前を見据えて
――三日後。
ヴァレンを発って、帝都まで戻ってきたフィノはヨエルを連れてアリアンネの元へ赴いていた。
開口一番、アリアンネは微笑をたたえてフィノに労いの言葉を投げた。
「報告は受けています。今回はお手柄でしたね」
――ありがとう、と礼を述べた彼女にフィノは体験した出来事を掻い摘まんで説明していく。
「……なるほど。大穴の底にいる者が匣に溜まっている瘴気をどうにかできるなら、他の場所もお願いできないでしょうか?」
「ううん、どうだろ」
森人の四災は友好的であるように思えた。
それと違って、ユルグが出会った竜人の四災は手記に書かれている限りでは快く手を貸してくれるようには見えない。
今回は特別だったのだ。他の四災も彼のように良くしてくれるとは限らない。
「難しいと思う」
「そうですか……ですが、これは新たな進展でしょう」
良い兆候であるとアリアンネは言った。フィノもそれには同意である。
アリアンネの目的は、瘴気による犠牲を無くす事にある。究極を言えば瘴気が無くなれば彼女の大願も叶うのだ。
今回フィノが得られた情報は、それに近づけるものである。
「しばらくはアンビルの周辺も落ち着くはず。魔物による国内の被害も抑えられるでしょうね。これでデンベルクとの戦争にも本腰を入れられます」
アリアンネは戦争に対して積極的ではなく、それを肯定しているわけではない。しかし起こってしまったものを野放しにしておく程、凡愚でもない。
今だって戦争による被害を最小限に留めるために、早期解決に尽力しているのだ。
「フィノはこれからどうするつもりですか?」
「んぅ、次に向かう場所はスタール雨林にある大穴なんだけど……」
「ああ、あそこはちょうど激戦区ですからね」
彼女がこれから攻勢にでる場所は、おそらくスタール雨林になるのだろう。それはフィノにもわかった。
あの場所でデンベルクの進行を留めているのだ。そのおかげか、はたまた雨林の環境が影響しているのか。デンベルクは今ひとつ攻めきれないで手を拱いているらしい。
これはアルディアにとっても好機である。ここで更に追い打ちをかけて撤退に持ち込めれば、戦争終結も夢では無い。
「流石にわたくしも貴女に戦争の手伝いをしろとは言いませんよ。ですが、今の状況でスタール雨林に向かうのはあまり褒められた事ではありませんね」
「んぅ、そうだよね」
「せめてあの場所から敵を退けられた後ならば、幾らでも調査はできるでしょうけど……」
「出来れば早く終わらせたい」
フィノが時間をかけるつもりはないと言うと、アリアンネはそれをわかっていたかのように頷いた。
もしかすればフィノの働き如何によっては、戦争の終結に繋がるかもしれないのだ。
四災との交渉で瘴気を無くすことが出来れば、デンベルクも争う必要も無い。それの糸口を握っているのならば、呑気にアルディアが攻勢に出るのを見ている暇は無いのだ。
「スタール雨林に向かうというならば護衛を何人かつけましょうか?」
「いいよ、いらない。一人の方が動きやすい」
「そうですか。そういえば……スタール雨林で戦っている兵から奇妙な事を聞いたのです」
アリアンネは困ったように眉を下げて、あることをフィノに語った。
「見たことのない魔物が度々戦場に現われるのだと。彼らはそれを最初、敵国の兵だと思っていたと言うのです。しかしそれは敵対する者に対して攻撃を加えてきた。おそらく、どちらの勢力にも属さない者ではないか、と報告を受けています」
「……どういうこと?」
「さあ、わたくしも詳しくは……しかし、厄介事は避けられないでしょうね」
兵の奇妙な報告に、アリアンネは元よりフィノも首を傾げる。
魔物という線もある。けれど、報告によると兵たちはそれを敵国の兵士と勘違いしたのだ。それ即ち、人の形をした何かである。
「正体不明ですが、あの場所に近付くならば気をつけた方がいいでしょう」
「うん、ありがとう」
話が一段落すると、それを見計らったかのように庭園で遊んでいたヨエルが戻ってきた。
「おはなし終わった?」
「うん。ヨエルは何して遊んでたの?」
「ここいっぱい花あるから、それ見てた!」
アルディアはシュネー山近辺と比べても暖かな地域である。雪も降らないし、気候も穏やかだ。だから様々な植物が生えている。
街中にはメイユではなかった花屋もあって、ヨエルはそれに驚いていた。
「何か気になったものはありましたか?」
「ええっと、青いのと赤いの……あと白と黄色が混ざった……ぜんぶ!!」
「ふふっ、それじゃあそれで押し花でも作りましょうか?」
「えっ! い、いいの?」
「構いませんよ。好きなのを選んでください」
アリアンネの提案にヨエルは驚いた。けれどとても嬉しそうだ。
「フィノも一緒に来て!」
「えっ、ええ!?」
ぐいっと手を引っ張るとヨエルは庭園に向かう。
暖かな日差しのなか、沢山の色とりどりの花々に囲まれてヨエルはフィノにこんなお願いをしてきた。
「あのね。レシカにこれ見せたいんだ。あっちは寒いから綺麗な花ないでしょ?」
「うん。いいと思う」
「いっぱい見せたいから、フィノも手伝って!」
摘んだ花を押し花にして手紙を送るのだという。フィノもそれは名案だと思った。
早速ヨエルは赤色の花を手にとって一番綺麗なものを摘んでいく。その隣にしゃがみ込むと、フィノも一緒になってヨエルの押し花作りを手伝った。
「これすごいい匂いするんだ」
「ほんとだ。甘い匂いがする」
友達を作りたがらないヨエルは一人遊びが得意みたいで、男の子らしくないといえばそれまでだけど、こういった事を割と楽しんでいる所がある。エルリレオが育ての親だった事も関係してそうだ。
それを傍で見ていてフィノは間違った事だとは思わない。むしろ、色々なことを楽しんで取り組めるのだから、これもヨエルの長所である。
楽しそうにしているヨエルの横顔を見つめて、フィノは戸惑いながらも切り出した。
「ヨエル、これからのことなんだけど……」
「なに?」
「私はまだやることがあって、家には帰れない。だから」
「ぼく、留守番はイヤだよ!」
先を越されて叫ばれたヨエルの答えに、フィノは口籠もる。
彼がこんなにも必死なのは、独りになるかもしれない事が怖いからだろう。戻ってくるまで待つことは出来ても、そのあと本当に帰ってくるのか。それが不安で仕方ないのだ。
そしてそのことを、フィノは知っている。
例え、アルヴァフでカルロやレシカと待っていて、と言ってもヨエルは嫌だと言ったはずだ。
「わかった。じゃあ、一緒に行こう」
「うん……わがままいって、ごめんなさい」
ヨエルもフィノに迷惑をかけていることは自覚しているみたいだ。それを悪く思って眉を下げたヨエルに、フィノは心配するなと励ます。
「だいじょうぶ! 私が守ってあげるから!」
「うん!」
胸を叩いて宣言すると、ヨエルは元気よく頷いて花摘みに戻っていく。
心配事は尽きないけれど、きっとこれが最善だ。そう信じて前を向くしかない。




