終わりの話 1
無人の四災――大きな獣の姿をした彼の今の役目は、来たるべき時を待ち、大穴の底で不死人の世話をすること。
退屈で代わり映えのしない時間を送っていたある時、彼は面白いものを見つけた。
頭上から落ちてきた物体に、最初はいつものように不死人が大穴に投げ込まれたのだと思っていた。
けれどそれは、ベチャッと瘴気のヘドロの中に落ちたあと咳き込みながら起き上がったのだ。
「……これは珍しい」
感心したように洩らした声音。
突如、頭上から聞こえてきた正体不明の声にユルグは重い頭を振って顔を上げる。
ヘドロの中、立ち上がる事もしないで上を凝視していると、ぬっと暗闇から大きく顎門を開いた獣が現われた。
「おまえは……」
「意識のある状態でこの場所に辿り着く者は滅多にいない」
ニヤリと獣は笑みを浮かべる。
その姿をユルグは知っていた。マモンが化ける長毛の獣と瓜二つなのだ。
そのことを思い出した瞬間、目の前に居る存在が何なのか。即座に理解した。
「おま、えが……あいつの言ってた」
それの正体を追求しようとするが、喉奥から競り上がってくるヘドロのせいで満足に声も出せない。
マモンがユルグからヨエルを依代にしたことで、魔王の器ではなくなったユルグの身体はすでに限界に達していた。本来ならばこうして意識を保っていることすら不可能なはずなのだ。
けれど、どうしてか未だにかろうじてだが生きている状態にある。
不確定要素ではあるが、おそらくマモンがついていた事が功を奏しているのだろう。多少なりとも瘴気に耐性が出来ているのだ。
しかし身体の末端は既に壊死しはじめていて、満足に動かせない。今のユルグが出来る事は精々、目の前に居る獣と少しばかりの問答をするくらいだ。
「ああ、でも残された時間はそんなに長くはないみたいだ。残念……久しぶりにたくさん話が出来ると思ったのに。ここに居ると退屈なんだ」
ユルグの返答を余所に、獣は呑気に独り言を零す。
本人に聞いてみないと確証は得られないが、おそらくこの獣こそが二千年前、ログワイドが大穴の底で会ったという四災なのだろう。
しかし竜人の四災の話を聞いて警戒はしていたが、思ったほど威圧感はない。彼と同じく定命を見下して尊大な態度を取る奴なのかと思っていた。
けれど態度や口調から察するに、やけにフランクだ。まるで孤独に耐えかねた子供である。
「はっ……拍子抜け、だな」
肩で息をしながらユルグは呼吸を整える。
そのついでに周囲を見渡してみると、不自然さに気づく。ここは大穴の底のはずだ。それなのに、瘴気のヘドロが充満している。
いましがたユルグが落ちた場所だってヘドロの上だ。
竜人の四災が言うには、この大穴は四災の力を封じるためのもの。大穴の底に押し込めて、力の源泉である瘴気を吸い出して外に放出する。
だからここに瘴気が満ちていること自体、おかしいはず。
奇妙な現象に上手く回らない頭で必死に答えを探す。そうしていると、不意に暗闇の向こうから物音が聞こえてきた。
聞こえた方向に顔を向ければ、真闇から現われたのはまっくろな不死人だった。
それはゆっくりとした足取りでユルグへと近付いてくる。身体を満足に動かせないユルグはそれから逃げられる術はない。
呼吸を止めて近付いてくる不死人を睨めつけていると、突然、獣の前足が不死人を押し潰した。
「うわっ」
「ダメじゃないか。せっかくの客人に粗相をしたら。二千年ぶりに待ちわびた変化の時だ。無碍にされたらたまったものじゃない」
風圧がヘドロを撒き散らす。獣が前足をあげると、ぺしゃんこになったはずの不死人は跡形もなく消えていた。
「なっ、なに……」
「脅威はなくなった。これで存分に語り合える」
嬉しそうに獣は言う。
ユルグも彼には聞きたいことが山ほどあるのだ。対話を望むのならそれに答えてやりたいところではある。
しかし、ユルグに残されている時間は少ない。今だって、こうして話しているだけでも精一杯なのだ。会話に意識を向けると、すぐに意識が飛びそうになる。声を出すのだって億劫だ。呼吸だってままならない。
「――と、思ったけど……随分と辛そうだ。助けてやりたいが、私は望まれなければ干渉出来ない。難儀ではある。けれど、そうしなければ際限がないからね」
「なんのはなし……っ、」
「つまり――君の望みを何でも叶えてあげられる、ということだ。欲望、野心、宿望……なんだっていい。私に出来ない事はない。それが君の意思に添えるかはまた別だがね」
獣は思ってもみないことを言い出した。
望めば何だって叶えてくれるらしい。彼の話を聞く限りではそれに代償や対価を求める素振りはない。
「のぞみ、だと?」
「私は君たち人間の生みの親だ。親が子を気に掛けるのは当然のこと」
「そのわりには、容赦がない、な」
不死人だって元は人間なのだ。それを躊躇なく潰してしまった。大切にする割には随分と扱いが雑である。
「あれは異常体だ。一応、目は掛けてはいるが……優先順位はそんなに高くない。それに……彼らがこうなってしまったのは自業自得だ。彼女の言葉を借りるならね」
「だれ、っことを」
「君たちが女神と呼んでいる者のことだ」
聞こえた言葉に、ユルグは目を見開く。
今まで確信は持てなかったが、今のではっきりした。この獣と女神とやらは何かしらの関わりがある。
それに両者の関係性は悪くない。竜人の四災は女神について否定的な物言いしかしなかった。それがコイツには一つも感じられない。
残念ながら、彼らの間に何があったのか。そこまで解き明かすことは出来ないだろう。今のユルグにはそんな時間は残されていない。
獣に聞けば解決する疑問ではある。しかし、死に際で聞いたところでどうしようもない。




