自由な一日
聞こえた物音でヨエルは目を覚ました。
重い瞼を開いて枕元を見遣ると、そこには黒犬のマモンが丸まって眠っている。室内はまだ薄暗く、今が夜明け前である事を告げていた。
なんとか眠気に抗って、もぞもぞとベッドから起き上がると既に起きていたのか。
フィノがヨエルに気づいて小声で話しかけてきた。
「おこしちゃった?」
「フィノ……どこかいくの?」
寝起きで見た彼女の姿は外套を羽織って、腰には剣を帯刀している。
旅支度を既に終えている様子に、ヨエルが尋ねるとフィノはうんと頷いた。
「アリアのところに行ってくる。ヨエルはお留守番。明日の朝には戻ってくるから」
「今日だけいないってこと?」
「そうそう。すぐに戻ってくるから、ふたりと一緒に待ってて」
いきなりの事に驚きつつも、ヨエルはフィノの留守番について素直に言うことを聞いてくれた。
「……ぼく、おいてかれないよね」
「ふふっ、そんなことしないよ」
不安がっているヨエルを安心させるように、フィノはヨエルを抱きしめた。
ぽんぽんと頭を撫でられて、ヨエルの眠気は一気に覚める。
「き、気をつけてね」
「うん、ありがとう。それじゃあ、行ってくるね」
微笑んで、フィノはヨエルを一瞥した後、部屋を出て行く。
「アルマも、ヨエルのことお願い」
「了解した」
去り際に、入り口近くに無言で立ち尽くしていたアルマに声を掛けて、フィノは旅立って行く。
その後ろ姿をぼんやりと眺めて、ヨエルはしばらくぼうっとしていた。
それは寝起きのせいでもあるし……あんな風に頭を撫でられたのは久々だった。それに驚いて、それでいて少し恥ずかしさもあった。
ぶんぶんと頭を振って、雑念を消す。余計な事を考えていると気持ちよく眠れない。
静かな室内に衣擦れの音を響かせながら、ヨエルは取りあえず二度寝することに決めた。
枕元にいるマモンを抱き寄せて、毛布を頭からかぶる。
『……ヨエル。起きていたのか』
「ううん。もういっかい寝る」
『そうか、おやすみ』
ふわふわと夢見心地な気持ちで、ヨエルは再び眠りについた。
===
少年が再び起きたのは、それから四時間後。既に陽が昇っている時間帯である。
『おはよう。よく寝ていたな』
毛布から顔を出すと、開口一番、傍からマモンの声が聞こえてきた。
寝惚け眼を擦ってマモンを見つめて、それから部屋の中を見渡す。
室内にはヨエルとマモン。それと壁際にずっと立っているアルマだけだった。フィノはいない。
その事に遅ればせながらヨエルは気づく。そういえば、まだ暗い時間帯に出て行ったのだった。
「フィノいないね」
『うむ。今日一日留守にすると言っていた』
「じゃあ……戻ってくるまで、おるすばん?」
『そうなるな』
マモンの肯定を聞いて、ヨエルはしばし思案する。
彼の頭の中では、今日一日どうやって過ごすか。色々な案が浮かんでくる。とはいえ、危ないことは出来ないし、街の外へ出る事だって出来ない。
それでもずっと宿に居るのだって暇で死にそうになる。幸い、街中で遊ぶことは禁止されていないから、ヨエルのする事といえば――
「探検しよう!」
『……たんけん?』
「うん!」
ヨエルの一言に、マモンは嫌な予感を感じながらも聞き返す。
すると少年は嬉々として、今日したいことを話し出した。
「昨日ご飯食べにいったけど、ぜんぶは見てないから……フィノはいないけど、ぼくとマモンとアルマで街の探検にいく!」
『ううむ……危険な事をしなければ良いが』
マモンの懸念は他のところにある。
こういった時のヨエルは、総じてハメを外しまくる傾向にあるのだ。危険なことやモノには近付かない、といった約束は守る。けれど、少年の探究心に際限はない。
つまるところ……保護者としてマモンの気苦労が増える、ということだ。
『日が暮れる前には、宿に戻ってくる。それは守れるな?』
「うん!」
『ならば今日は存分に楽しむとしよう』
すべてを飲み込んで、マモンはヨエルの願いを叶えることにした。
マモンが傍にいれば大事にはならない。一応、アルマもいる。先日のようにヨエルを危険な目に遭わせることもないはずだ。
それにこんなに楽しげにしているのだ。水を差して笑顔を失わせることだけはしてはいけない。
満面の笑みを浮かべるヨエルを見つめて、マモンはやれやれと苦笑を零す。
「じゃあいこう! すぐいこう!」
ベッドから飛び降りたヨエルはすぐに出掛ける支度をする。
その様子を眺めながらマモンは小さな背中に声を掛けた。
『行くと言ってもどこに行くつもりだ? 帝都ほどではないにしろ、街中はそれなりに広い』
「うーんと……まずは、あさごはん! お腹すいた!」
『うむ、そうしようか』
同意すると手早く支度を終えたヨエルがマモンを腕に抱く。
今となっては長時間実体化していても問題はない。だからこうして、ヨエルに抱かれる必要もないのだが……どうやらヨエルはこのスタイルが好きらしい。それを薄々感じているマモンは、余計な事をいうのは野暮だと判断して好きにさせているわけだ。
「アルマもごはん、食べるよね?」
「どちらでも構わない」
「じゃあ食べ歩きしよう! アルマのおいしいもの、見つけるんだ!」
意気揚々と宣言するとヨエルはアルマの腕を引いて、喧騒で満たされた街中へと駆けていった。




