魔王
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一部、加筆修正しました。
「――それ、本当ですか?」
アリアンネは興奮冷めやらぬ様子で、彼女の膝上に座している相棒へと声をかけた。
『うむ。まあ、間違えようがないよなあ』
「知っていたのなら、あの時に教えてくれれば良かったのに!」
頬を膨らませて、アリアンネはマモンへと詰め寄った。
しかし、当の本人はなんとも歯切れの悪い返答しかしない。
『そうはいっても、あの状況では上策とは言えまいよ。手負いなら尚更だ。余計不審がられてこちらの話を聞かずに立ち去っていたやもしれぬ』
「そうですけど……」
『それにあの場にはミアも居ただろう。流石の己でも詰め寄られたら、上手く誤魔化すには難儀する』
マモンの言に、アリアンネは渋々頷いた。
あの後、宿屋の前で素性を隠したままのユルグと邂逅したミアたちは再度、街中を探し回った。しかし有力な情報も得られず失意の底、宿の部屋へと戻ってきたのが数時間前の話だ。既に陽は落ちていて、外は夜の闇に包まれている。
今部屋にいるのはアリアンネだけだ。ミアは風呂で今日の疲れを癒やしていることだろう。
「それでも、どのみち勇者様は追わなければいけないでしょう。ここはミアに事情を説明して協力を仰ぐのが良いと思います。ええ、そうするべきです!」
『……うむ。しかしなあ』
気が進まないのか、マモンはやけに渋っている。その理由をアリアンネは理解していた。
確かに、こんな話を信じてくれる人間なんてそうはいない。荒唐無稽な冗談と思われるだろう。けれど、嘘を吐いて騙し続けるよりは遙かにマシである。
「マモンが乗り気でなくとも、わたくしは構いません。貴方は良いマモンなんでしょう?」
『ああ……ああ、そうだとも。己は良いマモンだ』
「だったら心を込めて懇切丁寧に説明すればミアだって分かってくれます」
『心を込めて、なあ。己には無縁なものよな』
しみじみと呟いたマモンに、アリアンネは笑顔を作って微笑む。
「きっと大丈夫ですよ。上手くいきます」
『うむ、そうだと良いな』
呑気としか言いようのないアリアンネの態度に、マモンは小さく嘆息するのだった。
風呂から上がったミアは、話があるとアリアンネに声をかけられた。
いつになく真剣な眼差しに居住まいを正して応じると次の瞬間、彼女の口から零れた事の次第に、ミアは目を円くして固まった。
「――まおう?」
ミアは、聞こえた単語を反芻した。
突拍子もない話だったからだ。言葉としては理解出来るが、何を言っているか判然としない。
端的に言ってしまえば、ミアは混乱していた。
「まおうって、ユルグが探してる人……なのか、わからないけど。その人のことだよね」
自分に言い聞かせるように呟くと、対面していたアリアンネは静かに頷いた。
どうやらミアの解釈違いという訳でもなさそうだ。であれば尚更、混乱してしまう。
「ええと……つまり。アリアは魔王で、勇者であるユルグを追っているってことで良いの?」
再度言葉にしてみるが、やはり荒唐無稽な話にしか思えない。実際に喋っているミアも内心では首を傾げている。どうにも腑に落ちないというか、与太話としか思えないのだ。
村娘であったミアにとっては、世界を脅かす魔王なんてそれこそどこか別の、遠い世界のものだと思っていたからだ。一生、自分とは何の関わりもないのだと漠然とした思いがあった。
それが、何の因果か。目の前にそれを語る人物がいて、ミアと普通に話をしている。この状況で取り乱すなと言う方が無理な話だ。
「ええ、大体はそれで合っています」
しかし、当の本人は至って真面目である。ふざけて言っているようには思えないし、ミアの知っているアリアンネはこんな冗談を言う人ではない。
「正確には、わたくしではなくてマモンが、なんですけどね」
「……待って! ちょっと待って!」
理解が追いつかず、眼前に居る二人に対して時間をくれとミアは手で制した。
「ってことは……魔王って人じゃないの!?」
「うーん、どうなんでしょう」
ミアの詰問に、アリアンネはのほほんとした様子で答えた。
当事者がこれでは納得のいく答えが提示されるとは思えない。
『世間一般に言えば、人であると言われている。実際はもっと複雑なのだが、それを説明するには些か難儀であるから――』
「私が聞いても理解出来ないだろうから説明は良いよ。色々と事情があるんでしょ?」
『うむ、そうして貰えると助かる』
「でもなんで、アリアンネとマモンはユルグを追ってるの? 普通逆じゃない?」
勇者の責務が魔王の討伐であることは、ミアも知っている。そのためにユルグは旅を続けていたのだから。
それなのに、その討伐対象が勇者を探しているというのはかなりおかしな話である。
「勇者様には折り入ってお願いがあるのです。そのために直接会って話をしたいと考えていて」
「……それ、前も聞いたね」
「詳しくは言えないのですけど、危害を加えるような事にはなりませんから安心して下さい」
ミアの心情を慮って、アリアンネは優しげな微笑を浮かべた。
