二人の共犯者
最後、加筆しました。
「わっ――!」
飲み込まれた少女は無傷の状態で吐き出された。
周囲を確認するとそこは彼女が暮らしてきた小高い丘。どうやらあの処刑場からは無事生還出来たようだ。
ふと見上げると少女の傍にはまっくろな獣が行儀良く座っていた。
「あなた、さっきの話は本当なの?」
「もちろん。私は嘘は吐かない」
「……気が変わったりとかは?」
「ないね」
即答したシサイは渋るリユイに懇々と説明をする。
「私は難しいことを言ってはいない。人間たちが私に干渉しないようにして欲しいだけだ。それ以外はすべて君の裁量に任せる」
シサイの出した条件は破格だった。
彼が大穴の底に行くというならば、この地上を支配する上位者はいなくなる。そこに少女が神の地位に就けば、定命には抗える者は居なくなるということだ。つまり絶対的な支配を敷ける。
けれど少女には自分の意のままに他者を操ろうなどという野心めいたものは全くなかった。
今の彼女が考えることといえば、厄介な事に巻き込まれたなあ、くらいだ。
しかしそうは思っても、あのシサイを焚き付けたのも、言い出しっぺなのも自分である事は事実。これについては責任を負う必要がある。
「私の事は一先ず置いといて……あなたはいつまで穴底に引きこもるつもり? 期限は? 何をもってそれの終わりとするの?」
「……まったく決めていないね」
「それじゃあダメじゃない」
大層な事をしでかすつもりのようだが、当の本人は無計画だった。これでは何をしたって裏目に出る。
「仕方ない……私が助言をしてあげる」
「それは助かるね」
「あなたが地上から姿を消すのはあいつらを改心させるため。でも、ただ引き籠もっていても意味がない。自分たちが何をしてきたのか。解らせる為には薬ではなく毒が必要なの。罪と罰ね」
今までシサイのしてきたことは彼らを肥えさせただけだ。甘い蜜を際限なく与えていただけ。そんなことでは改心なんてするわけがない。
そこでリユイは甘やかすだけでは駄目だと一喝した。やるからには飴と鞭、両方なければ誰だって諭せない。
「ふむ……毒ならば簡単に用意出来る。私が引き受けていた瘴気を放っておけばいい。そうなれば、いずれ地上は瘴気に冒されるだろう。これは君の言う罰になるかな?」
「いいじゃない。充分よ」
リユイの考えた筋書きはこうだ。
シサイが大穴の底に留まることで、地上は瘴気で満たされる。それは定命……人間たちには毒となるものだ。やがてそれに耐えかねた人間たちが改心して、シサイの存在を心の底から望む。そうなれば彼の威厳も人間の慢心も、何もかもが解決する!
――となるのが理想。
「こんなに上手くいったら苦労しないわね」
「……これのどこが駄目なんだ? 良い案じゃないか」
「はあ……あなた、やっぱりなにも解ってないじゃない」
やれやれと肩を竦めたリユイは、何が問題か理解していないシサイに一から説明をする。
「あいつらがそう簡単に改心すると思ってるの?」
「……さあ? それは未知の領域だ。私からは何も言えない」
「答えはいいえよ! 絶対にあり得ない!」
断言すると、シサイはまだ理解出来ないのか。唸り声をあげた。
「こういった計画はね。総じて上手く行かないものなの。だから不測の事態に備えて策を練っておくものなのよ。そもそもあの計略だけじゃ穴だらけもいいところね」
そう言って、リユイは問題点を挙げてそれを潰していく。
一つ――瘴気に対抗する他の手段はあるのか。
「呪詛というものがある。使いようによっては瘴気をどうにか出来る代物だ。それを扱う対価に術者の肉体か寿命を削る事になるから、人間は好んで使わないけどね」
二つ――人間たちがシサイを求めた場合。
「これについては私の力ではどうしようもない。協力者の助力が不可欠だ。しっかりと手綱を握って貰わないと」
三つ――根本的な問題。人間が改心しない可能性。
「その改心とやらをするまで、私は大穴の底に留まるつもりだ。私に寿命はないし、時間ならたっぷりある」
シサイの考えを聞いて、リユイは大きな溜息を吐いた。
「こんなのじゃ、何をしたって不可能よ!」
「そうかな?」
「そもそも、あなただけで解決出来る問題が一つも無いじゃない!」
「だから君に協力を要請しているんだ。私と彼らの間に第三者が入る事で、これらの問題はすべて解決出来る」
彼の言動は荒唐無稽と言えるものばかりだった。
唯一の対抗手段である呪詛が邪魔ならば消してしまえばいい。
