暗闇より出でるもの
「――フィノ!」
咄嗟にユルグは声を張り上げたが、状況を説明する時間が無い。
この魔物は、迷いの森で遭遇したものと同一の個体である。故に対処法もあの時と同じで、光に弱い。
背嚢には魔鉱石を内蔵したカンテラがある。それを灯せば奴らは安易に近付いてくることはないが、フィノがそれを瞬時に察することなど不可能だ。
走って傍に向かうにも距離がある。魔物の方がユルグより先にフィノへと歯牙を突き立てるだろう。
――迷っている時間は無い。
ユルグの周囲には、既にシャドウハウンドらがひしめき合っていた。
けれどそれに構わず剣を抜くよりも先に、ユルグは雑嚢から投げナイフを取り出し投擲する。
「――ひゃっ!」
ナイフはフィノの頬を掠めて、背後の石扉に突き刺さった。
瞬間、眩い光がフィノの周りを白色に塗り替える。これで魔物は容易には近づけないはずだ。
安堵するのも束の間、投擲の隙を狙って湧き出たシャドウハウンドの牙が四肢を拘束するかのように、柔い肉を突き破る。
「――ッ!」
ギリギリと手足を噛み砕かんとする顎門の力は、振りほどこうにも上手くはいかない。しかし、この魔物は影から出でるもの。こういった状況ではそれが幸いする。
腰に差してある短刀を取り出すと、右腕に噛みついている一匹へと突き刺す。目論み通り、シャドウハウンドは霧散して消えてしまった。噛みつかれた傷は消えないが、重苦しい腕の拘束は解かれる。
自由になった腕で剣を握ると、纏わり付いていた魔物を蹴散らして大穴から距離を取った。背後にフィノを抱えて、にじり寄る魔物と対峙する。
「……ユ、ユルグ」
「悪いが、お前を守って戦えるほど余裕は無い。あの魔物は迷いの森で一度見ているだろ」
「う、うん」
「光源がある間はそうそう手出しはしてこないはずだ。範囲内に入ってきても動きは鈍る。近付かれても一対一ならお前なら対処出来る」
「わかった」
正面から目線を外すこと無く、後ろに控えているフィノに指示を出す。
それにフィノは不安に駆られながらも、出来るだけ気丈に振る舞った。
今のユルグは傷を負っている。先ほど魔物に噛まれていた。本人は平気な振りをしているが、手足からは衣服を伝って血が滴っている。
そんな状態のユルグにこれ以上心配をかける訳にはいかない。
弟子にすると、ユルグは言ったのだ。だったら、足手まといにならないように自分の出来ることをしなければ。
手持ちのナイフを取り出して、右手に握り込む。背後を取られないように背は石扉に擦り付けて、正面、左右と気を配る。いつもユルグがやっていることを脳内で反芻しながら、神経を研ぎ澄ます。
緊張に息を呑むフィノを尻目に、ユルグは浅く息を吐き出した。
言葉通り、この状況ではフィノを守りながら戦えるとは思えない。
第一に、敵の数が不明瞭だ。
シャドウハウンドはあの大穴から溢れてきた。現状、あの穴から滲み出ているものをどうにか出来る手段は持ち合わせていない。
もしかしたらこれ以上に魔物が湧き出してくる可能性も捨てきれないのだ。
そして、厄介なのはこいつらの特性だ。
この手の魔物は条件が揃わなければダメージを与えることは出来ない。潜っている影から引っ張り出さなければならないのだ。
しかし、閉所ならいざ知らず祠の内部はかなりのスペースがある。残りの投げナイフ四本を全て使って周囲に光源を作ったとしても、ダメージを受ける瞬間には光源の外に出られる可能性もある。その上、魔鉱石に込めている〈ホーリーライト〉が切れてしまえばそれまでだ。制限時間内に全てどうにかする必要がある。
加えて、攻撃魔法もあまり意味を成さない。光で弱体化させてから剣で斬り殺すのが、この手の魔物と戦う上での定石なのだ。
それに、注意すべきはシャドウハウンドの他にもいる。丁度、大穴の淵からよじ登ってこようとしているアイツだ。
姿を現わした魔物は、獣の姿を取っていた。けれど、シャドウハウンドのように四足ではない。
姿形は獣のそれだが、二本足で立っていて鋭い牙と爪を持っている。獣魔――ウェアウルフと言われる奴だ。けれど一般のそれとはだいぶ姿が違って見える。
シャドウハウンドと同じように、体躯は漆黒に覆われている。おそらくあれの特性も、ユルグを取り囲んでいるシャドウハウンドらと同じものと考えるべきだ。
そして、あの獣魔はハウンドとは比べものにならない程に、手強いことは見てとれる。なめて掛かっていい相手ではない。
傷口から垂れる鮮血が掌を伝って、ぬるりと滑る。
服に擦りつけて滑りを落とすと、空いている左手に投げナイフを、右手には鞘から抜いた剣を握って、ユルグは地を蹴って駆けだした。




