新手
手持ちのナイフは五本。
その内の一つを手にとって、片手に携えた剣は逆手に構える。
ナイフの持ち手にある魔鉱石が青く光る。それを見留めた直後、こちらを伺いつつ距離を保っている魔物に向かって、ユルグは投擲した。
サクッと、魔物の表皮にナイフの切っ先が潜り込んだ。
刹那、瞬きする一瞬の間に攻撃を受けた魔物を中心に周囲の温度が急激に下がっていく。粘液に覆われていた体躯は霜が張り付き、対象の熱を根こそぎ奪っていった。
しかしそれでは飽き足らず、地面からはユルグの身の丈ほどの氷の柱が、鋭く立ち上がる。
雨林であるからか、大気中の水分を吸収して魔法の効果範囲を底上げしているみたいだ。
流石にここまでの威力はユルグも想定していなかった。拡大を続けた氷域は残っていた周囲の敵を飲み込んでしまった。
ユルグは呆然としながら、白い息を吐き出して目の前の光景を見つめる。
今回は偶然が重なって暴発めいた威力になってしまった。それに密かに肝を冷やす。あの広域では、仮に生身で魔法を放っていたら巻き込まれていたかもしれない。
言わずもがなだが、魔法には効果範囲というものがある。
先ほどユルグが使った魔法――〈アイシクルヘイル〉は、対象が近付かないと効力を発揮しない。
遠距離攻撃を主体とする魔術師が扱う魔法としては異色だが、これは相手を死に至らしめる為に使うものではない。どちらかというと、動きを止めることに特化しているのだ。
だから罠として使われるのがセオリーなのだが、今回は敵の数が多かった。攻撃が通るであろう魔法で仕留めるとして、一体ずつ相手にしていると手間である。だったら一網打尽にしようという魂胆だったわけだ。
そういった機転が利くのも、この投げナイフの利点である。
「全部片付いたかな」
魔物の氷像からナイフを回収すると、蹴りを入れて破壊する。
魔法の効果範囲の起点になった魔物以外は、こんなふうに凍り付いてはいない。地面から突如生えてきた氷柱に貫かれたか、足下が凍り付いて身動きが取れなくなっているか、そのどちらかだ。だから、まだ息はある。
動けないからと言って生かしておく理由も無い。氷柱に串刺しにされている奴は既に息絶えているから良いとして、動けない奴はしっかりと処理しておくべきだ。
雑嚢にナイフをしまうと、ユルグは魔物の亡骸を数えながら手にした剣で息の根を止めていく。
一、二、三――――……六、七。
先に倒した二体を含めても、あと一つ足りない。
それに気づいた瞬間、視界の端から影が飛び出した。
やはり生き残りがいたようだ。逃がすわけにはいかない。この魔物の生態がどんなものなのかは知らないが、仲間を呼ばれたら厄介だ。
剣を構え直すと、逃げ出した魔物の背を追ってユルグは駆けだした。
「――ユルグ! うえ!」
直後、フィノの叫び声が響き渡った。
緊張を孕んだ声音に頸を捻ると、頭上から巨体が降ってきた。
息を呑んで、咄嗟に回避行動を取る。
落下してくる影の外へと飛び出ると、衝撃で押し出された風が、荒々しくユルグの外套をはためかせた。
地上に着地した巨体は、先ほどの魔物と外見は瓜二つ。同一個体であるのだろう。しかし、体躯のデカさが比ではない。
たった今蹴散らした魔物がユルグの腰丈ほどの大きさだとすれば、それの二倍……いや、三倍はある。おそらく、こいつらのボスのようなものだろう。
あのデカい口ならば、人間ならば余裕で丸呑みに出来そうだ。
刹那に目の前の状況を分析していると、件の魔物は長い腕を伸ばして生き残りの子分を掴み上げた。
そして、有無を言わさずユルグに向かって投擲したのだ。
豪速で迫る肉塊は、どう見ても避けられるものではなかった。
〈プロテクション〉で障壁を張る事も考えたがそれでは間に合わない。タイミングが合わなければ半身を持って行かれる。
瞬時に判断を下し、咄嗟に手にした剣で横に弾く。しかし、勢いがありすぎた。
柄から手を離さなければ手首を折られかねない。
やむを得ず剣を手放すと、明後日の方向へと飛んでいく。けれど、肉塊の軌道を逸らすことには成功した。
ユルグの背後、フィノが登っている木の幹に当たると、盛大に中身をぶちまけて深緑に赤が散る。
「――わっ!」
ハラハラとした心持ちで身を乗り出していたフィノは、衝撃で前のめりになる。なんとか落下しないように踏ん張れたが、握っていた剣が手を離れて落ちていった。
「……どうしよう」
眼下の状況を見つめながら、フィノは思案する。
ユルグは樹上で大人しくしていろと、フィノへ釘を刺した。現状、フィノが飛び出しても何の役にもたたない。ユルグの邪魔をするだけだ。
それに予備の剣をフィノに持たせていたものだから、今のユルグには手持ちの武器が無い。はじき飛ばされた剣も、一足飛びで取りに行くには遠すぎる。
――つまり、ピンチなのである。
と言っても、フィノには見ているだけしか出来ない。
まともに剣も振れないし、ユルグのように魔法も扱えない。自分の無力さが腹立たしい。
唇を噛んで成り行きを見守っていると、上から降ってきた魔物が動き出した。




