終わりの話 2
緊張の合間、そのことばかりに思考を取られていると、獣はずいっとユルグに顔を寄せた。
「それで、君の望みはなんだ?」
獣が開いた口端からはまっくろなヘドロが零れていく。ボトボト落ちてくるそれは頭上からユルグの身体へと降ってくる。
この獣――無人の四災は奇妙な存在だ。
竜人の四災はあの大穴から出たがっていた。結果的に彼の思惑は保留になったが、彼が強攻策に出なかったのは瘴気が不足していたからだ。つまり、それさえあれば彼を押しとどめる封印も意味を成さない。
けれど、無人の四災はそれとは真逆の状況にある。
ここには瘴気が溢れていて、彼はその只中にいるのだ。それでもこうして大穴の底にいる。
きっと彼だけは他とは違う意図があるのだとユルグは推察した。
ここから出る必要が無いのか。それとも――
「言っておくが、何を望んだとしてもそれに対価を払う必要はない。これは私の贖罪でもあり、愛の証明でもある。遠慮することはない」
念押しするように四災は告げる。
彼の言葉に嘘は含まれていない。ユルグはそう判断する。無償で望みを叶えてくれるというのは、出来過ぎな気もするが……こんな死にかけの人間を騙して何の得をするというのか。
逡巡したのち、ユルグは意を決した。
「なんでも、って言ったのは、ほんとうか?」
「二言はないよ」
「だったら……死んだ人間を、生き返らせることは」
「できるよ」
半信半疑、縋るような思いで放ったユルグの願望に、四災は即答した。
その一言に、ユルグは食い入るように四災を見つめる。ともすれば射殺すかのような眼差しに、四災は微かに開いていた顎門をにんまりと開いて笑みを浮かべた。
「できるのか!?」
「もちろんだとも。言ったろう、私に出来ない事はない。死者の復元、創造も容易いことだ」
四災は確約すると、ユルグの望みを叶えるために準備を始めた。
大穴の壁面。そこにずらっと並んでいる棺から中身を取り出して、ユルグの面前に持ってくる。
次に彼はユルグの額を爪先で小突いた。と思ったら、取り出した棺の中身……傷一つない、人間の死体のような、それとも人形のような……小綺麗なそれを地面に溢れていた瘴気のヘドロに浸ける。
ユルグには彼が何をしているのか、まったくわからなかった。不可思議な作業工程をじっと見つめていると、四災はぽつりと独り言を洩らす。
「それにしても、私はいつも疑問に思う事があるんだ。君たち人間は、どうして生に執着するのかとね。地位、名誉、権力。それらを欲したら、最期には決まって死にたくないと言う。それではいけないというのに……嘆かわしいことだ」
誰だって死にたくないのは当たり前だ。しかし、四災はどうしてそんなことを言うのか、わからないのだという。
不死身の彼にはどうしても理解出来ない事象なのだろう。
「できたよ」
しばらくすると、ヘドロに浸けていたそれを引き上げる。
「君の記憶を少しばかり読んで再現してみた」
ヘドロの中から現れたのは、ユルグが守ることの出来なかった存在。
彼が心の底から愛している彼女が、そこにはいた。
――けれど。それを本人だと認めることは、ユルグには出来なかった。
同じ顔をしているそれは、死者の甦生であると言えるかもしれない。しかしそこには中身がない。姿形は同じ。だけど、ユルグの知っているミアではないのだ。
意識もない、意思もない。これではただの人形だ。
「こっ、……これじゃない。俺が望んでいるのは、これじゃ」
「違う? 何が違うというんだ。完璧に創ったはずだが……別個体の素材を転用したから、ほら。中身は同じだろう?」
そう言って、四災は出来上がった人形に爪先で傷をつける。裂けた皮膚からは赤い血が流れ、まっくろなヘドロと混ざっていく。
生物として見るならば、目の前のこれは確かに人間なのだ。
「これが違うというなら、君は何が不満なんだ?」
「そんなのは……っ、ミアじゃない。同じ顔をした、ただの人形だ」
「一度離れた魂は、二度と戻ってはこない。死者を生前とまったく同じ状態で創り出すことは不可能だ。似たものは創れるが、それだけは出来ない」
「だ、って……さっき、できるって」
「認識の相違というやつだ。言っただろう。君の意思に添えるかはまた別だと」
冷徹に、四災は断言する。
ユルグを見つめるその眼差しは先ほどと違って酷く冷ややかなものだった。
「ああ……その目だ。久しぶりに見たよ。勝手に期待して、思い通りにならなかったら失望する。世界に変革をもたらしたというのに、君たちはまったく変わらないらしい」
やれやれと四災は首を竦めて嘆息する。
「いらないと言うなら、これはもう必要ないね」
ユルグの眼前に立っていたそれを、四災は頭を摘まんで持ち上げる。
そして、果実を搾るかの如く握りつぶした。




