確執を越えて
今のマモンがあるのはアリアンネのおかげなのだ。あの時の出会い、五年間の共に旅をした思い出がなければマモンは今も無慈悲で冷徹な魔王であっただろう。
それが全て良い事であったとは、残念ながら言えない。
怪物で無くなったことで苦しみも、苦悩も増えた。昔の何も感じない頃に戻れたらどんなに楽だろうと思ったことも、一度や二度では無い。
けれどマモンにとって、アリアンネとの旅はかけがえのないものだったのだ。
『今の己があるのは、アリアンネのおかげだ。……感謝している』
心の底からの礼に、アリアンネは微笑をたたえたまま、マモンを見つめた。
「わたくしは貴方を赦せはしないでしょうけど……それでも、今の貴方が存在している事には、なにか意味があるのだと思います。ですから、貴方がこれから何を選択するのか……わたくしにはわかりませんが、悔いの無いように終われることを願っています」
彼女はマモンに対して恨み言を吐かなかった。
この十年でマモンが変わったように、アリアンネにも心境の変化があったのだろう。
けれど、言葉通りアリアンネはマモンを赦すことはない。それはマモンも重々承知である。それにいまさら赦されたいとも思っていない。
もし彼女がマモンを赦すと言っても、マモンはきっとそれを良しとはしなかっただろう。それに甘えてしまっては、自らが犯した罪の重さが曖昧になる。
今も苦しんでいるフィノのことも、寂しい思いをしているヨエルのことも。アリアンネの厚意に甘えてしまっては、それらを蔑ろにすることにもなるのだ。
フィノもヨエルもマモンは悪くないと言ってくれるが、そうではない。罪は罪でそれ以上でも以下でも無い。
今のマモンには、犯した罪に対してどう償えばいいのか。それがわかっているからこその答えなのだ。
「わたくしの話はこれだけです。そろそろお暇しましょうか」
『――アリアンネ』
椅子から立ち上がったアリアンネをマモンは呼び止める。どうしても彼女に伝えなければならないことを思い出したのだ。
『一つだけ言っておかなければならないことがある。……共に旅をしていた勇者のことだ』
マモンの一言に、アリアンネは目の色を変えた。それを見据えてマモンは続ける。
『覚えてはいないだろうが、二人で亡骸をある場所へ埋めた。あの時は意味のない事だと言ったが……今ならわかる気がする。死者が生き返ることはないが……それでもお主には、これは必要な事だろう』
印をつけた地図を手渡されてアリアンネは沈黙する。それをじっと見つめて、絞り出した声は微かに震えていた。
「そうですか……」
瞳を伏せてそれだけを言うと、アリアンネは地図を懐にしまってマモンへ礼を述べた。
「今は戦時中ですから、落ち着いたら墓参りにでも行ってきます」
『……そうしてくれ』
先ほどとは打って変わって、どこか晴れ晴れとした表情でアリアンネは言った。それにマモンも頷きを返す。
アリアンネが部屋から出て行こうとした直後、扉が外から開かれた。隙間から室内を覗くのは、フィノと一緒に出て行ったヨエルだった。
「……おはなし終わった?」
「ええ、今ちょうど終えたところですよ」
「じゃあ、マモンと遊んでもいい!?」
「どうぞ」
それを聞くや否や、ヨエルは勢いよく扉を開け放ってマモンの元へ駆けていった。その後ろからフィノが顔を出す。
「わたくしはこれでお暇しますね」
「うん……アリア、大丈夫?」
「心配無用です。フィノも気をつけてくださいね」
これからのことを案じてアリアンネは念を押すと去って行った。
それを見送ってフィノはマモンの様子を見る。彼はヨエルに抱っこされて先ほど仕込んだ押し花の出来具合を見ている所だった。普段通りに見えるマモンには特に変わった様子は見えない。
それにフィノは安堵の息を吐いた。




