商売は成り立たないということか。
以前、旅をしていたときにもこの国には立ち寄ったが、昔と随分変わっている。少なくともあの時はこんなにも酷くは無かった。
おそらくこの様子だと規則を破れば罰則も少なからずあるのだろう。
郷に入っては郷に従えという。事を荒立てたくはないし、ここは素直に引き下がろう。
「分かった。連れがいても借りられる宿はあるか?」
「うーん……この街でそれは難しいと思いますよ。同業者の間ではそういった話は聞いた事は無いですね。皆悪目立ちはしたくないものですから」
「そうか……邪魔をしたな」
踵を返そうと足を浮かした瞬間、「待ってください」と主人はユルグを呼び止めた。
「お客さん、もしかして冒険者をやっていたりしますか?」
「? ……まあ、一応は」
「それでしたらギルドの宿舎を借りるのはどうでしょう。あそこなら門前払いをされる心配もないと思います。流石に寝床は上等とは言えませんけどね」
「ありがとう。行ってみるよ」
宿の主人が言うように、冒険者ギルドならば種族間のゴタゴタはない。ハーフエルフを連れていても難癖を付けられる心配はなさそうだ。




