ことの始まり
シサイが軟禁されている場所は、見晴らしの良い小高い丘だった。周囲を囲むように櫓のような塔が建っており常に監視の目は行き届いている。
その中心で、彼は退屈な日々を送っていた。
こうして人間に管理されるようになって幾数年。随分と時が経ってしまった。その間、シサイは自らの使命を果たせていない。人間の進化は未だ途上で、その機会は減りつつある。
昔は人間たちが見境なくシサイへと望み、彼はそれを何でも叶えてきた。けれどシサイを管理する仕組みが出来、それを運用する国が出来てからは超常の力の乱用を恐れて、ここに縛られるだけの毎日。
彼はとても退屈していた。
どうにもシサイに会えるものは限られた人物のみであるらしい。国で一番権力を持っている王か、それに連なる者。
それらがシサイに会いに来るのも、百年周期で数えるほどしかない。
「おや?」
そんな日々に終わりを告げたのは、突然のことだった。
彼の目の前につれてこられたのは、まだ成人もしていないであろう少女だ。華奢な身体は風に吹かれれば飛ばされてしまいそうな程に弱々しい。
明らかにこの場に不釣り合いな存在だ。
彼女は、沢山の大人に囲まれてシサイの前に差し出された。
「お初にお目に掛かる」
少女の隣、身綺麗な格好をした男が緊張した面持ちでシサイへと語りかけた。当然ながらシサイは男の顔に見覚えはない。
「君は誰だ?」
「先代の国王が崩御されたので、若輩ではありますが私がその跡を継いだのです」
「先代……ああ、五十年くらい前に私に会いに来た人間のことか」
現王の青年の言葉にシサイは相づちを打つ。
刻の経過の早さに驚いていると、青年はシサイにおずおずと話しかける。
「シサイ様のおかげで我が国は未だ平安の時代を歩んでいる。我が父も喜んでいました」
「私は何もしていないよ」
「ご冗談を。あの不死の怪物のおかげで、我が国は未だ戦では負け知らず。制御が利かないのが難点ですが……いずれそれも克服できるでしょう」
「そういえば、そんなこともしたね。随分と昔のことだ。忘れていたよ」
青年の言う不死の怪物とは、人間が瘴気に冒された末路である不死人の事を指している。
この国がシサイを管理するようになった時、彼らはせっかく手に入れたシサイを奪われまいと彼に簒奪者を排除できる武力が欲しいと願った。
それを叶えた結果、シサイが彼らに与えたのが一万を越える不死人の大群だ。
もちろんこれの元は生身の人間である。それはこの国で一番非力な存在の奴隷であったり、他国からの捕虜であったり。それらを用意したのはもちろん武力を求めた国の上層部だ。
彼らは望んだ不死の軍隊を手に入れた。それを使って幾年にも渡り自国を守ってきた。しかしそれだけでは飽き足らず、不死人を使って侵略戦争に乗り出したらしい。
現国王である青年は、その功績を嬉々として語る。
これで我が国は未来永劫安泰であると。笑顔で語るのだ。
「――それで、今回君は私に何を望みにきたんだ? 無駄話をしにきただけだ、なんて答えないで欲しいな」
「ええ、実はシサイ様に折り入ってお願いがありまして」
慇懃な態度で青年は口上を述べる。
「私どもも、シサイ様をこんな場所に縛り付けるのは不本意なのです。しかし如何せん、そのお身体では色々と不都合も多い」
身に余るほどの瘴気を吸収しているシサイの身体は全身が腐り果てていた。それでも身体を保っていられるのは彼が不死身の存在だからだ。
とはいえ腐り落ちていく肉体と共に、地面を汚染する瘴気のヘドロは人間には毒となる。
シサイがこの場所に軟禁されているのは、彼らが自分たちの生活圏を冒されないためでもあった。
けれど超常の存在にこのような不遜な態度を取ることなど、褒められたことではない。もちろんそれは彼らだって知っている。
この場所にシサイが留まっているのは、それを彼が良しとしているからだ。つまり、彼の機嫌を損ねてしまえば簡単にこの国の安寧は崩れてしまう。
彼らはそれを危惧しているのだ。つまり、今になってご機嫌取りをしに来た。
「そこでシサイ様の世話係として、彼女をお側に仕えさせようと思いまして」
青年の言葉に、シサイは傍らの少女を見遣った。
彼女はそれに同意するかのように小さく頷く。けれどどういうことか。挨拶の一つも返さない。
緊張しているのかと思っていると、シサイの疑問に答えるように青年が告げる。
「仕えると言ってもシサイ様と交渉できるのは国王だけの特権です。彼女にその権利はない。それ故に、薬で喉を焼いています。ろくに会話も出来ないでしょうが、飽きたら棄てて貰っても結構。どんな扱いをされても私どもは干渉いたしません」
王である青年は、残忍な所業を笑顔で話す。
それを目の当たりにして、シサイは気づいた。青年の折り入っての願いは、シサイへのご機嫌取りでも何でもないのだ。
何か別の理由があって、厄介事を押し付けてきただけ。
「彼女は君の身内ではないのか?」
「なぜそう思われるので?」
「私の面前にこうして立てるのは、国で一番の権力者とそれに連なる者。君たちが決めた事だ」
「……ええ、その通りです」
誤魔化しは聞かないと悟った青年は、シサイに事の事情を語って聞かせた。
「確かに彼女は私の身内です。しかし、これに生きていられると色々と不都合がありまして……私も鬼ではありません。誰の目にもつかないこの場所で過ごすのなら生かしておいても問題はない。今回こうして連れてきたのはその為なのです」
彼の話を聞いて、シサイは口達者であると感心した。よくもまあ、ここまでベラベラと嘘を吐けるものだ。
彼が提示したものは交換条件にすらなっていない。
人目に付かないようにひっそりと生きるのなら、命までは取らない。一見して寛大な措置であると思えるが……実際はまったくの真逆。死刑宣告と同等の所業である。
シサイがいるこの場所は、瘴気のヘドロのせいで汚染されている。当然人間が何年も暮らせる環境にはない。それを知っていて、この男は少女をここに連れてきたのだ。
もちろんその事は伏せているだろう。何も知らない彼女は、喉を焼かれて自由を奪われて、残り少ない時間を異形の怪物の傍で過ごさなければならない。
しかし、シサイはその事に特段何も感じなかった。
一つだけ、話し相手に飢えていた彼の慰みにもならないことに、少しだけ落胆しただけだ。彼女の境遇には憐れみさえも感じていない。
シサイにとってこの少女はただの人間で、有象無象の一つ。特別でも何でもないのだから。




