災い転じて
機人の四災は腕を組み、黒い巨体を見据えて最後の忠告をする。
「とはいえ、我らも同じ轍を踏むことは二度とない。二度目があるなら、その前に貴様諸共、徹底的にぃ――」
しかし彼の話は途中で途切れてしまった。
いきなりアルマが空いていた口を力技で無理矢理に閉じてしまったのだ。
「マスターの介入はいつも唐突に始まって終わりが見えない。とても迷惑している」
彼は口が開かないように抑え付けながら不満を語り出した。機人の四災の干渉器ではあるが、それとこれとは別なようで……アルマは自らの制御を奪われることを嫌っているらしい。
まるで歯ぎしりするようにギリギリと開口しようとする顎門を抑え付けていると、その様子を見ていた無人の四災が感嘆をもらす。
「君たちは創造主には絶対服従だと思っていたが……変わってるなあ」
「アルマの前に創られた機人はそうだった。しかしマスターはアルマに心を獲得しろと命じた。ゆえに服従するも反抗するも自由だと判断する」
「へえ……珍しい事もあるものだ。あの傀儡のような機人が自立するとは……いいね、面白いよ」
ニヤリと笑んで勝手に納得すると、四災の彼はぐっと頭を下げてフィノへと告げる。
「結論は出た。巡り巡って……三番手の君の意思に従い、世界を元の状態に戻す。もちろん私たち上位者はこれまで通りに干渉はしない。君たちの営みを破壊するような真似はしないと誓おう」
――などと、ご立派な事を言う四災に、それを聞いていた女神がすかさず口を挟む。
「それ、あなたが一番言っちゃいけないことじゃない?」
「そうかな?」
「そうよ! 一番最初に禁を破ったんだから!」
元凶を作った無人の四災に、女神はガミガミと文句を言う。
彼女も女神になる前は被害者側にいたのだ。適当な四災の態度に怒るのは当然と言えよう。
「はあ、……こんなんじゃまた同じことが起こりそうで気が気じゃないわ」
「私もそう思う」
『右に同じく』
「同意」
満場一致に、この場に四災の味方は誰一人居ない。孤立無援、四面楚歌な状況に彼は、こまったなあ、と口先だけで困り果てている。
しかしフィノたちがどれだけ心配しようとも出来る事は何もない。すべては彼ら上位者の一存で決まってしまう。なんせ彼らは女神よりもすごい神様なのだから。
彼らが本気を出せば何をどうにだって出来る。それをしないのは、ひとえにこの地上が上位者たちにとっての遊技場で興味をそそられる玩具だからである。愛着があるからこそ、彼らは傍観者であり続けるのだ。
「そんなに心配しなくとも、地上に出てすぐに何かをする気は無いよ。私も今の変化を楽しみたい。しばらくは大人しくしているつもりだ」
「しばらくねえ……まあ、いいでしょう」
「それで、君のことなんだがね」
「……わたし?」
四災は自らの手のひらに乗っている女神に話しかける。
「魔法を残す為に君は生かすと決めたけれど……私以外の者が手出ししないとは限らない。そうなれば、非力な君は瞬きをするよりも前に呆気なく殺されてしまうだろう」
彼は女神を自分の庇護下に置くべきだ、と言った。
「それは有り難いけど……あなた、何か企んでるんじゃないでしょうね?」
「ああ、やはり君にはバレてしまうか」
流石だね、と四災は女神の追求に笑って答える。
「この世で一番安全な場所に君を隔離することにした」
「それって……」
「何も心配しなくてもいい。死にはしない」
女神の外郭を保っていた影のような身体が瓦解するのと同時に、四災は手のひらに残った肉塊をぱっくりと飲み込んでしまった。
突然の事に、誰も何も反応が出来ない。
彼は無慈悲にも、共犯者であった女神を裏切るような行いを選んだのだ。
「彼女はそこの呪詛と違って不死身ではない。何かの拍子に死んでしまったらそのまま魔法という概念も壊れかねないからね。私の中で保管すれば未来永劫、安心安全というわけだ」
でも――、と四災は含み笑いを浮かべた。
「今のは君たちに向けた建前だ。本音を言うと……これより先、私に向けられる報復を躱すための保険だよ」
「……保険?」
どういう意味だとフィノが聞いた、その直後。遙か遠くの空の彼方から、大気を震わすおぞましい咆吼が鳴り響いた。
聞こえた音の方角を振り向くと、まだ夕刻には早いというのに彼方の空が赤く染まっている。まるで空そのものが燃えているようにも見える。
『あの方角は……シュネーの雪山があるが』
「もえてる!」
奇妙な光景にヨエルは呑気なものでこの状況を楽しんでいる。しかし、フィノの脳裏にはある予感が閃いていた。
「もしかして」
「大穴の封印は既に解いてある。彼は短気で粗暴だからね。いくら私が不死身の存在であっても八つ裂きにされて燃やされてはかなわない」
恨みを買っていることを自覚しているのか。四災は恐ろしいと笑って言う。どうにも軽口を言えるだけの余裕はあるらしい。
過去にあった歴史を振り返るのならば、上位者の中でも無人の四災に恨みを抱く輩がいるのは当然だ。フィノにはそれの心当たりがあった。
フィノは実際に会ったことはないが……シュネーの方角にある大穴の底には竜人の四災が封じられている。彼ならば報復を考えていても不思議はない。
「その為の保険ってこと?」
「その通りだ。しかし今すぐに効力を発揮するものではない。時間をおいて、この世界に魔法という概念をさらに定着させなければいけないからね。そうなれば、よほどの事がない限り私を封じるなんて悪手は取れない」
無人の四災がもっとも嫌うのは退屈だ。彼にとって大穴の底に封じられるのはどんなことをしても避けたい事なのだろう。
だから彼は魔法という概念を自らの懐に入れて、誰にも奪われないようにした。おそらく四災を封じてしまえばそれと共に魔法も世界の理から消えてしまうのだろう。
つまり……使い勝手の良い人質を手に入れたも同然である。
「ああ、私を悪し様に思わないでほしい。元々女神に力を与えたのは私だ。それを返してもらっただけだよ。何の問題もないだろう?」
「わたしは……あなたが何もしなければ、それでいい」
「そうかい? ならばこれ以上は何も言わないでおこう」
フィノの回答に満足した四災は、おもむろに周りを見渡した。
空の彼方は燃え、周囲の木々はざわざわと蠢く。地面はごうごうと地鳴りが止まない。それらを見た四災は、そろそろ潮時だと言った。
「すべきことは終えた。他の上位者を解放した事で地上に溢れている瘴気もいずれ収まるだろう。私もそろそろお暇させてもらうよ」
その言葉と共に彼のまっくろな身体が末端から溶け始める。
「君たちとはもう会うことはないだろう。これから先、残りの人生を謳歌出来る事を祈っている」
そう言って、無人の四災は溶けて消えてしまった。