最後の審判
あっという間に辿り着いた穴底はマモンから聞いた様子と寸分違わず同じ有様だった。
「ここが最後の……」
緊張した面持ちでフィノは、しかし冷静に状況を見極める。
この場所は今までと違い、本当に大穴の底に繋がっているように思う。何を当たり前の事をと思うだろうが、他の四災の元へと行ったときは別の空間に入り込んだかのような有様だったのだ。
霧深い渓谷、木漏れ日に光る深林、無機質な建築群。
どれも穴底とは言い難い場所だった。それと比べると、逆に今居るこの場所が異質に思えてくる。
地面に溜まった瘴気のヘドロを撒き散らして着地したマモンは、背に乗せていた皆をそっと安全な場所へと降ろす。
彼がいつもの黒犬へと変化すると同時に、暗闇の中からぬっと見知った姿が現われた。
「ようこそ。こうして誰かを迎え入れるのは初めてだ。歓迎するよ」
嬉しそうに話すのは、以前にヨエルとマモンが会ったという無人の四災。彼はマモンと同じ獣の姿をしていて、毛むくじゃらの顔を近づけるとにんまりと怪しげな笑みを浮かべた。
「君はこの間会った少年に……奇妙な呪詛と、合いの子の君は話に聞いているから知っているが……そこの人間と機人は知らないな。そもそも機人は随分と前に自滅したはずだが、まだ生き残りがいたとは驚きだ」
順繰りに訪問者の姿を捉えて四災は頷く。
どうやら彼はフィノの事を知っているようだ。会ったこともない人に自分の事を知られているというのは少し奇妙ではある。
「お、お前のような忌まわしきものが、我らが主神と何の関係があるというのだ!?」
「主神?」
「女神のことだ!」
悪い気にでも当てられたかのように、大司祭は早口で捲し立てる。彼の問いかけに無人の四災は戸惑うも怒った素振りは見せず、ああと相づちを打った。
「女神……ああ、彼女のことか。それなら知っているよ」
「なっ、なん」
「それにしても忌まわしきものだなんて、言い得て妙だ。光栄なことだね。この世で私よりも忌まわしいものは存在しないのだから」
そう言って、無人の四災は含み笑いを零す。
何がそんなに可笑しいのか。ひとしきり笑い終えた後、彼は大司祭へと疑問を投げかけた。
「ところで君は女神の何なんだ?」
「私は女神様に仕える身である、だい……」
「――となると、彼女は本当に神とやらになってしまったわけだ。なるほどなあ。それならばここまで時間が掛かったのにも得心がいく。二千年前も十年前も偶然が重なった特異な状況だった。ようやく真の意味で彼女の望みが叶うわけだ。嬉しい限りだよ」
「な、何の話をしている?」
「何って、君の信じている女神の話だ。それ以外に何がある?」
「女神は唯一無二の存在だ! それを侮辱するかのような物言い! 無礼にも程があるぞ!」
必死になって張り上げた声は、それでも情けなく震えている。しかし大司祭にとってはどうしても引けない場面なのだろう。
彼は心の底から女神を信じている。ここまで強気な発言が出来るのも信仰心の賜物だ。
『あれ相手にあそこまで言い切る気概、尊敬に値するな』
これにはマモンも呆れ気味である。
ともすれば四災の機嫌を損ねかねない。フィノが止めようとするが、その前に無人の四災が開口した。
「嘘は言っていないというのに、どうして君はそんなにも怒っているんだ? 女神と言っても元々、あれはただの人間の小娘だ。確かに世界に魔法という変革をもたらしたが、それ以外は何も出来ない。そこまで固執する理由はないと思うがね」
唐突な告白に、この場に居る全員が耳を疑う。
その中で先に声を上げたのは、大司祭の彼だった。
「な、そ、そんなはずは……でたらめをいうな! 伝承にだってしっかりと書かれている! 悪しきものたちを地の底に封じたと。こんな偉業は女神以外に成しようがない!」
「それをやったのは私だよ。君たち人間に頼まれたからね。しっかり自分の手柄にして騙すなんて、良い性格してるよ」
「……だっ、だます?」
「そうだ。彼女は君たちに盲目になって欲しかった。その為に神に成って一芝居打ったというわけだ。随分な献身だと思わないか?」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた四災に、男は言葉もなく膝から崩れ落ちた。
今の四災の言葉は、彼が信じてきた女神の威厳を吹き飛ばすものだ。こうなってしまえば最早、信仰心も何もない。
項垂れている大司祭に構いもしないで、これまで無言を貫いていたアルマがぽつりと呟いた。
「やはりマスターの読みは当たっていたようだ。彼と女神の間には何らかの契約がある」
「うん」
四災の意味深な発言のすべてを理解出来てはいない。けれどやはり無関係ではなかった。女神は無人の四災と何か契約を結んでいるのだ。
そして、ようやくそれが叶うのだと彼は言った。つまり、女神がうまれてより今まではその契約は不履行の状態だったわけだ。
今ここでフィノがすべきことは、それを明らかにしたうえで無人の四災をこの大穴から出すことである。