『しかし、そうであっても先方が己らと同じ心持ちとは言えぬだろうなあ。魔王を倒せば勇者の責務も過酷な旅も終わりを告げる。どんな事情があろうとも、こちらの言い分には耳を貸さぬとも考えられる訳だ』
マモンの見解は大凡当たっていると見て良い。
魔王を倒すということは世界の為にもなり、何より勇者――ユルグ個人の為にもなる。彼は勇者であることに嫌気が差していた。心底参っていたのだ。けれど、例えそうだとしても辞めることは叶わない。魔王を倒すまでは勇者であり続けなければならないのだ。
それを思うと、マモンの言には頷く他はないのである。
「でもユルグに会うって言っても、居場所がわからないじゃない。今日だって散々探し回っても何の成果もなかったし――」
『それならば何の問題もない』
突如、マモンはミアの言葉を遮った。
『己は魔王ぞ。勇者の居所ならば薄らとだが感じられる』
またもや、思ってもみない事実が告げられる。
『もっともこれは己の特性のようなものだ。勇者には己の居所は掴めぬ』
付け加えられたマモンの言葉にミアは眉根を寄せた。
逆ならば道理に適っているのだ。
勇者は魔王を倒さねばならない。それならば居場所を知らなければいけないはずなのに、それは出来ないとマモンは言う。
――何かがおかしい。
もやもやとした胸の内を燻らせていると、アリアンネがそっと微笑んだ。
なぜかその微笑が物悲しくミアの目には映る。
「この先は知らない方が良いと思いますよ」
「――え?」
先んじたアリアンネの忠告に、ミアは意表を突かれた。
呆然としているミアを見遣って、彼女は再度口を開く。
「あまり、良い話とはいえないので」
『世の中には、知らずとも良い事は往々にしてあるのでな』
両者とも同じような事を言って、ミアをその場に留めてしまった。
どうしても聞かれたくないこと、と言うよりもミアには知って欲しくないことのように思える。なぜだろうと考えるけれど、答えは浮かばない。
『ともあれ、勇者を追うのなら憂い無しという事だ。理解出来ただろううか』
マモンの確認に、ミアは一拍遅れて頷きを返す。
まだ色々と整理する事はあるが、マモンがユルグの居場所を知れるというのは本当のことみたいだ。
彼の話では、距離が離れていれば大凡の方角しか分からないのだという。しかしそうは言っても、気配を辿ればいずれユルグの元へ辿り着けるということ。
「うん、わかった」
それだけを告げて、ミアは口を噤んだ。
本当なら聞きたいことは山ほどある。何より、魔王と名乗った彼女らは誰が見ても怪しいのだ。ここまで一緒に旅をしてきて、信頼を置いているミアですらその所感を拭えない。
けれど、ミアが問い質したところで答えはしないだろう。仮に答えたとしてもそれが真実であるかを確かめる術はミアにはない。それを言ってしまえばこれまでの彼女らの言動さえも覆るように思えるが、ミアも知っている通りアリアンネはあの性格だ。
穏やかでおっとりしていて優しくて、そんな彼女が悪意ある嘘を吐くとはどうしても思えない。嘘を吐かれていたとしても、それはきっと何か事情があってのことなのだろう。
それに、ただの村娘であるミアに知る権利など万一にも無いのだ。無力な自分にはどう足掻いても干渉できない事柄なのである。
「今夜はもう遅いので明日の朝、出立しましょう」
アリアンネの提案に、ミアは素直に頷くのだった。
ミアが寝静まった頃、窓から見える月を眺めながらアリアンネは微かな声音で相棒へと声をかけた。
「マモン。昼間に会った彼が勇者様だと、ミアに知らせなくて良いのですか?」
『……アリアンネ』
彼女の問いに、マモンは窘めるようにその名を呼んだ。
『確かに勇者を追うという目的は同じだ。しかし、優先すべきはこちらの事情であるのだ。それを違えてはならぬ』
「それは……」
『そも、知っていようが知るまいがそこに差異は無いだろう』
「それは違いますよ、マモン」
マモンの言に、今度はアリアンネが彼を戒めるように言葉を紡ぐ。
「ミアにとって、勇者様は大切な存在なんです。それを蔑ろにして良いとはわたくしは思えない。貴方は良いマモンですけど、人の心が分からないというのは、やはり哀しい事ですね」
慈しむようなアリアンネの言葉に、マモンはそれきり沈黙する。
その様子を見て、言い過ぎてしまったかとアリアンネは声を落とした。
「すみません、少し言い過ぎました」
『なに、本当の事だ。お主が謝る事は無い。己は心ない化物であるからな』
卑下するような物言いに、アリアンネは哀しくなった。
マモンの生い立ちはかなり特殊である。彼女もそれは承知の上だ。
今ではこうして当たり前のように会話をしてはいるが、この変化はアリアンネの所為でもあるのだ。
彼女の我儘を聞いてくれているから、こうして共に旅が出来ている。その事をアリアンネは快く思っているが、こんなものは彼にとっては徒に地獄を彷徨っているに過ぎないのだろう。
どうにかしてやりたいと、心の底から願っている。しかし、どうにも出来ないのが現状であった。
「……それは、仕方のないことですね」
やるせなく笑って、伏せていた目を上げる。
夜空に煌々と輝いていた月は、分厚い雲に覆われて見えないままだ。
 




