形勢逆転の一手
天蓋から身を乗り出したフィノは後先考えずに内部へと侵入する。
着地点はちょうど祠の入り口と正反対の場所。ヨエルとの間には奇妙な鎧人が立ち塞がっている構図だ。
足元に溜まっている瘴気のヘドロを踏み抜いて祠の内部へと着地すると、フィノは声を張り上げた。
「――ヨエルッ!!」
名前を呼ばれて顔を上げると、プロト・マグナの向こう側にフィノの姿が見えた。
マモンが言ったようにここまでヨエルを追いかけてきたのだ! その姿を目にした途端、ヨエルは心の底から安堵した。
状況は何も変わってはいない。これから変わっていく。むしろフィノにとっては、今この場でのヨエルの救出は一筋縄ではいかない場面だ。
それらをわかっていても、少年はその姿を見ただけで嬉しさと安堵で心がいっぱいになった。
「……っ、フィノ! ぼく、だいじょうぶだから!」
目尻に涙を浮かべ呼びかけると、向こう側にいるフィノは少しだけ表情を緩ませた。
それを見た瞬間、不安だったのはヨエルだけでは無いと知る。フィノだってたくさん心配して、たくさん不安だったのだ。
それを知ったヨエルは、これ以上心配かけまいと目尻に浮かんだ涙を拭う。
今は泣いている場合ではないのだ。フィノにこれ以上負担をかけてはいけない。自分で出来る事は自分でしなければ!
『フィノが来てくれたのなら一先ずは安心だ。こんな男など敵ではないよ』
「うん!」
ヨエルの傍でほっと胸を撫で下ろすマモン。
しかし、事態はそう単純なものではなかった。
「ははっ、それはどうかな?」
嘲笑うかのような男の一言に、ヨエルとマモンは彼に顔を向ける。
男はこの状況でも余裕をかまして笑っていた。どう考えても不利なのは男の方だ。それなのに、彼は焦りもせずに静観している。
『なんだと?』
「やっと助けが来たって安心したか? これでお家に帰れるって思ったよなあ? でもそれは少し違う。この状況……一人勝ちするのは俺だ!」
勝ち誇ったように男は吠えると、ヨエルの身体を引き寄せて抱き上げた。
「うわっ――はなして!」
肩に担がれたヨエルは必死の抵抗を試みるも、子供の力ではいくら叩いたところで何にもならない。
「――ッ、ヨエル!」
やっと追いついたと思ったら、手の届く距離でヨエルに危険が迫っている。
急いで駆けつけようと踏み出す、その瞬間。フィノの行く手を正体不明の鎧が塞いだ。
===
男はヨエルの無駄な抵抗に笑みを深めて独白を続ける。
「この状況、誰がいちばん得をすると思う?」
『ふん、少なくともお前は貧乏くじしか引けんだろう』
「はははっ、そうとも限らねえぜ?」
彼は得意げに語る。
ヨエルを再び懐に握られたマモンは、黙って男の話に耳を傾けながらなんとか機会を窺っていた。
「ここに集まった奴らはみな、違う目的を持って動いてる。俺は魔王を祖国に持ち帰る。お前らは俺の手から逃れる。あの女はお前らを助けに来た。じゃあ……あの怪物は何だと思う?」
フィノと対峙しているプロト・マグナを指して、男は言う。
「正直言ってあれが何を考えているのか、俺もわからない。だが、一つだけ解ることがある。アイツは侵入者に対して容赦がない。周りに転がっている兵士の死体がそれを物語っている。祠の中にいる不死人の相手もしてくれてるみたいだし……そうなると、この状況、奴の目にはどう映るだろうな?」
男の推察に、マモンはハッとした。
プロト・マグナにとって、突然現われたフィノは侵入者以外の何者でもないのだ。
どういうわけか、彼は魔王に興味を持っていてヨエルやマモンには協力的である。けれど裏を返せば、それ以外は彼にとってはどうでもいいのだ。
『――っ、マズい! 流石のフィノでもあれの相手は分が悪すぎる!』
「そういうわけだ。あの女はお前らを助けに来たくても厄介な怪物に阻まれて出来やしない。あの二人がやり合っている間に、俺はコイツを抱えてさっさと逃げるってわけだ!」
上機嫌に語ると、男は口元の笑みを深めた。
「ひきょうもの! にげるな!!」
「卑怯で結構。俺は自分の仕事をこなせればそれでいいのさ」
ヨエルの非難も男には無意味。しっかりとヨエルを抱え上げると、男は祠の出口に向かって歩き出す。
しかし――その行く手をマモンが塞いだ。
『それを己が黙って見ているとでも?』
「何かする気か? 言っておくがお前が下手に動いたらコイツが泣くはめになる。俺の任務は魔王を連れて帰ること。その仮定でどれだけ傷つこうが生きてさえいれば問題はないんだ」
脅し文句を吐いた男に、マモンは身震いするとその姿を変える。
マモンも出来ればこれだけは避けたかった。今の彼では力不足で満足に実体化も出来ないからだ。
しかし、それを推してでも意味のある行為。形勢を逆転できる一手だとマモンは判断したのだ。
彼が成ったのは、六足の長毛の獣。大きな身体はあっという間に祠の出口を塞いでしまう。
「は、ははっ、図体だけデカくして何か意味があるのか? コイツごと俺を潰そうって考えてるなら」
『まさか、敵が己だけだと思っているのか?』
マモンの一言に男は口を閉ざす。
直感的に不穏な気配を感じ取ったのだ。そして彼の杞憂は現実となる。
向こう側、プロト・マグナが相手をしていた不死人たちが、一斉にマモン目掛けて集まり始めたのだ。