人間たちがシサイの元へと寄り付かないように規則を作り監視すればいい。
この二つについてはシサイの力を使えばまるく収まると彼は言う。もっともそれは、リユイが神に成って云々、というのが前提になってくるが。
問題は、最後の回答だ。
「改心するまでって……最悪、ずっと穴底に居ることになるかもしれないじゃない」
「そうなるね」
「そうなるねって……あなた、退屈が何よりも嫌いなんじゃなかったの? 暗くて狭い穴の底なんて、この丘にいるよりもそうに決まってる。終わりの見えない中、たった一人でなんて耐えられる?」
「言われてみるとそうだ……困ったなあ」
まるで他人事のような返答に、リユイは呆れて言葉を失う。
リユイだってシサイがずっと穴底に居ることを望んでいるわけではない。かといって今の彼の状況にも不満はたっぷりある。
何よりも人間の傲慢さが一番腹立たしい。シサイを道具のように扱って都合の良い時だけすり寄ってくる。彼がそれに異を唱えないから余計に増長して……きっと、国王がいなくなっても状況は変わらないだろう。
だからリユイはシサイへと提案したのだ。このままではいけない、と。
けれど当の本人は未だによくわかっていないようだ。
彼にとっては人間の行いなど児戯に等しい。何をされたってどうって事は無いのだろう。しかし、少女にとってはどうでもいいと割り切れる問題ではなかったのだ。
このままではいつまで経っても堂々巡り。何も変わらない。変わらないなら、変えてやらなければ。
少女にとって目の前の獣との関係は、他人の一言で片付けられるものではなくなっていた。
そこにどんな感情が働いていたのか。シサイには皆目見当もつかない。けれど、散々渋っていた事を彼女は少し悩んだ挙げ句、了承してくれたのだ。
「わかった。神様でもなんでも、なってあげる」
「本当かい?」
「ええ、その代わり私のする事に口出ししないこと」
「構わないよ。君の裁量に任せると言った。元からそのつもりだ。けれど、それを念押しするということは何かするつもりだね」
シサイの指摘にリユイは大きく頷く。
「あなたの計画から逸脱する事はしない。でも失敗したときの事を考慮しないなんてあまりにも杜撰よ」
リユイは自分の考えをシサイに話して聞かせた。
三つの問題は彼女がシサイと人間の間に入ることで収める事が出来るはずだ。もちろんそうなるように努める。
そしてそこに明確な期限を決めた。
「改心するまで、なんて大雑把すぎる。だから期限を設けましょう」
「……期限?」
「あなたが穴底に引き籠もると地上は瘴気で満たされる。そのままにしているといずれ人間たちは滅んでしまう。それで合ってる?」
「呪詛を廃するのなら、そうなるね」
「もちろん、私とあなたはそれに干渉しない。自らの過ちに気付けないようだったらそれまでだってこと」
少女の計画は無慈悲なものだった。
彼女は人間が改心できるとは僅かも思っていない。その存在も良くは思っていない。その果てに滅んでしまっても構わないとさえ考えている。
「もしあなたの思惑が失敗して、すべてが滅んでしまったら……その時は仕方ないと割り切って頂戴」
「君も随分と酷いことをするなあ」
「あなたよりは幾分かマシ!」
少女が神と成って首尾良くやるならば――呪詛を廃して、シサイの大穴に人を寄せ付けず永遠に沈黙を守るならば、人間はいずれ滅ぶだろう。
しかしそれをわかっていながら、シサイは少女の計略に異を唱えなかった。
「了解した。すべて君に任せることにするよ。私は刻が来るまで大穴の底で待つとしよう」
「ええ、期待せず待っていて」
暗い表情もせず、笑って言う少女をシサイは摘まみ上げて手のひらに乗せる。
「ああ、それでも彼らにとっての神になるんだ。そこのところは良いのかい?」
一連の計画には神に成った少女を人間たちに盲信させるという工程が必要不可欠だ。それは彼女がどうしても嫌だと拒絶していた事象そのもの。
もちろんそれを彼女が忘れている筈もない。
シサイの問いかけにリユイは心底嫌そうに顔を顰めてみせた。
「嫌に決まってるじゃない。でもね……私、演技はとっても得意なの」
「ハハハッ、そうだった。それなら何も問題はないね」
シサイの笑い声と共に、彼の手のひらから染みだしてきた瘴気のヘドロがゆっくりと少女の身体を包んでいく。
冷ややかなそれは、まるで底の見えない暗闇に包まれていくよう。
安寧を壊し、明けない夜の始まりが訪れる。
――こうして、少女は女神と成ったのだ。




