茜色の帰路
落ち着いたところで、ヨエルは急激な睡魔に襲われる。
胸のつっかえが取れた瞬間に、思い出したかのように疲労が戻ってきた。大きな欠伸をすると、彼の隣に座っていたアルマがベンチから立ち上がる。
「疲れているのなら宿に戻った方がいい」
「うん。でもまだ戻りたくないなあ。でも……二人とも心配してるかな」
そんなことを言っていると、突然ヨエルの目の前に黒犬のマモンが現われた。
『ヨエル……ああ、こやつと共にいたか』
マモンはヨエルの傍に居たアルマを見つけると、ほっと安堵の息を吐く。
どうしてマモンがすぐに追いかけてこなかったのか。それはヨエルが着いてくるなと言ったからだ。それでもマモンはヨエルが心配で、こうして傍に来たわけである。
「マモン……」
「君は着いてくるなと言われたはずだ」
すかさずアルマが両者の間に割って入る。けれどマモンは彼の介入に目くじらを立てることはしなかった。
『わかっている。放っておくべきなのだろうが、どうしてヨエルがあんな事を言ったのか。己もフィノも解らないのだ』
だから教えてほしい、とマモンはヨエルに頼んだ。
マモンの回答を聞いて、アルマはヨエルの反応を見る。
二人からの視線を一身に受けて、ヨエルはマモンに今まで抱いていた気持ちをすべて打ち明けた。
ヨエルが聞いた魔王のこと。そのことで、父親であるユルグやマモンの事を信じられなくなっていたこと。
危険な事だと知っていて、あんなことをした理由を知りたい。
面と向かってヨエルの訴えを聞いたマモンは、開口一番、ヨエルに謝った。
『そうか……それで。すぐに気づいてやれなくてすまなかった』
ヨエルが疑問を抱えている予兆は、何度かマモンも感じていた。
けれどタイミングも悪く、それに突っ込んで問いただせなかったのだ。ヨエルの胸の内に溜まったもやを祓えないまま、気づけばこんな事態に陥ってしまった。
『そうさな……今まで子供だからと真実を伝えてこなかったが、頃合いなのかもしれんな』
マモンはそれを深く反省して、ヨエルに打ち明ける決意をする。
居住まいを正したマモンは、かつてあったことをヨエルに語ってくれた。
『あやつは……ユルグは、ヨエルに魔王を譲渡する際に、己にある事を確約させた。これだけは絶対に守るようにと』
「……やくそく?」
『魔王としてではなく、ただのマモンとしてヨエルの傍に居てくれというものだ。自分は傍に居られないからと、己にその役目を託してくれた。あの男は、最期までヨエルの事を案じていた。だから、あの手紙に込められた想いは嘘などではないよ』
マモンの話を聞き終えて、ヨエルは息を呑んだ。
驚きにすぐに言葉が出てこない。マモンが語った事実は、ヨエルが考えていたものとは全くの真逆の真実だったのだ。
「そ、それ……ほんとう?」
「本当だとも。誓って嘘は言っていない」
「じゃ、じゃあなんでもっと早く教えてくれなかったんだよ!」
マモンは今までずっとヨエルの傍に居てくれた。
ヨエルの抱える孤独を誰よりも理解していたはずだ。両親がいないことへの寂しさだって、マモンに打ち明けたことも一度や二度ではない。
それを知っていて、マモンはこんな大事なことを秘密にしていたのだ。
当然、ヨエルはそれに声を荒げる。
怒りを滲ませた少年に、マモンは声を落として歯切れの悪い弁明をした。
『それは……魔王について、知られたくなかったからだ。いや……そんなものはただの建前だな。本当はヨエルに嫌われたくなかった』
しょんぼりと項垂れて、マモンが偽りなく告げた真実にヨエルは驚きに目を見開く。
あのマモンが、嫌われたくなかったなんて……そんなことを言うとは思っていなかった。
「なんでそんなこと……ぼく、マモンの事きらいになったりしないよ!」
『ぐえぇっ』
足元に居るマモンをだいて、思い切り抱きしめると苦しげに呻く声が聞こえる。
それに構わず気が済むまでギュッとしていると、
『だ、だがなあ……ヨエルは昔の事は何も知らないだろう? 仕方なかったとはいえ、本当に酷いことを沢山してきた。それがバレたらどう思われるか。恐ろしかったのだよ』
「そうなんだ……」
理由あってマモンは秘密にしていた。
けれど、マモンも誰にも言えない想いを抱えていたのだ。ずっと彼の傍にいたヨエルはそれに気付けなかった。
さっきはマモンを責めるような事を言ってしまった。今更ながらそのことを後悔する。
「ごめんね……ぼく、マモンのこと何もしらなかった」
『謝らなくてもいい。己もまだ手の掛かるものだと子供扱いしていた。少し前まではあんなに小さかったというのに……子供の成長は早いものだな』
嬉しそうに、それでいてどこか寂しそうにマモンは言う。
ずっとヨエルの傍に居たマモンだからこそ、感じるものもあるのだろう。
しみじみと感傷に浸っているマモンを見つめていたら、思い出したように眠気が迫ってきた。
再び大きな欠伸を零すと、それを見たマモンが苦笑する。
『そろそろ戻ろうか。日も暮れてきた。フィノも心配している』
「うん……ぼくもうねむい」
眠気に勝てず、もにょもにょと話すとマモンは可笑しそうに笑った。
『そう言うと思った。どれ、己が背負っていこう』
ヨエルの腕の中から降ろしてもらうとマモンは黒犬から鎧姿になる。
そうして軽々とヨエルを持ち上げると、背中に回して少年を背負った。
「アルマも帰ろう」
「了解した」
マモンに背負われたヨエルは、二人の話をじっと聞いていたアルマに呼びかける。
彼は素直に頷いて、マモンの後ろを着いていく。
マモンの背にしがみついて、ヨエルは帰路に着く。上背のある背中から見下ろす景色は、どこもかしこも茜色に染まりきっている。
夕焼けが目に染みて、ヨエルはそっと目を閉じた。




