驟雨の誘い
今一番の脅威である者の登場に、一瞬にして場が凍り付く。
声を荒げていた男も言葉を失い突っ立ったまま、思考停止に陥っている。
そんな中、ヨエルは奇妙な事象に気づいた。
「それ……どうしたの?」
尻込みしながらも話しかけると、それはヨエルの問いかけに相づちを打った。
「水を被るのは推奨されていない。あまりにも酷ければ動けなくなってしまう。その前にこうして体温を上げて、水蒸気として排出する必要がある」
彼の硬質な身体からは、もくもくと水蒸気が上がっていた。特に背中側、背骨あたりに排気口のような穴が開いていて、そこから彼が言っていたように水蒸気を出すのだという。
「水がきらいなんだ」
「そうだ。多少ならば問題はない」
意外にもヨエルの質問にはしっかりと答えてくれる。
初めて遭遇した時は敵対的だったけれど、あれはヨエルを攫った男のせいだ。都合が悪いからと話も聞かずに逃げ出した為、乱暴に対処するしかなかったとも考えられる。その証拠に、こうして話してみると何の問題も無さそうである。
先ほどもなにやら困っていたようだし……逃げないで話を聞いてあげるべきだった。
悪い人ではなさそうだとヨエルが好意的に捉えていると、背後からぐいっとロープを引かれて引き寄せられた。
「おまえ……何の用だ?」
しかし、最大限に警戒している男にはヨエルのような甘い考えを抱いている余裕はないらしい。
自らに向けられた眼差しを一身に受け止めて、突然の訪問者は先ほどと同じことを繰り返した。
「雨が止むまで雨宿りさせてほしい」
「……っ、それが終わったらどうするつもりだ? 素直にここから出て行ってくれるとでも?」
男はせっかく苦労して攫ったヨエルを奪われることを危惧しているのだ。
流石の彼も、目の前の相手では分が悪いと判断したのだろう。慎重に相手の出方を見極めている。
しかしそんな思惑など関係ないとでも言うように、それは男の問答をまるっきり無視してヨエルへと語りかける。
「それは君のものか?」
「マモンのこと?」
「そうだ」
彼はヨエルが腕に抱いているマモンを指差して尋ねた。
「ものじゃないよ。マモンは僕の大事な家族!」
「……大事な、家族」
答えを聞いた途端、彼は黙り込んでしまった。
なにやら真剣に熟考しているようだ。それほど難しいことは言っていないけれど、ヨエルの回答は彼にとっては珍しいものみたいである。
ヨエルの背後でそれを聞いていた男は、可笑しそうに笑った。
「怪物が家族だなんて、お前も憐れだなあ。もしかしたら利用されているかもしれないのに」
「マモンはそんなことしない!」
「どうだか。わからないぞ? 嘘を吐いているかもしれない。本当はお前の事を家族だなんて少しも思っていないかもよ?」
「ち、ちがう! そんなこと……」
ヨエルの反論を無視して、男はさらに続ける。
「魔王の譲渡だって、そいつの一存で決まることだ。お前の父親が悪いっていったが……魔王が許可しなきゃそもそもの話、赤子を器にするなんてことは成立しないんだよ。だから、結局二人ともグルだったってわけだ。ずっとお前を騙していたんだよ」
男の話に、ヨエルは黙り込んでしまう。じっと腕の中にいるマモンを見つめて、口を噤んだまま。
ヨエルには誰の言葉を信じて良いか、わからなくなっていた。
肝心なときにマモンは起きてくれないし、話を聞いたってそれが嘘か誠かヨエルには判別がつかない。
きっとマモンはヨエルを傷つけまいと優しい言葉しか言ってくれないだろう。
でも、ヨエルが本当に知りたいのは真実なのだ。それを知っているのはもう一人、ヨエルの父親しか居ない。
けれど既にいない人間に話を聞けるわけもない。ヨエルの抱えている疑問を解消するには既に手遅れなのだ。
落ち込んでいるヨエルを見て、その一部始終を観察していた純銀はおもむろに問いかける。
「父親に会いたいのか?」
「うん……でも、もう死んでるから」
無理だと言うと、彼は少し考える素振りをした。それから再びヨエルに問う。
「両親はどちらも無人か?」
「え?」
「人間か、と聞いている」
「う、うん。そうだよ」
「であれば、その願い。叶えられるはずだ」
無機質な声音は、思いもよらないことを語った。




