全てが終わってから
みなの帰りを待つ間、フィノはユルグがヨエルに宛てた手紙を何度も読み返していた。
「……おししょう」
十年前の、最期の時。フィノがユルグと別れたあの時の決断を今でもフィノは納得できていない。ユルグがどうしてあんな決断に踏み切ったのか。理解出来なかったのだ。
それでも、今のヨエルを見ているとあれはユルグが出来る最善だったのだと、フィノは感じる。
ユルグの予言通り、魔王を継承したのがフィノだったなら。きっとユルグのやり残したことを第一に考えていただろう。それこそ自分の身体など、どうでもいいとでも言うように無茶を通したはずだ。
ヨエルの事を頼まれてはいたけれど、それだって蔑ろにしていたかもしれない。現にマモンを継いだのがフィノでなくても、一年前までフィノはヨエルに会いに来ることはなかった。
結果的に、ユルグの決断は正解だったのだ。
マモンが傍にいたことで、ヨエルはとても優しい子に育った。寂しいと感じる事もあるかもしれないけれど、それでもヨエルは孤独ではなかった。
きっとフィノではこんな風にいかなかっただろう。
自分の不甲斐なさを痛感しながら、ヨエルの手紙を閉じたフィノはもう一つを取り出す。
ユルグが、フィノに宛ててくれたもの。
彼が何を書いたのか。気になる。けれど、フィノはそれを見ることが出来なかった。
十年前、ユルグに約束した事をフィノは何も果たせていない。自分の使命も、すべきことだって中途半端だ。ヨエルのことだって、危険な目に遭わせてしまった。
そんな自分が、いまこれを読んで良いものか。それをずっとフィノは考えていた。
ユルグがフィノに何を伝えたいのか。まったく予想がつかないけれど……いまはこれを読んではいけない。
葛藤を続けて出した答えに、フィノはひとり頷く。そうして、手紙を開くことなく懐にしまった。
――これを読むのは、全てが終わってから。
決意を改めたところで、突然部屋のドアが開いた。
現われたのは鎧姿のマモン。その背にはすやすやと寝息を立てているヨエルがいる。
「おかえり」
『うむ……疲れていたのか、眠ってしまったよ』
「色々あったもんね」
マモンは背負っていたヨエルを静かに降ろすとベッドに寝かせる。毛布を掛けて、甲斐甲斐しく世話を焼く姿を見て、フィノは苦笑を零した。
「アルマもおかえり」
マモンに続いて、静かに部屋に入ってきたアルマに、おかえりと言うと彼は無言で頷く。
彼が何を想ってヨエルを追いかけたのか。それはわからない。きっと本人にも解っていないのだろう。
それでも心のない彼がヨエルを気に掛けてくれた事が、フィノは嬉しかった。
「アルマも疲れたなら寝ていいよ」
「いいや。疲労は感じない。睡眠はアルマには必要ない」
「そうなんだ」
聞くと、機人というのは身体を動かせる動力さえあれば、不眠不休で動けるらしい。まるでマモンと同じである。
僅かな違いといえば、生物と同じように食事で動力を確保するところ。それを怠ってしまえば、どれだけ身体が頑丈であろうと動けなくなってしまうのだという。
「だからあんなにたくさん食べるんだ」
「先刻の食事は、あれでも自重している」
本当はもっと量が必要なのだとアルマは言った。けれど、急激な運動がなければ動力の消費も緩やかだ。今はあれで足りるらしい。
彼の場合、食事に求めるのは質ではなく量のようだ。だからこそ、ヨエルの言う「おいしい」をアルマは未だ理解出来ていない。悪食ゆえの苦悩である。
「君は休息を取らないのか?」
「私はまだやることがあるから」
『……根を詰めすぎるのは褒められたことではないな』
ヨエルの世話を終えたマモンが黒犬に変わって、フィノの傍に寄ってきた。それを抱き寄せて自分の膝上に乗せると、フィノはマモンの忠告に頷きを返す。
『先の手紙は読めたのか?』
「ううん、まだ読んでない。これは……ぜんぶ終わってから読むことにした」
『そうか……』
フィノの決断にマモンは理解を示してくれた。
フィノが並々ならぬ想いを抱えていることは、マモンもしっかりと解っているのだ。だからこそ、余計なことは言わない。
「それで、二人にお願いがある」
話題を変えるように、フィノはマモンとアルマにある事を頼む。
壁際に待機していたアルマは、フィノの招きに従って彼女と対面するように椅子に座る。それを確認してから、フィノは本題に入った。
「一度、アリアのところに戻るつもり」
『帝都にか? なぜだ?』
マモンはフィノの提案に驚きの声を上げた。
このまま最後の目的地であるルトナークにある大穴へ向かうものだと思っていたのだ。それが、フィノは一度アリアンネの元へ行くと言う。
「スタール雨林であったことの報告……っていうのは建前。この先ヨエルも一緒に連れて行くなら、関所を通りたい」
『ふむ……確かに、雨林を通り抜けるのは子供の体力では無理があるな』
「うん。だから、アリアになんとかしてもらおうと思って」
デンベルクとアルディアとの国境にある関所は、現在封鎖されている。戦争中なのだ。当然のことで、だから最悪スタール雨林を越えてデンベルクに入るしかないとフィノは考えていた。けれどヨエルのことを考えれば、そんな無茶も通せない。
あの場所は本当に過酷なのだ。
十年前にユルグと一緒に通った時も、随分と苦労させられた。まだ十歳の子供には荷が重すぎる。
だから、スタール雨林を抜けるのは最終手段。もっと安全な方法があればそっちを取るべきだとフィノは考えた。
「だから、私が留守にしている間、ヨエルの傍に居て欲しい」
『留守番ということだな』
「うん」
ここから帝都に向かうのは、フィノであれば往復一日あれば充分だ。かなり急げば、明日一日空けて、明後日の朝には戻ってこれるはず。
その間、ヨエルの面倒を見て欲しいというのが、フィノの頼みだった。
「構わない」
『遊び相手ならば慣れているよ』
二人はフィノの頼みを快諾してくれた。
今のマモンとアルマがいれば、ヨエルが危険な目に遭うことはないはずだ。これほど頼りになるお守りもいない。
唯一の不安要素だった、マモンとアルマの不仲もいつの間にか解消されていた。
きっとマモンがヨエルの為を想って、折れたのだろう。
これでなんの憂いもなくフィノは帝都へと旅立てる。




